33 選択
サンドラはいつも通りに目覚めて、朝方の散歩をしてライネと朝食を取った。それから午前中の勉強を今日だけはやめて、後始末の話し合いを彼とするべくガゼボで顔を突き合わせていた。
「マルガリータの件については、カルペラ伯爵家がきちんと動いたとしても解放されるまでに時間がかかるはずですわ。その間に、あなたに対する障害の件や、不貞の事実についてちらつかせカルペラ伯爵家に圧力をかけますわ」
「……」
「カルペラ伯爵家は体裁を大切にしていますから、これ以上の問題を起さないためにマルガリータに対して何らかの措置をすることは確定でしょうね」
……出来ることなら、平民の元へと嫁入りさせられて田舎から出てこなくなればいいですけれど、どこまでやるかは予測は尽きませんもの。
それにあまり彼女の不幸ばかりを望んでも意味ありませんわ。わたくしはただ正当に、彼女が悪事を働いていたことがきちんと裁かれるようにするだけですわ。
彼女を貶めることだけを目的にせず、どれほど手間をかけずに、これからかかわりを持たず、自分たちが幸せになるかそれが重要なことだろう。
それを忘れずに立てた作戦をライネの生んだ好機にうまく当て込むか考えつつ口にした。
ライネはサンドラの話をリラックスした状態で聞いていて、日が昇っているのに少し目をつむったりしていた。
「バージルについては、あなた以外にも恨みのある人間は多くいますもの、わたくしの名前で策を打たなくともいいことになっています、楽には解放させませんわ。泣き寝入りしていた下級貴族たちをカルティア公爵家が支援しますもの」
「……はい」
「下級貴族たちの訴えでも数が集まれば正当に裁くほかなくなりますからね。出来るだけ長く檻の中で暮らしてもらうつもりよ」
かろうじて彼は返事をして、暖かな日差しを背に受けつつもうつらうつらと船をこぎ始める。
……朝はあまり強い方ではないのかしら。
そう考えたけれども単に夜更かししたからという可能性も捨てきれない。
しかしサンドラが真面目な話をしているのにいいご身分だ。
机越しにいる彼に手を伸ばして、置いてある手に手を重ねて掌をゆっくり人差し指で撫でた。
「っ、あ、すみません」
すると彼はとたんに目を覚まして、手を引っ込める。それから謝罪した。
こんなことで恥じらっている様子のライネに、いつかは彼のこんな純朴な様子もなくなるのだろうかと考えながら話を続ける。
「いいえ? ライネが愛おしいなと思っただけで怒ってなんかいないのよ」
「サンドラ様は━━━━」
「サンドラ」
「サ、サンドラは少し、僕を揶揄って面白がるような節がありませんか……」
「ないとは言い切りませんわ」
「…………」
「嫌なら嫌と言いなさい」
「いや……というわけでも……」
「ではいいじゃありませんの、ライネ。あとはあなたの問題……継母とのことですわよ。選択肢は、多くはないわ。わたくしはあなたに任せてもいいし、選べないならわたくしが選びますわ」
恋人らしい会話を打ち切ってサンドラは、いまだ解決のめどが立っていない問題について触れる。
「選択肢はおおむね二つ。逃げるか排除するか」
「……逃げては、サンドラをきちんと養えません。自分はそれではあまりに情けない」
「人に養ってもらおうなんて思っていませんわ。それに守ってもらおうとも、わたくしはただ好きな人と結ばれたい、それがどんな形でも構いませんの。自己肯定感は低い癖に自分の選択でわたくしが不幸になったり幸福になったりするだなんて思いあがらないでくださいませ」
「……サンドラはお強いですね」
「嬉しい言葉ですわね」
選択肢を出すと、彼はもうサンドラと結ばれるなんて、云々とは口にしない。
しかし、結ばれる前提になると今度はサンドラを幸せにしてきちんとした生活をさせてあげるにはと思考を転がす。
彼の考え方はいつだって不自由で、遊びがなくて大変だ。もっと自分の可能性を考えて、望むように生きればいいのだ。
まったく、と仕方ない気持ちになりつつも、答えはおおむね決まっているだろうと思った。
サンドラはまったくもってスッキリしないけれども、彼はそもそも仕返しをするということも、対抗すること、そして誰かを排除する行動が得意ではない。
きっともともとそういう性格だ。彼がなんの枷もなく選ぶ選択肢は、排除ではなく逃亡だろう。
ならばサンドラだってその手伝いをする。その方が手っ取り早く幸せになれるだろうと思うし、お姉さまたちに協力してもらって爵位取得を目指すのもいいだろう。
考えれば山ほどの選択肢がある。
領地の端で自然とともにお金をかけず生活するのもいいし、お互いに魔法を持つのだから魔法学園に通って手に職をつけ、生活をするのも良いだろう。
考えるとたくさんの可能性が頭に浮かんでこんなにも、人生にはたくさんの可能性があったのだととても嬉しい気持ちになった。
「逃げたっていいんですのよ。戦ったっていいんですの。みんな自由だわ、野を駆け回る狼のように、空を舞う小鳥のように、なんでもできるし、何をしてもいい」
サンドラは歌でも口ずさむように、気持ちを込めて軽やかに言う。
「どう生きても、その時を幸せに生きた人の勝ちですわ。幸せでい続けることだけが大切でしょう? わたくしはあなたがいれば幸せよ」
そばにいたい、共に生きたい。出会ってそれほど立っていないし、多くを知っているわけでもない、けれども今そう思える。
そうじゃない時も来るかもしれない、来たらまた考えてどうしたら幸せになれるか二人で考えたらいいのだ。
「…………本当に僕でいいのですか。なんだかもっと素晴らしい別の誰かと間違えられているような気がして、僕は恐ろしいです。サンドラ」
「あら? あなたがいいと……目の前にいるこの人間だと教え込んであげようかしら」
言いつつも、サンドラは少し身を乗り出してライネの頬に触れる。するとすぐにリンゴのように赤くなって、食べごろだなとサンドラは思ってしまった。
「いっ、いえ。間に合っています!」
「あらそう、残念。それで? あなたは自由ですのよ。自分の希望に沿った選択をなさい」
「……はい。…………自分は母上が恐ろしいです。関わることをやめてしまいたい」
ライネはぐっと手を握って、自身を慰めるように自分で押さえて、口にする。
やっぱりサンドラが考えたように、逃亡を選ぶかとサンドラは納得するような気持ちだった。
しかし、彼はきちんとサンドラへと視線を戻し、それから決意したように言う。
「でも、僕を慕ってくれている子も、屋敷にはいるんです。彼を……リアムを━━━━」
それからされた話にサンドラは、難しい表情をした。ライネのことは大方わかった気でいたが、ある意味予想外のライネの考えに、策を練るのに少々時間を要したのだった。




