38 違和感
「……ああして我慢しておいたかいがあった、とでも言っておこうかしら」
サンドラは適当にそんな言葉を口にした。
目の前に座っている彼はリアムと言って、腹違いのライネの弟だ。
ライネは彼のことが気にかかっていて、サンドラにどうにかその真意を確認してもらいたいと願っているらしい。
もちろん彼としては兄として慕ってくれていると思っているからこそ、こうしてサンドラがここまで来ることになったのだが、その真意を探ってほしいという彼の矛盾については指摘するつもりもない。
こうして接触できたからには、事実は彼に好意があるのか悪意があるのかそれがわかるというだけでそれ以上でも以下でもない。考えすぎる必要はない。
……まぁ、わたくしの見解からすると、ライネが優しすぎるだけだと思いますけれど。
そう考えて続けて適当に口を開く。
サンドラは心にもないことでも口にすることができる。それもいつもとまったく同じ調子で。
「パーシヴィルタ辺境伯家の本当の跡継ぎに出会えてうれしいですのよ。リアム。パーシヴィルタ辺境伯家はもちろん大変な土地柄だけれど、収益の安定性もあるし、わたくしが嫁ぐのにぴったりですわ」
「……」
リアムはサンドラよりも幾分小さくまだまだ子供である。
しかし、ライネとは違って線は細くない。彼と似たような琥珀色の瞳に茶色の髪、健康そうで元気な子供というイメージだ。
年はもう十二歳ぐらいにはなるのだろうか。
「ここなら実家ともつながりをもてますし、とっても素敵ですの。でもほら、彼はああでしょう? 見苦しいというか、とても夫婦として生活を送れるような見目ではないわ」
眼を細めて、先ほどノーマにも言ったような言葉を次から次に口に出していく。
心が痛まないかと言われると、正直まったく痛まない。
……だって、心にも無いことなんですもの。誰もが言う悪口を聞いたまま口にしているだけで、絶対に思いませんから、つまらない本を朗読しているような気分ですわ。
なぜこんなことをしているのかというのは、すべてはライネと気兼ねなく結ばれるために必要なことだからである。
彼はすべてを捨て去って逃げることを選択しなかった。そしてサンドラに言ったのだ。
家族の中でもライネを想って接してくれているリアムに報いたいと。報いたいと同時に、真意を知りたいとも。
だからリアムのライネに対する本当の気持ちを知ること、それが今回のサンドラに必要なことだ。
そのためにノーマに気に入られる必要があり、とりあえずライネを連れてパーシヴィルタ辺境伯家のタウンハウスに向ってノーマと出会いこう言ったのだ。
『外堀は埋めました。この男はこれで用済みですから、パーシヴィルタ辺境伯家の血筋であるノーマの息子と関係をむすびたいわ。こんな醜い男との関係を信じるなんて、社交界には恋にうつつを抜かした間抜けしかいないのですわね』
そういうとノーマはすぐに、敵対的な目線から色を変えてサンドラを好意的に捉えた。
それから二、三言葉を交わし、すぐにリアムと直接話をしたいというサンドラの願いを聞き入れた。
今は、様子見の為についてきてくれたレイラや、フィランダーがパーシヴィルタ辺境伯やノーマに対して時間稼ぎをしているところだろう。
「だからわたくし、思いついたのですわ。ライネとの関係があると知らしめてきちんと虫よけをして、結婚もするけれど、この家にはあなたがいる。嫁が第二配偶者を迎えるのは流石におかしいですもの、関係は曖昧になるけれど、あなたの子供を産むわ」
「……」
「愛人として、最愛の人としてそばにいてくださいませ。ここでずっとあの気味の悪い男を踏み台にして幸せを築きましょうね」
サンドラは、最後の方には大分適当になってきており、本当にそう思っている人間が言わないような言葉を口にしていた。
なんせ、重要なのはここではない。
問題はこの後だ。リアムがこのまま、やっぱり母の価値観は間違っていなかったのだと思い直し、ニコニコしながらサンドラの求婚に応えるとして、こんなふうになっては流石に後味も悪い。
復讐の一つでもかましてやりたいと思っている。それに父も姉もサンドラは別にライネと二人で問題ないと言ったのに、いいからいいからと付いてきた。
きっと彼らもライネを気に入って心配しているのか、もしくは長年取引のあるパーシヴィルタの行く末が気になるから付いてくることにしたのだろう。
ライネがいなくなるとパーシヴィルタ辺境伯家は、魔力の少ないリアムを跡取りに据えるしかなくなり、将来的に安定するのが難しい。
父と姉は、ライネにこの場所にとどまってほしいと考えている可能性もあるのではないだろうか。
けれどもそうすると、一応正当にこのパーシヴィルタ辺境伯家の息子であるリアムや正妻のノーマと対立することもまた、厄介だ。
ノーマだけなれば離婚をしなければならないような事態を作り出せばいいがリアムは、排除できるだけのことをしているか、でっち上げるとしてもそれは正当なのか。様々な疑念がある。
「……素晴らしい提案だね。僕もあの人に、よくうわさに聞くこんな美人な人が言い寄ってくるなんて何かあるって思ってたんだ」
「当たり前でしょう。そんな都合のいい話があったら、わたくしもまず疑ってかかるべきだと言いますわ」
「その通り、お兄さまって本当に、間抜けでのろまで、見る目もない」
リアムの言葉に、サンドラはおおむね予想通りだと頷いた。
この話が片付いたら情報収集の為に、サンドラ自身もノーマと話をしようと思う。
「ええ、ええ。あなたも大変だったでしょう。そんな男が兄だというだけで自分の権利を認められず、あんな顔の男に跡継ぎなどご隠居たちは何を考えているのかしら」
「……わかってもらえてうれしいよ。サンドラ様、あんな人がお兄さまだったばっかりに、といつも思うよ。でも僕には務まらないのは事実だから」
「魔力の関係は仕方がないわ。なによりあなたは普通で、顔だってこんなに可愛らしくていい子だもの、あの男とは違う」
「うん、僕は違う。あの人と、違うし、僕はお母さまとも違う」
「そうね。進んでライネを虐げてはいなかったと聞いたわ。ライネはあなたに希望を見出しているみたい」
「バカバカしいよね。僕はお母さまとは違うってだけなのに」
「ええ、そうよ。……違うというだけですわ」
けれども話をしていくうちに、心にもないこと、ではなくサンドラが彼に対して思っていたことを口走って意識を戻した。
彼は母と違って進んでライネを迫害しなかった。けれどもそれは、決していいことじゃないだろう。
……バカバカしいとまでは言いませんわ。でも、比較する対象がおかしいのよ。虐めてくる継母と比べて想ってくれていたなんて無関心か、都合のいい相手としか思われていないのよ。
それって悪意があるのと何が違いますの?
そう思ったけれど、それではあまりに悲しいだろうと思って口に出せなかった。
「違うというだけで…………リアム?」
「何?」
けれども、彼の今までの言葉をよく考えてみる。
サンドラのことを否定はしない。しかし、決定的な悪意は感じない。彼はずっと不機嫌にサンドラのことを見つめていて、サンドラの言葉に合わせている。
これはもちろん、ノーマにしたように味方だと思わせるためにしていた演技だ。
こうすればおのずと、サンドラの提案に喜んで本性を出してくるだろうと思っていた。けれども何か違和感がある。
彼からすればサンドラは、ノーマに気に入られて、家格も高く、将来はノーマと結託してこのパーシヴィルタ辺境伯家を掌握していく相手だと思われているはずだ。
だからこそもし、兄を想いながらも、凶暴なノーマとうまくやっていける様なライネの想像するような弟ならば、サンドラの言葉に意を唱えないのは当然のことだ。
その可能性をまったく考えていなかったからこそサンドラはこういう手段を取っていたのだが、彼の本心はどうやら、少し難しい。
見えづらくて、じっと目を見つめた。




