28 ワルツ
サンドラは無言でライネと踊っていた。緩く流れるワルツの音に身を任せて、リードにそって体を動かす。
目をそらそうと考えても、すぐそこに彼がいるのだから不自然に逸らすこともできない。
そしてやっぱりどこからどう見ても彼はライネであり、特徴的な痣もあの時のまま。だからこそ突然こんなふうに雰囲気を変えたこと、それについてライネは事情を説明するべきだ。
「……」
まさか気まぐれでこんなことをした訳ではないはずだ。
サンドラが知っている限り、ライネはずっとあんな調子だっただからこそ、誰も彼のことをきちんと知らずに社交界では彼の妙な噂は後を絶たない。もちろん、あんな状態でも別にサンドラは嫌いじゃない。
けれども目が見えていた方が、より……ずっと、彼の存在がこうしてそばにいることを強く感じる。
「……サンドラ様、自分はせめて自分にできることをしたいと思いました。あなたの優しい願いを叶えたかったんです」
囁くように言うライネの言葉にサンドラは、ステップを踏みながらも小首をかしげた。
「先日話をしたでしょう?」
「ええ、しましたわね」
「その時に、サンドラ様は僕に、ああまで言って、僕が今よりも少しでもマシになれるように望んでくださいました」
……それはもしかして……あの時の嫁に貰って欲しい云々の話?
サンドラの中では、無自覚であったが告白のつもりだった。しかしライネの受け取り方は違ったらしい。
そういう話を引き合いに出す程真剣に考えてくれていると受け取るとは自己評価の低い彼らしいと言えば彼らしい。
「だから……最後にサンドラ様の願いを僕なりに叶えられたらと、行動したのです」
彼、”最後に”なんて言葉を吐き、すぐに言及したい気持ちになる。というかなにかをしながら出来る話ではないだろう。どうしてワルツを踊っている最中に話し始めてしまったのだろうとサンドラは若干後悔していた。
くるっとターンをして、彼の元へと戻る。
「僕はサンドラ様の言う通り、笑い話にしたいのです」
「……」
「そのためには、僕自身がきちんとそのことに折り合いを付けている必要があるとサンドラ様は言いました。……ですからその証明になるかはわかりませんが、痣にまつわる噂のことも、気にしません」
彼の後ろの景色は流れて、サンドラの視界にはライネのことしか映らない。
文字通り彼しか見えない。
「彼女ともあとくされが無くなるように、今から話をつけに行きます。そうしたら、サンドラ様。あの二人との過去を遠慮なく笑って、僕のことは忘れてください」
「何故?」
「元々そのために、手を差し伸べてくださったと記憶しています。それが無くなれば、もとよりふさわしくない自分はサンドラ様のお側にいるようなことは恐れ多いからです」
ライネはきっちりと説明して、その説明には何の矛盾もない。
たしかに、サンドラがライネとかかわりを持ったのはその願いの為だった。
彼があまりに傷ついているように見えて、このままでは寝覚めも悪いし丁度暇だった、だから関係を持ったのだ。
だからこそ彼から噂を打破するために動き、マルガリータとも自分で決着をつけるというのはとても素晴らしいことだ。
それはたしかであるし、きっとできる。
この状態ならば、よい相手もいつか見つかるだろう。ライネを大切にしてくれる良い子。サンドラよりも優しくて、簡単には怒らない女性らしい素晴らしい令嬢。
そんな相手が彼にはお似合いなのかもしれない。
曲が終わって、少し離れてサンドラは会釈をする。
もう少し早くこうなっていたら、サンドラは手放しで喜んでいたかもしれない。けれども、今はそう簡単にそれを喜ぶことができない。
ライネは素直でサンドラの言葉をまっすぐに聞いて”笑い話にしたい”という願いをかなえてくれる純朴な人だ。
しかし今の彼の瞳に映る決意は固く、打ち崩すには込み入った事情についての話が必要になることは明白だった。
「では、行ってまいります。サンドラ様、見ていてくださると頼もしいです」
そう言って彼は踊っている最中から見つけていたのか、サンドラの後ろの方へと、大きく息を吸って口元に手を当てて、「マルガリータッ! バージルッ!」とその場にいる誰もを驚かせるような大きな声で言った。
振り返って視界に収めると、大勢の中から呼ばれ、注目されて怪訝そうにライネを見ている二人の姿があり、周りの貴族が蜘蛛の子を散らすようにさあっと避けていった。




