36 挨拶
「サンドラは見る目もあるし!」
「可愛いし!」
「頭もいいのよ!」
「だから、よろしくね! ライネ」
昼過ぎになると用意が整ったらしく、サンドラの姉上たちであるレイラ、ユスティーナ、ラウラがまずはそう口にして彼女たちはそれ以降、口を引き結び何も言わなかった。
その様子に怒りのあまり言葉が出てこないのかもしれないと考えたが、サンドラは鋭く姉上たちを見つめていたので、なにかライネの知らないところで決まりごとでもあるのかもしれないと考える。
そうしているうちに、カルティア公爵が口を開いた。
「パーシヴィルタ辺境伯子息、お前のことは常々、サンドラから聞いている。一応、祝福すると言っておこう」
「っ、あ、ありがとうございます」
カルティア公爵が噛みしめるようにゆっくりと言葉を紡ぐと、サンドラは今度は、父上を睨みつけるように見つめて、どうやら余計なことを言われてライネが傷つかないようにという彼女なりの配慮らしい。
しかし、カルティア公爵は、難しい顔をしたまま続けた。
「ただ、男同士で少し話がある。何も、娘に手を出したからと言って取って食ったりしない。それほど警戒するな」
その言葉はサンドラに向けて発されているらしく、彼女は不服そうな顔をして父上に言葉を返す。
「……取って食わなかったとしても、道理として一発食らわせたりするのかしら」
「しない、しないぞ。いくら男親だとしてもそんなことはするはずない」
「あら! そんなことをしたらわたくしお父さまと口をききませんわ!」
「そうよ! 可愛いサンドラの大切な子になんてことをなさるのかしら!」
「野蛮ですわ! 見損ないましたわお父さま! わたくし悲しい!」
カルティア公爵が否定するのと同時に、口を閉ざしていた姉上たちが非難するように言う。
その言葉を聞いてカルティア公爵はげんなりした様子で訂正した。
「私が誰かに手をあげたことが一度でもあったか?」
「あら? どうだったかしら、お父さまったらマナーハウスに引っ込んでばかりだから覚えていないわ」
「そうよ、そうよ。むしろ手をあげるぐらい熱い気持ちを持っている方が嬉しいわ!」
「ええでも、ぶたれたら、一生口をききませんけれどね!」
「…………」
「だってお母さまにはあんなに情熱的な愛情をもっていたでしょう? わたくし覚えていますのよ! それはお母さまの誕生日のこと!」
「ええ、そうでした。あの日にお父さまはたくさんの薔薇を抱えて帰ってきました━━━━」
突然始まった三人の姉上の語りにカルティア公爵は、真顔になってもはや止める気もないといった様子だった。
そしてサンドラも「また始まったわ」と小さくつぶやく。
けれども彼女はどこか、うんざりしているというよりも仕方ないと少し笑みを浮かべていて、父の様子を見てから短く息を吐きだした。
「その話はわたくしが別室で聞きますわ。……ライネ、少しお父さまとの話に付き合ってあげてくださいませ」
そう言って姉たちを纏めて談話室から連れ去っていく、その言葉に深くうなずいてライネは改めてカルティア公爵に向き合った。
もともと挨拶したいと引かずに願い出たのは、こうしてきちんと顔を突き合わせて彼と話がしたかったからだ。緊張しつつもライネは姿勢を正した。
「……ふぅ、騒がしいだろう。娘が四人もいるといつもああだ。とても敵わない。……特にサンドラは口がうまい方だな」
彼女たちを見送ってカルティア公爵はしんみりと続けた。
「だが、そんな口もうまく物わかりのいいあの子が先日、目を血走らせて憤慨していたものだから、なにかと思えば、お前のことであった。昨日の出来事でその問題はうまく片がつくだろう……サンドラに任せろと言ったからな陛下に話は通してある。安心してほしい」
安心していいと言われて、どう返答をしたらいいのかわからずにライネは小さく頷く。
カルティア公爵は続けて言う。
「……お前は不遇な扱いを受けている。順序をたがえたことについては、私は何も言うまい。手助けが必要であれば惜しまないし、サンドラ自身も自分の行動でどうとでもするだろう。それはいい、もちろん」
言いながらカルティア公爵は小さく頷いて、自分の言葉に自分で納得している様子だった。
それから最後にライネに視線を向けた。その視線は真剣そのもので、紡がれる言葉には重みを感じた。
「ただ、裏切りだけはしてくれるな。あの子は精神的にも丈夫だが傷ついていいわけではない。その覚悟があるなら手を取ってくれ」
右手を差し出されて、ライネは心臓がバクバクと音を立てていて、父らしく娘たちの言葉を甘んじて受けいれている状況からのギャップに驚いて少しだけ手が震えた。
しかし、裏切るつもりなどひとかけらも、ほんの塵一つの可能性もない。
だからこそ、自信たっぷりに、手を取れるはずだしむしろそうしないことは不審がられるかもしれない。
ただライネはライネで、自分で果たすべき責任があることを自覚して、深く息を吸い込んで、俯かないようにカルティア公爵を見つめて口を開いたのだった。




