25 怒り
サンドラは屋敷に帰ってから、眠る気にもなれずに静かにバージルとマルガリータの二人についてどう、仕返しをしようかと考えた。
机の上でペンをとって利用できるものを考える。
彼女たちの行為は馬鹿にするなんて言うことよりもずっとおぞましく、きちんと王族に告発できれば罪に問うことが出来るだろう。
しかしそれを邪魔する存在がいるであろうことも理解ができる。
それにライネが逆らわないこともわかっている。
けれども、見て見ぬふりなど出来っこない、あれから手が震えて治まらないのだ。
仕方ないとあきらめてすっかり眠ってしまえるようなメンタルをサンドラは持ち合わせていない。
翌日、一睡もできずに父の元へと書類を持って向った。
彼は驚いた様子で起き上がって、眉間にしわを寄せたまま、ベッドの上でコーヒーを飲んでサンドラの作った書類に目を通す。
「……ふむ……」
それは協力してくれる令嬢たちのリストや、過去に伝え聞いたバージルの乱暴についての話に加え、もし、マルガリータがライネではなくサンドラに向かって逆恨みをした場合に引き合いに出そうと思っていた彼女の事情だ。
アントンとのうわさを流した時に、付け加えて離された彼らの交流の場所や行動から裏を取った不貞の証拠をすべて記録してある。
けれどもそこまで調べたとしても彼女に著しい醜聞がついて回るだけで、社交界からの排除を出来るわけでもない。
しかし、話を聞く限り彼女の実家であるカルペラ伯爵家は体裁を整えることに重きを置いている。
そして彼女は重要視されていない、そのあたりからカルティア公爵家が交渉をもちかければ、もっと重たい罰を与えることも可能だとサンドラは踏んだ。
その考えに間違いはないはずだ。
しかし、父は渋い顔をしたまま、小さく唸り、ペラペラと書類を見てからパシパシとそれを叩いていった。
「……陥れるには、詰めが甘い。お前らしい」
「では、どうするべきか、お父さまならばわかるのではありませんか」
彼が嘘をついてごまかさないようにサンドラはその黒い目をじっと見つめて何も見落とすまいとする。
けれども父はサンドラの真剣さも、どうしようもない気持ちも、なにも鑑みずにふぅーと深いため息をついた。
「……」
「わがままを、聞いてくださいませ、お父さま。わたくしが勝手に突っ走ることも出来ましょう。けれど、迷惑をかけるつもりではありませんのよ」
「……そうさなぁ」
「真面目に聞いてくださいませ。どうしても許せませんの。どうしても」
「……」
自身の声はまるで父を責め立てているようであった。彼は何も悪くはないのに、自分の意見を通すために、無意識にというわけでもなく脅そうとしている。
それほどまでにどうしようもなかった。
それなのに、フィランダーは考え込んだまま、答えを返さない。
じれったくて仕方が無くなって、サンドラはさらに言葉を紡ごうと一歩進み出た。
しかしそれと父がベッドの淵から立ち上がることは同時だった。
「……何があったか、私は知らない。お前が何にそんなに憤慨しているのかわからない」
彼の言葉に、見上げて噛みつくように返す。
「すべて話せば納得してくださるの?」
「……そういう意味ではないな。お前は、怒るとお前の母によく似ている」
「そんなことは今は━━━━」
「関係はないが、言えることはある。サンドラ。お前は強い、感情をたぎらせて、自身を燃やし行動を起こせる。それはとても素晴らしい」
噛みつかんばかりのサンドラを父は無造作に撫でた。
重たいフィランダーの手のひらはサンドラの頭にずしりと乗って、ただ優しさを感じた。
「だが、お前自身を削ってしまうな。お前はたった一人ではない。私もいる、姉たちもいる。お前は策略を建てて行動することができる、協力すればいい、すべて一人で抱え込んで苦しむ必要はない」
「……でも、すぐに結果が欲しいのですわ。彼が……好きな人が傷つけられていますの。許せなかった。その場で焼き殺してやりたかった」
「……」
「こんなに怒ったのは初めてですわ。苦しくて、悲しくて、感情に行き場がない。これでも堪えて冷静に、出来る限り穏便に……しているじゃあ、ありませんの!」
そのまま父は慰めるようにサンドラを抱き寄せた。
するとどこにも行き場のなかった体の中に巡った激情は少し体から抜ける気がする。
言ってしまうと、軽くなった気さえした。
……薄情なことですわ。ライネはきっともっと苦しんでいるのに。
そう自分を責める。
「苦しいだろうが、そういうことはよくある。それでも……ああ、なんだ。言葉を選ぶのが難しいが、お前の行動を見ていて話しを聞いて、私はいつも思うことがある」
フィランダーの渋くて子守歌のような声が頭の上から響く、ぐっと抱き留められると震えていた拳の力がやっと抜けた。
「うまくやったなと、いつも思っていた。お前はいつも……前に進むために、より良くするために行動を起こしているんじゃないのか。自分が、望む人間がいい方向に進むためにその怒りを使ったんじゃないのか」
言われて素直に考えた。
……そんなに大それたこと考えていませんわ。……でも、なんとなく言いたいことは……わからなくはありません。
「今はそうと言えるのか? サンドラ、性急すぎる考え方をしていないか? これをするだけして、お前の心は本当に晴れて、お前の想い人は前に進めるのか。お前の母も稀にそれを履き違えた。よくあることだ、だからこそ一度休め。後は私が引き継ごう」
手を離されて、サンドラは父を見上げた。あの場の後処理の為に報告は父の元にもお姉さまたちの元にも上がってくるだろう。
そうすれば客観的な意見がわかるはずだ。
……それに……きっとすべてをわたくしが抱え込んで復讐するのはライネの気持ちを無視している。彼はきっと、抵抗が出来たはずですわ。
いくら二対一だったとしても、彼は魔法を持っていて立派な男性ですもの。
それでも抵抗しなかったのは彼に思惑があったからでしょう。
何度も彼女たちが動くほどに、繰り返されていて本当に逃げ出したかったのなら、手段は色々とあったはず。
父の言葉を素直に聞けばそんな当たり前の思考がやっとできて、独りよがりな復讐をサンドラが勝手に仕立てていただけだということが嫌でも理解できた。
「ふはは、静かになったな。サンドラ、お前はまだまだだ。父に任せなさい。可愛い娘」
そして勝ち誇ったようにフィランダーは笑う。それが頭に来たけれど、ふんと顔を逸らして今回ばかりは言い返さない。
ほっとすると急激に眠気がやってきて、しおらしく「ありがとうございますわ。お父さま」と呟くようにいって部屋を出た。
寝坊助なお姉さまたちのようにふらふらと歩き、目をシパシパとさせながら部屋に戻り、日が昇ってくる途中で布団に入る。
カーテンを今日だけはしめてもらって泥のように眠ったのだった。




