14 愛する
考えているうちにライネがやってきて、一通り野鳥を観察し、彼の奏でる音楽を聴いて、それからサンドラは彼に聞いてみた。
すると彼はその話を聞いて、本当に悪意がないのか、見下しているからそういう発言をするのか、ではどうすればいいのかそういう対策を話すのではなく静かに言った。
「そうですか。……それはたしかに、違いますね」
彼は当たり前のように納得している様子で、続けてこうも言う。
「寂しいですね。とても傷ついたのではないでしょうか」
「わかるのですか」
「わかると言ってしまうのはおこがましいと思いますが、理解することはできます」
小さな鳥が餌台に止まって果実をついばむ。その様子を横目で見ながらサンドラは少し負けたような気持ちになった。
……いったい何が違うというのかしら。悪意があるにしろ無いにしろ、侮辱と取れるようなことを言うのは腹立たしい行為ですわ。
わたくしならば、そう取れることを言われた時点で言及してどういうつもりか問い詰めるでしょう。
けれどもユスティーナはそれをせず、その後にジェレミーと話をしてから別れている。
であれば彼の言葉が事実を捻じ曲げていた嘘だったとか。
しかしサンドラと父フィランダーがすぐに思い浮かべたように、ケインズ男爵夫人は少々人格に難があり、跡取り夫婦とも険悪で、友人の類もいないような人である。
昔からそうであったというフォローは正しいはずだ。だからこそ、気に留めず流してほしいと望んでいる。
それが出来ないのであればできないと言って、彼との意見の相違についてと折衷案もしくは破局の道かの選択肢を考えて導き出す。それが婚約者として向き合うということだろう。
……でもそれをしないというのは、もう終わりということですの? でもそれだと違うという言葉の意味の説明が出来ませんわ。
まるでミステリー小説を読んでいるような気分だった。
腑に落ちない表情をするサンドラに、ライネは言う。
「ただ悪気はなくとも、つらい言葉ですから無理をしなくてもいいと思います。ユスティーナ様は爵位取得を目されている優秀な方ですからきっと新しいお相手もすぐに見つかるでしょう」
「それはもちろんですわ」
「……でも、ユスティーナ様の心情からしてそちらの方面では考えていないのでしょうか。早くその喧嘩の仲直りが出来るといいですね」
ライネは優しく笑った。サンドラはその喧嘩という言葉に少しひっかっかったが元はと言えばユスティーナがそう言ったのだ。
喧嘩をしたのだと。
これがヒントになりそうだけれど難しい、答えが出ずにサンドラは少し面倒くさくなって話を逸らす。
「そういえばライネはマルガリータと喧嘩をしたことがありまして? あなたの噂の中に軽い喧嘩で暴力をなんてものもありましたわね」
「……ありません。彼女は、両親がどうにか見つけてくれた相手でしたから……」
その話をすると彼は途端に肩を落として悲しげな顔になる。
そしてその言葉に意味のない事を聞いてしまったと思う。彼ら二人の性格を鑑みれば当然の事実だし、ライネは本気でマルガリータしかいないのだと思っていた……いや、今でもいる様子だ。
だから悪意だとわかっていても、ただ受け入れて見過ごしていた。喧嘩などもってのほかだったのだろう。
しかしそれはサンドラからするとありえないことで、理屈はわかっても、共感は出来ない。
「あんなことをされて……憤りはしなかったのでしょうけれど、つらいことだったのでしょう?」
前回の会話を参考に少し言葉を変える。すると彼は、つらいことだったと認めるのを少しためらうように曖昧に「そう、ですね」と短く言った。
「なら、ほかの相手を探そうと考えたことは? 家格は気にせずに、自分も愛する人を探すことはできたでしょう」
そう思ったのだが、言ってから、また醜い自分にはと彼は言うのだろうなと思う。
「……」
悪意にさらされて、仕返しをすることができなかったとしても捨て去ることぐらいは選択肢にあるとサンドラは当たり前に思う。けれどもそれも彼は違うのか。
それはひどく窮屈で同時に、だからこそなすすべなく彼が傷つけられて笑い話にできないほどになった理由なのだから明確だった。
「……サンドラ様はどう思われますか」
しかし問いかけられて、意外だった。
彼の卑屈は生まれついての根深いものと思っていたが、案外、彼自身あの出来事があって傷ついただけではなく変わろうとしているのかもしれない。
「出来ると思いますわ。だってあなたは、素直で傷つけられる痛みを知っている優しい人だもの」
今まで接してきて彼に抱いていた印象を口にする。それらはすべてサンドラにとって好ましいものだ。
卑屈で自分を貶めて、両親の支配下にあるにっちもさっちもいかない人だけれど、悪意を持たれても、自分は悪意を持たず許すのは思いやりがあるとも言える。
サンドラにはそういう部分が足りないらしいのだ。雰囲気もきついし癒されないというは、忌々しいアントンの言葉だ。
ただ、だからこそ自分に無いものを持つ人を尊びたい。そう思う人がサンドラのほかにもたくさんいるはずだ。世の中は悪意を持った人だけでできているわけではない。
サンドラはそう思う。
「……ならば、出来たのだろうと思います。けれども踏み出せず情けないです」
しかし結局、少し卑屈な答えにサンドラは少し笑って、励ますつもりで返した。
「これからやればいいのですわ。あなたが出来ると思ってくれたことがまずは第一歩。ライネは少し、人と違った特徴を持つ魅力的な人ですわ。わたくしはあなたを愛します」
適当に言ったのだが、妙なニュアンスの言葉が飛び出して自分でも驚いた。
……愛は愛でも恋とか、そういう男女の愛情という意味ではなく尊ぶというか、大切にしたいと思っているというか、友愛というかそういう意味ですの!
心の中でそう訂正するが、今ここで慌てて否定するのもそれはそれでよろしくない。
そんな気がして、サンドラは、お得意の強気な笑みを浮かべて、ふっと息を吐きだす。
それから、ぎらついた瞳で彼を見据えて思い切り話を変えた。
「それで、先のほどの話。なにが”違う”のか教えてくださいませ。わたくし実はまったくわかりませんの」
「あ、はい。え……そうだったんですね」
「ええ! だからわかりやすく、頼みますわ」
「はい」
彼はサンドラの言葉に言及することなく、「憶測ですが」と前置きをして丁寧に話したのだった。




