37 弟
パーシヴィルタ辺境伯家の正妻はもともと兄、ライネの母であった。しかしライネに妙な身体的特徴があるせいで、親戚たちや祖母、祖父に当たる老人たちにライネの母は文句をいわれ、ライネを捨てて消え去った。
辺境伯である父はそのまま屋敷の女主人の座を開けたままにしておくことはできずに急遽、行き遅れていたノーマを娶ることにした。
ノーマはリアムの母で、気性が荒く、正確に難があり、ライネとリアムを明確に差別する。
その光景をリアムはいつも見つめていた。
彼女は本当はリアムを跡継ぎの座に据えたいのだ。
けれども文句を言った親類の老人たちは、醜い痣のあるライネを生んだことを前妻が消えるまで罵ったというのに、彼を跡継ぎの座から下ろすことは許さない。
それは、ノーマが下級貴族の中でも魔力の少ない家柄の出身で魔法も持っていないからだ。リアムもそれに伴って魔力がすくなく魔法も持たない。
しかしノーマはその事実が気にくわなくて、もう何度目かわからない父と深夜に話し合いという名の喧嘩をしていた。
そんなある、眠っていると隣の子供部屋から、酷い悲鳴が聞こえてきた。
そのころ兄はまだ、今ほどノーマに酷く礼節を尽くして接したりしなかったし、リアムとも実は少しだけ仲がよかった。
心配になってリアムは隣の部屋をのぞいた。
「っ、はー、っ、はーっ、はーっ…………ふぅ、そうね、だから、そう。あなたの為よ。あなたは身の程を覚えないと、将来もっと、もっと、もっとひどい目に遭う。治しなさい、傷を、治せるでしょう。魔法持ちなのですから」
「は、母上っ、いたい、痛いです……」
「あなた、そんなこと言ったって、どこにも行く当てなんかないのよ? みなさいよ、醜い、ほら、鏡を見なさいよ!!」
父との話し合いが決裂したノーマは、ライネ憎しという気持ちのままに兄を自分の邪魔をさせないようにどうにかする予定にしたらしい。
気象の荒いノーマからライネを守る人間など誰一人としておらず、ライネはなにかで殴られたのか、片眼が赤く染まっていて、顔の痣も相まってその様はまさに化け物の様だった。
醜い化け物、そんな容姿ではどこにも行き場などない。
身の程を覚えて、きちんとしなければいけない、ノーマはそう主張して、彼のまだ未発達な体を何度も打ち付けてずるずると鏡台の前に引きずっていく。
「っ、あぁ゛っ、ゆ、許して、ください。……醜くて……申し訳、ありません」
「偉いわ。偉いわよ。ライネ、もっときちんと自分の醜さを自覚しなさい。あなたの為を思って言っているの、国王陛下の前にあなたみたいな人間が顔を出したら、不敬罪で捕らえられるわよ」
「はいっ、はい」
「わたくしにも、リアムにもあなたは到底及ばないのよ、街を歩いている浮浪者よりももっと劣る、わかって、わかって、きちんとしなさい、わたくしはあなたの母親ですもの。ちゃんと教えてあげるわ」
ノーマの目も酷く血走っていて、形相はまるで鬼の様だった。角が生えていないのが不思議なくらい。悪意にまみれてライネをいたぶって楽しんでいる外道の姿がそこにはあった。
その事件があってから、辺境伯はノーマに一つ苦言を呈した。
「ああいう事は困るんだ、ノーマ。流石に使用人たちも怯えている。継子をいじめたとなったら、ご隠居たちも黙っていない」
「あら、何を言っているのかわからないわ。わたくしはただ、ライネに躾を施しているだけです。こんなに醜いのだから、そうよね?」
「はい」
「ほら、この子もそう言っている!」
「…………」
そんな短いセリフで、兄に対する暴行への制止の言葉は終わり、兄は母の言うことをよく聞くようになった。
それからリアムも兄に対する態度を変えた。
母もあれからライネに厳しくするごとにリアムに優しくしてくれる。
だから、歳を重ねて母に反発したい気持ちが出てきても、今の状況のままでいるためにリアムは母を洗脳するように言った。
「そんな人に構ってばかりいないで、僕とお出かけしてよ、お母さま。どうせその人、外には連れていけないのだし」
母は、ライネをないがしろにするととても機嫌よく喜んだし、ライネももうまったく抵抗もしない、壊れた機械人形みたいなものだった。
「そんなにたくさん叩いたらお母さまの体が心配だよ。その人はどうせ治せるのだからいいけどさ」
もう少しリアムがライネと歳が近ければ簡単なことだったのにと思う。男と女では体の作りが違うのだから。
だって兄は酷く愚鈍で、間が抜けている。
仕方ないとはリアムは思っていない。
「将来は僕がお母さまを守ってあげるからね。あんな血も繋がっていないような人の好きにさせないし、従ってくれるよね、ライネ」
問いかけると、母子二人のお茶会を見て従者のようにそばで立っていたライネは「はい」と短く答えた。
その様子に、イラつきつつもお菓子を口に運ぶ。これだけが、唯一の癒しだとリアムは考えて、目をつむる。ノーマはリアムがこういうふうに言っていれば機嫌がいい。
だから別に今のままでも問題ないと考えた。
でもそんな、聞き分けのいい兄であったライネだが、とあるきっかけがあり急速に事は動き出した。
ハーヴィーから聞き出した内容によると、縁の深いカルティア公爵家令嬢が大きくかかわっているらしい。
けれども、彼女もまたマルガリータやノーマと変わらない人種だった。
向かい合って座った彼女は、少し笑みを浮かべているけれど目は笑っていない。
兄を連れてタウンハウスに母に会うためにやってきたと思えば、これである。
「……ああして我慢しておいたかいがあった、とでも言っておこうかしら」
静かに告げる彼女に、リアムは不機嫌に表情を歪めたのだった。




