13 悪気
屋敷に突然の来訪者があり、それはケインズ男爵家のジェレミーだった。
つまりはユスティーナの婚約者である。
彼が来たと告げられたのは丁度、レイラから何があったかという手紙も届き、当人のユスティーナお姉さまからどういうふうに考えているのかと聞くためのお茶会を開いていた時のことだった。
彼女はその知らせを受けて、表情をこわばらせた。
しかしサンドラが自身を見ていることに気が付いて、胸に手を当ててどうにか強気に笑った。
「大丈夫よ! サンドラ、心配しないで、少し喧嘩をしてしまったようなものなの……だから……」
大丈夫といいつつもその顔は苦しげで、サンドラは事情を知るために、それに喧嘩をしているというのなら、客観的な視点が必要だろうということで同席することにした。
妹が同席することについて気にしている暇もなくジェレミーは言った。
「君と連絡がつかなくなって、やっぱりあの日のことが君の心を病ませているのだと合点がいった。こうして突然来たことは申し訳ない。けれども私の話を聞いてほしい」
彼は前のめりになってユスティーナに言う。
ユスティーナは難しい顔をして、厳しい声で返した。
「弁明ならあの日にきちんと聞きましたわ。二人でその後話し合ったでしょう?」
「でもそれで納得がいかなかったから君はこうして突然行動に出たんだろう」
彼の指摘はもっともで、サンドラは彼らの気持ちを理解するために口を閉ざして猫のように観察した。
「……」
「あの日の夜会で、母が君に対していつもより馴れ馴れしかったのはたしかだ」
「……そうですね」
「私も席を外すときがあって、すべての言葉を正確に聞いていたわけじゃない」
ジェレミーは身振り手振りを大きくして説得するように言葉を投げかける。しかしユスティーナはあまり話し合いに積極的ではない。
その様子に、二人の考えている問題の部分に齟齬がないようにサンドラは口をはさんだ。
「質問がありますわ」
言うと、ジェレミーはちらりとサンドラを見て、それから少し戸惑った様子だったがコクリと頷く。
「具体的にはケインズ男爵夫人はどういうことをユスティーナお姉さまに言ったのかしら」
「それは……取りようによっては侮辱とも……取れるようなことを」
「具体的に聞きたいのです」
「……母は、昔気質なひとで、その、夫人が早くに亡くなったカルティア公爵家の令嬢ということもあって、ユスティーナにきちんとした躾を今からでも自分がと」
「他には?」
「男を生むために四人も子をこしらえたのは尊敬するがそれで体を悪くしては……とか」
「理解しましたわ、続けてくださいませ」
ジェレミーの言葉に納得してサンドラは話を戻すように促した。
おおむねレイラからの手紙に書いてあった内容だった。そのことが問題になっていることに間違いはないだろう。
「ああ。……ただ、知っているだろ? ユスティーナ、あの人に悪気はないんだ。何も君が嫌いで言ったんじゃない」
「……」
「悪意があればもちろん私だって、母をきちんと諫めるつもりだ。ただそういう人なんだ。昔からああで私も、いろいろなことを言われたが気にしなければいい。本当なんだ」
彼の言葉にユスティーナは静かに口を堅くひき結ぶ。
普段はあんなに元気におしゃべりなのに、今日はひどく静かだ。
「頼む。戻ってきてほしい、こんなことで私たちが不仲になるなんてだろ違うだろう。母だってそれを望んでいるわけじゃないんだ。私もきちんとフォローする、どうか見切りをつけないで欲しい」
拳を握って頭を下げるジェレミーにサンドラは考える。
……悪気はない……ですのね。それはまた難しい話ですわ。
悪気がなく言ってしまうこと、悪意はなくこぼれ出る言葉。立場が違えば人が傷つくことを知らずに言ってしまう時だってあるだろう。
サンドラもアントンのあの行為を言われたままにそう受け取っていた。
それは耐え難いと思ったが向き合おうとも思っていた。けれども結局その裏側にはまぎれもない悪意が存在していて、仕返しをするに至った。
けれどもこの場合はどうなのだろう。悪意があるのか否か、サンドラには計りかねる。年齢を重ねた人からすれば、ケインズ男爵夫人の言葉は正しいものなのかもしれない。
それに、悪意があってもなくても許せないことはあって、悪意があっても許せる場合もある。許せる範囲は人によりけりだろう。
許してほしいと願う彼に、どうするべきか首をひねって考えた。
すると今まで黙っていた彼女はぐっと眉間にしわを寄せて、くっと前を向いてジェレミーに言う。
「違う。違いますわ。わたくしは…………どうしてそれがわからないの。どうしてそう、母のことばかりを話すのですか。あなたは大切なことを見落している」
「怒っているのは母のことなのだろう?」
「その通りですわ。でもあなたの言葉は間違っている。帰ってくださいませ。そして考えてくださいませ。この、大馬鹿者」
きっぱりと彼女はそう言って、サンドラはこれはいよいよ、婚約解消かと思う。
混乱するジェレミーをおいて部屋を出る彼女の後ろをついていく。
ジェレミーはがっくりと肩を落として縋るようにこちらを見ていて、そのユスティーナを想う気持ちは間違いではなさそうだ。
であれば、話し合ってケインズ男爵夫人との関係の持ち方を考えるなり、距離を取れる環境をつくるなりやれることはあるだろう。
しかし、それはユスティーナの違うという言葉で一蹴された。
何故なのか、サンドラはそのことを直接、姉に聞くことはできなかった。
なぜなら廊下に出た途端に泣き出し、彼女は一人部屋に帰ったからだった。




