17 害悪
サンドラは、注目を集めるためにそのまま立ち上がって、初老の女を見下ろした。
彼女はサンドラの言動にずっと戸惑ったままで、ピンと来ていない様子だった。
「あら、びっくり。ケインズ男爵夫人は、失礼や無礼がどんなものでどういう言葉かわかるんですのね」
「は、はぁ? なにを言っているの?」
「だって、わたくし、周りの大人からこう聞いていたんですもの。誰もが言われて嫌なことをわざわざ口にして平然と人を傷つける。悪気も悪意もなく他人に失礼を働いている自覚がないと」
「な、なんですって……」
「わたくしたちの母が早世したことや、お姉さまの生い立ちを引き合いに出して人を貶めて自分を高め……そんなことを日常的にしていたのでしょう?」
「それは…………あなたには関係がないでしょう」
「関係はあります、ユスティーナはわたくしのお姉さまですわ」
「わたくしの妹でもありますのよ、ケインズ男爵夫人」
「わたくしの姉でもありますわ、ケインズ男爵夫人」
レイラとラウラも二人もとても真剣な声で言葉を添えて、ケインズ男爵夫人は二人にも視線を配って追い詰められたような顔をした後、サンドラに視線を戻した。
「けれどもジェレミーはユスティーナお姉さまに言いましたわ。ああいう人で仕方がないのだと……」
「そ、そうね。そうよ、私はただそれは、良かれと思って言っているだけでそもそも、ユスティーナに失礼なことなんて……言ってないわ」
「ユスティーナお姉さまに言ったことは、酷い言葉ではなかったと?」
「え、ええそう! 当たり前のことを教えてあげただけだわ。だからあなたも悪いことは言わないから今からでもその、主張の強い性格を治したら━━━━」
「わかりましたわ。では続けますわ。息子夫婦に見捨てられている夫人はやっぱり聞き分けもなくていけませんわ」
サンドラはきちんと座り直して大きな声で言った。
「ちょ、っ、なによ!」
「やっぱり男の子しか産んでいない母親というのは柔軟性に欠けるのかしら。頑固ですわ」
「っ……」
「生まれつきの性格を直してもらえなかったなんてきっと、ケインズ男爵夫人のご両親はきちんとした教育を施さなかったのね、不憫でなりませんわ」
「……だ、黙りなさい! どうしてそんな、それこそあなたには関係がないでしょう! 堪忍袋の緒が切れました!」
怒ったように言って机に手をついて前のめりになる彼女にサンドラもぐっと顔を近づけて睨みつけながら言った。
「わたくしの堪忍袋の緒の方が先に切れてましたわ。男爵夫人。どうして今言った言葉が失礼だとわかるのに、ユスティーナお姉さまに言った言葉は正当なものだと思いますの?」
「そ、それは、私はあの子の義母になるのだから少しぐらいは……」
「あら? 先ほどは失礼なことなどまったく言っていないとおっしゃったのに、少しぐらいはですか? では失礼なことは十二分に理解してらっしゃる?」
「え、あ……」
「わかっていて失礼を働くんですの? わざわざプライベートで口出しする必要のないことでわざわざ詰って、それは誰がされても嫌なことでしょう? ご自身でも理解されているでしょう?」
「……私は、ただ……口が滑って……」
「ではその口が滑らないように、固く弾き結んでくださいませ。なにかを言うときは失礼ではないかよく考えてくださいませ、特に! ユスティーナお姉さまと話すときは」
自覚がないようだが、そうして見下して立場を利用してはけ口にするのは立派な悪意ある行為だ。
気が楽になって優越感に浸れて気持ちいいのだろうが、された方は最悪の気分である。そのことをしかと理解してほしい。
そして誰であっても、どんな関係の相手であっても、そうされたら代わりに怒る人間がいる。そのことを忘れずに、接してほしい。
「でなければわたくしはまたこうしてやってきて、同じかそれ以上のことを何度でもしますわ。傷つけたらその分、傷つけられることを肝に銘じてくださいませ。男爵夫人」
そう言って笑みを浮かべる。彼女の眼はサンドラの熱量に若干、引いている様子で無言になった。
これ以上言うと、流石にサンドラが悪役になってしまうかもしれないのでこのあたりでやめておこうかと考える。
周りの貴族たちもこちらを注視している。彼らがどう思っているか知らないが、カルティア公爵家の令嬢に理不尽を働いた場合にはどうなるか広まってほしいと思った。
視線を逸らして立ち上がると、ケインズ男爵夫人は反論を思い立ったらしくぱっと顔をあげてサンドラに苦し紛れに言う。
「で、でも、ジェレミーは仕方ないって言ってくれたわ、悪くないって!」
薄ら笑みを浮かべて必死に言う姿に、もうやめておけばいいのにと思う。
どう返そうか考えていると、ソファの後ろでユスティーナと話をしていたジェレミーが身を乗り出して反応した。
「違う! もうやめてくれ母上! 私はただ、ユスティーナを傷つけたくない一心で言っただけだ、誰がこんな腹立たしいことしか言わない害悪でしかない母親を悪くないと思うか!」
「……」
「悪かった。ユスティーナ、君が出来る限り傷つかないように、それから
私が捨てられることが怖くて母のフォローばかりをしていた」
「はい……そうです。わたくしは怒ってはいても傷ついてはいません。なぜなら母がいないことなどわたくしたちにとっては当たり前で、だからこそ支え合ってやってきたのです。今更過ぎる侮蔑です。けれど、あなたは、必死に母は、母はとかばっているように見えました」
こちらがケインズ男爵夫人にくぎを刺しているうちに、二人はある程度話し合っていた様子で、話は終盤に入っている。
一方でケインズ男爵夫人は最後の切り札とばかりに出した息子に害悪と言われ意気消沈しソファに深く沈み込み項垂れた。
「あなたが守るべきは、ケインズ男爵夫人ですか。違うでしょう? 違うと言ってくださいませ」
「ああ、違った。間違っていた! 君だけを守りたい。母に付き合ってくれてとても感謝していた。君が私の為にそうしてくれていることをわかっていたのに気が動転してどうかしていた」
吐露するように言う彼に、ユスティーナは眉を困らせて笑って、彼の手を取る。
「ならば、良いのです。あなたにとっての一番がわたくしであれば……まぁそれに、少しはケインズ男爵夫人もこれからはわたくしに気を使ってくださると思いますもの」
そう言って彼女はこちらを見る。それにサンドラはコクリと頷いたのだった。




