3 憂さ晴らし
そんな日々が続いているとある日の事、アントンは珍しく、話題の中心になることがなく影を潜めてパーティーを楽しんでいた。
そんな様子にやっとサンドラは常々言っていた思いが通じたのかと少し彼を見直した。
しかしいつの間にか、アントンはいつもの貴族たちの輪からいなくなっていて、探しに出たがどこにもいない。なにかトラブルに見舞われたのではないかと心配した直後。
本当に偶然、人ごみの向こう側にアントンの後姿を見つけて、サンドラは高いヒールを履いていることを忘れて走り出した。
ドレスの裾をもって、人の間を縫っていく。
今にも見失ってしまいそうな彼を追いかけて、息が上がるのも気にせず足を動かす。
すると追いつくことができて、彼とその隣にいた、彼女が人の目から忍ぶように庭園を鑑賞することができるバルコニーへと隠れた。
息を整えて、いくつも解放されているバルコニーのある廊下をゆっくりと歩く。外には小さな半円上のスペースがあって、今はこのあたりに人は多くない様子だ。
人ごみに疲れてしまった人、何か事情がある人、そういう人が落ち着けるスペースではあるが、夜の闇に紛れて他人から見えないのをいいことに、秘密の逢瀬を重ねることができる場所でもある。
呼吸が落ち着いてから、そっとアントンが入っていったバルコニーの外で息をひそめる。カーテンの向こうを見なくとも声ですぐに彼だとわかる。
「ここなら安心だ、マルガリータ。まずは抱きしめさせてくれ。ああ、あいつのそばよりよっぽど落ち着く」
「んふふっ、あらもう。アントンったら甘えん坊なんだから」
「許してくれ、俺が甘えられるのはお前だけなんだ」
「あっ、ダメよ。こんなところで。でも、なんだかドキドキしちゃう、こうしてよそで会わないって決めていたから余計に」
「そうだろ、マルガリータ。んっ」
アントンとともにいるのはマルガリータという令嬢だ。たしかカルペラ伯爵家の長女のはずだが跡取りではない。
サンドラの頭の中には彼女の顔が思い浮かんだ。
そして外で行われている行為にもすぐに察しがつく。
つまりは、浮気されていたということだろう。サンドラがアントンと向き合おうと考えている矢先に彼は、こんなことをしていたと。
嫌な気持ちになってすぐさまここから離れようかと考えた。
しかしふと、頭の中に疑問がよぎって、サンドラをそこにとどめさせた。
「はぁ、っ、久しぶり過ぎて私泣いちゃいそう」
「俺もだ。それにあいつと過ごす時間が長かったからなおさら、お前の柔らかな空気が心地いい」
「もう、そんなふうに言って。あの人だって、社交界では美人だって有名よ?」
「そういう問題じゃない。見てみろ、人を視線だけで射殺すことが出来そうな鋭い目線、それから気位ばかりが高い態度」
「んふふっ、まぁたしかに、あなたのタイプじゃないわね」
「そうだ、笑い話のフリをして、恥でも欠かせてやらなきゃ俺の気持ちが治まらない」
「あの人の話、いろんなところで聞くわ。目の前で広めてあの人怒ったりしないの?」
サンドラの名前は出てこないが、彼らが言っているのはまさしくサンドラだろう。
頭の中によぎっていた疑問に対する答えがすぐに見つかってサンドラは、悲しむ気持ちよりも怒りが湧いた。
「ちょうどいい塩梅で、褒めてやってるからな。その時のあいつの顔と来たら、ははっ、その時のあいつだけは俺は好いていると言っていい。心の底から笑いが出そうになる」
「あら、やだ性格悪い」
「そう言うなって、そのぐらいの楽しみがなきゃあんな女と婚約者をやってる価値なんかないだろ。親の決めた婚約なんて本当にくだらない」
「ホントよね。私も……あなたに倣って色々、吹聴してみたけれどちょっとスカッとして楽しいわ。でも金づるとしては必要だから、結局婚約破棄なんてできないけれど」
「ああ、骨の髄まで利用しきってやろう。それで良いんだ、賢く生きれば俺らの勝ちだ。マルガリータ」
「んふふっ、あなたって本当に悪い人」
彼らは、サンドラが聞きたかったことを端から端まで言ってくれて、どういうつもりなのかすべてが理解できた。
恋の力というものはすごく、ここまで盲目的に周りへ対する配慮を忘れてしまうものらしい。
彼らは愛し合っている仲で、サンドラは端から蚊帳の外。それなのにアントンが過去の笑い話を愛しているからゆえに言っている……なんて言葉に惑わされて、多くの人に笑われて。
まるでこれでは、舞台上のピエロだ。
盛り上がって愛を重ねる彼らをしり目に、サンドラは決意した。
ただの笑い話、されど笑い話だ。それに悪意があったのならもはや攻撃といっても過言ではない。
……良いでしょう。そういうことなら、わたくしも笑い返してあげますわ。
そう決意して歩き出す。
幸い彼らは、こんなところで睦み会ってしまう不用心さを持っていて、サンドラが知っている限り、二人して似たようなことをしている。
そこを利用しない手はないだろう。