32 望むなら
ライネを馬車の中に詰め込んで、タウンハウスへと連れ帰り、自室へと持ち帰った。
彼は段々と顔色が悪くなっていき、サンドラの部屋に入れられてベッドの淵に座らせられた時に彼は戦々恐々と言った具合だった。
そんな彼の目の前に立ってサンドラは、手袋を外しその肩を両手で押さえたまま、ライネに問いかけた。
「……今日のあなたの勇姿についてはしかと見届けましたわ。それについては素晴らしいと言いたい」
ベッドサイドのランプだけの明かりがライネのことを照らしている。
彼は何が何やらと混乱した様子で突然の強硬に出たサンドラのことを窺っている。
「は、はい」
「でも、いただけませんわね。あなた、その後の問題を度外視してわたくしの為に行動したわね?」
だから、あんなに卑屈でどうしようもなさそうだった彼が変わって、浮気に伴うあの出来事を過去のことにするために動いたことは嬉しい、けれども喜べない。
なにせ彼は、継母の差し金でああしていじめられていて、逆らう事が出来なかったという事実がある。
しかしライネはその問題について、サンドラが知らないはずだと踏んで、行動に出た。
だからあんなに曖昧な言葉でごまかして、サンドラを欺こうとした。それをライネは自覚していたはずだ。
嘘をつかせないためにサンドラは、声を低くして威嚇するように言った。
「……」
サンドラの指摘にライネは目を合わせたまま黙り込んで、眉を落して「……すみません」と小さく謝る。
……やっぱり、自覚はありましたのね。そのうえで……わたくしの願いだけは叶えたいと動いた。
欺こうとしたとしても、それはサンドラにとってうれしいことで彼は本当に、素直で優しい人だと思う。
けれども、やはり自己評価が低すぎるのがいただけない。
「どこかで、僕の話を聞いてしまいましたか? ……うまくやったつもりだったのですが、不甲斐ないです」
「……」
「ただ、その話をお聞きになったのならばご理解いただけると思うのです。サンドラ様。この状況は……何と言いますか外聞が悪いです。未婚の女性が、婚約者でもない男を部屋に連れ込むというのは……」
サンドラを心配そうに見上げるその瞳は、小さなランプに照らされて美しくきらめいている。
……わたくしはそれなりに彼に愛情表現しているつもりですのに、まだこんなことを言うのは、やっぱりライネが卑屈だからですわ。
そう結論付けてサンドラは彼の頬に触れて、痣のある方の額にキスをした。
「…………あの……」
「わたくしに触れられることが嫌なら嫌だと言いなさい。それ以外の、恐れ多いだとか、ふさわしくないとか、外聞がなどという言葉などわたくしは聞き飽きました」
「え……っ、う」
手を滑らせて、酒に酔っているみたいに熱い耳の淵をなぞって抱き寄せて大きく息を吸った。
香水の香りはせず、ただ少し整髪料につけられた人工的な香りがして、少し離れて唇を合わせる。
ライネはひどく驚いて硬直したまま、そういう形の蝋人形みたいに動かない。
ただその目だけで、感情を表していて、嬉しそうとも、辛そうとも、悲しそうとも、怯えていそうともとれるその様子に、サンドラは不憫で少し笑ってしまった。
サンドラが禁止したような言葉しか思い浮かばなかったのか、律儀に何も言わない彼が、愛らしくて可笑しい。
「……ふふっ、あのねぇ、ライネ。わたくし、最初のころはあなたに勝手に幸せになってほしいと思っていたわ。笑い話にしたかったのだもの」
「……はい」
「でもあなたと交流していくたびに、段々、愛着がわいてきて、今ではあなたが示したハリボテの幸せでは満足できない。本当の意味であなたが救われないとわたくしは許せない」
「っ、……」
言いつつも、頬を片手間に撫でて彼の瞼をなぞってみた。
その大きな瞳を隠す瞼に、影を落とすまつげ、綺麗ですべらかな肌は触り心地がいい。
「わたくし、あなたを愛していますの。ほかの何もいりませんわ。あなたが欲しい。ライネをわたくしが幸せにしたい。……だから継母の元になど帰らせませんわ。あなたに悪意を向ける人間の元へとみすみす送り出すものですか」
「あ、の……は、話は、わかりました……のでっ、少し離れて……」
「どうしてですの? わたくしは、あなたに会えない間こうして触れあいたかった。あなたがこうしてきちんと存在していることを確認したかった」
「わかってます、それは、わかり、ました……でも、こ、心の準備がっ」
「ふふっ、出来てなくても、死にはしません」
「っ、」
サンドラが微笑んで言うと、彼は言葉に詰まって、縋るようにサンドラを見つめる。
拒絶する気はないらしい、それは非常に好都合だ。
ただはっきりさせておきたい部分もある。
サンドラは最後に問いかけた。
「ああでも、今聞いておくべきことがありますわね」
「は、はい……?」
ベッドをきしませて片膝を乗り上げてもっと距離を近づける。
「あなたは継母とわたくし、どちらを選びますの? どちらをより優先するか、答えてくださいませ」
あの日に彼がわからないといった質問をあらためてする。
色々な、彼自身の事情を加味しての言葉だったのだと思うが、サンドラの愛情によってそれはきちんと変わるのか、問いかける。
すると彼はあまり悩まずに、呟くように言った。
「もちろん、あなたを優先したい……でも、僕は、あなたを不幸にしかしない……と、思います」
「あら、偉そうに。わたくしは簡単には不幸になってやりませんわ。不幸になっても、自分の力で幸せになりますもの、あなたはわたくしを侮っているの?」
「ちがっ、います……でも、ご迷惑を、かけるわけには……」
「心配をかける方が罪深いことですわよ。ライネ、ただ……あなたがわたくしを好ましく思って選んでくれるのなら。望んでくれるのならそれだけで、何の問題もありませんの」
言いながら口づける。サンドラは割とキスが好きだ。
柔らかくてライネを食べてしまいたくなるのが難点だけれど、キスするたびに律儀に彼が目をつむるのでその様子を見るのが楽しいからだ。
「んっ…………サンドラ、さま」
「……」
「……僕も、好きです……」
観念したように言う姿に、サンドラはぺろりと舌なめずりをしてにんまり笑った。
ならばいいのだ。何とでもなる。この純朴で可愛い人をサンドラの恋人にしてしまおう。




