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【本編完結】笑い話に悪意を込めて  作者: ぽんぽこ狸


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29 許すこと




 つい先日までしおらしくマルガリータの言いなりになっていた癖に突然、忌々しいライネは行動に出た。


 醜い顔を隠すためにいつも下ろしている前髪を短く切って痣をさらけ出し、誰に対してもきちんと話をするその態度。


 こんな日は一生訪れないはずだと思っていたのに、なぜこんなことになっているのだろうか。


 彼のことを心の底から嫌っている継母のノーマだってきちんと健在で、この場にはいないが自分の使用人を彼につけたり、下級貴族からの情報を受け取って見張っているはずなのだ。


 だから、ライネがこんなことを出来るはずがないのだ。


 いや、出来るはずがないというか、やるはずがないというのが正しい。

 

 ……だって今までずーっと、ずっと、言いなりだったじゃない! その醜い顔だってっ、そんなに大勢にさらけ出して……。


 そんなことをすれば多くの人間が不快になって、文句を言われて今まで以上に痛い目を見る。


 そのはずなのにその願いのような想像は簡単に打ち砕かれて、サンドラがライネの手を取ったことによって令嬢たちが盛り上がった。


「まぁ、サンドラ様が受け入れたわ」

「あれほど怒っていらしたものね。そういうことだったのですわ」

「それにしても、痣は特徴的だけれど普通のものですね……全然醜くなんてない」

「ああ~、やっぱり……せっかく私だけがあの方のことに気が付いていると思っていましたのに……」


 興奮する声、落胆する声、納得する声、様々な反応があるけれど、その中にはライネを罵る者はいない。


 あんなに醜いのに、あんなに間抜けでしょうもなくて、根暗で、マルガリータの奴隷のような男なのに、社交界で話題の女性とそつなく踊って、彼は申し訳なさそうな素振りの一つも見せない。


 ……許せない、許せない、許せない、許せないっ! なんなのよ!! これじゃあ、私が全部悪かったみたいじゃない!! もとはと言えばあの男が全部の元凶なのに!!


 噂だって何も嘘ばかりを言ったわけではない。あんな男の元に嫁に行くマルガリータは少なからず可哀想だと思われていたはずなのだ。


 だからこそ気を遣われて当たり前で、ライネからだって神のように尽くされて当然のはずだった。

 

 それなのに……。


「チッ、調子にのりやがって……」


 隣にいたバージルが忌々し気に声をあげる。


 その声にマルガリータはとても救われたような気持ちになった。彼だけはライネのことを正しく見てくれている。


 あの男はどうしようもない男なのだ、大人しくマルガリータの言うことを聞いていればいいのだ。


 そうすればいつかは許してやるつもりでいたのに。


 歯を食いしばって、マルガリータは怒りに震える吐息を吐き出した。


 しかし今は、彼にちょっかいを出すのは分が悪い。


 顔がちょっとばかり良いからと言ってあんなに醜い痣のことを度外視で考えられる間抜けなサンドラや、令嬢たちのいる中でマルガリータが彼にいつものように当たれば非難されかねない。


 一曲終わって彼らは離れる。

 

 ライネはこの夜会だけはそうして普通の人間のような顔をしていられるが、すぐにノーマに叱られて酷い折檻でも受けるだろう。そこにマルガリータは出向いて彼をこれ以上反抗させない手伝いをすればいいのだ。

 

 だからこそここはいったん離れて、状況を窺ってから動けばいい。


 マルガリータはきちんと状況を鑑みて行動できる賢い女なのだ。一時の情に任されてあんな男と踊ってしまう、身分ばかりが高い女とは違う。


 そう考えて心を落ち着け、マルガリータは「行きましょ」と声をかけてバージルと腕を組んだ。


「マルガリータッ! バージルッ!」


 けれどもライネは、なんの配慮もない大きな声で二人を呼びつける。


 咄嗟のことに驚いて目を見開くと、周りにいたはずのダンスを眺めていた貴族たちが後ずさるように場所を開けて、周りに溶け込んでこの場から立ち去ることは許されない。


 ……っ、な、何のつもり?!


 ライネは急ぎ足でマーガレットたちの方へと向かってくる。それから自分の手を手で握ってマルガリータに視線を向ける。


 ……ま、まさか……この場で私のことを糾弾するつもり? 


 一瞬不安に思ったが、それならむしろ好都合かと考える。


 ここで彼がマルガリータに積年の恨みを込めて、事実を知らしめるために語気荒くマルガリータのことを罵れば、噂には嘘も含まれていたけれど、すべてが嘘だったというわけではないという解釈がされるだろう。


 そう考えてマルガリータはまるで怯えているみたいに見えるように、小さく肩をすくませて瞳に涙をためた。


「今ここで言うことが必要だと思うので言わせてもらいます。自分はあなたに暴力をふるったこともありません」

「……」

「あなたを罵ったこともありません。この痣は、醜いので隠すことにしていましたが、誰かに恨みを買ってかけられた呪いなどでもありません」


 ライネははきはきとした声音でマルガリータに言っている体をとりながらも、その場にいる全員に対して宣誓するように続ける。


「あなたの流した噂はすべて嘘です。否定をしなかったのは、醜い自分にはあなたのような親の決めた婚約者以外はいないと思っていたからです」

「……」

「けれども、サンドラ様によってその非道が公にされて、自分は解放されました。もうこの痣を持って生まれた以上の罪を背負ってさげすまれて生きる気はありません。ただそれだけです。マルガリータ。信じる人もそうではない人もいると思います」

 

 彼は一人で勝手に達観したみたいに優しい顔をしている。


 いや、そもそもこの人は端から、こうだった。マルガリータが何をしようとも、ずっとそうだったのだ。


 どうして都合がいいなどと思ったのだろう。マルガリータは数秒前の自分の判断にケチをつけた。


「それでも真実は変わりません。なのでただ忘れます。僕はあなたのことで思い悩まない。もう過ぎ去ったくだらない過去の出来事ですから。思い悩んだりしません。だから全部、許します。今までありがとうございました」


 笑みを浮かべてライネはマルガリータの手を取ろうとした。





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