くじら座β星の君へ
彼女は、私の初めての友人だったと言っても過言ではないだろう。
少し昔話をすればそれは、もうあと三年で義務教育から解放されるという年の春に辿り着く。
当時同じ教室に割り振られていた私たちは、正直、何の接点もなかった。むしろ、誰にでも明るく笑顔を見せる彼女を避けてすらいただろう。
しかし、そう、記憶が定かではないが、私たちはいつの間にやら時間を共にするようになっていた。
彼女と話していると時に苛立ちを感じる。私の都合を考慮せず自らの欲求を満たすのみに私という存在を踏み台にしているのではないかと思わずにはいられなかった。
だが私は、あろうことかその踏み台でいられることを心地よいと思ってしまった。それでもいいか、と思ってしまった。
それがどうしたのかと問われればそれまでではあるのだが、それでもこの昔話を語るには非常に必要不可欠な要素であるのだ。
そうして私たちは「三年生のゼロ学期」というわけの分からない肩書と共に進級した。
驚くべきか、それを境に彼女とのやり取りはめっきり無くなり、顔を合わせることさえもほぼなくなった。クラス替えの影響をこれほど感じたことはこれまでになかっただろう。同時に少し、心の何処かに隙間ができてしまったのも気のせいではなかったように思う。
それから一年は特に変わったこともなく、ただ彼女という存在が私の中で薄れていくのみであった。
やがて私たちは、「受験生」などという憎らしい響きと共にまた進級した。
彼女とはまたも違うクラスに分けられたのだが、しかしとある出来事によりまたいくつか言葉を交わすようになった。
とある出来事、というのは強いて言うならそうだ、私の人生を揺るがす大いなる災悪だった。しかし私個人の身に起きたことであるが故に、今回は多くは語らずにいようと思う。
これはあくまで、彼女の物語なのだから。
さて、続けるとしよう。
とは言ったものの、ここからはもう最近のことであるから必然的に昔話とやらもここまでなのだが。
彼女には、好きな人がいるらしかった。
私がその事実を知ったのがいつかなんぞは覚えてはいないが、冬期講習という名の地獄を味わうずっと前であったことは確かだと記憶している。
おそらくもっと前、十月頃だと思うが。
しかし彼女に毎日長電話をしたいほどの愛しい相手がいるということは間違いない。某連絡アプリのトーク履歴を遡れば嫌でも証拠が出てくるだろう。
私は彼女の人間らしい一面を知った。
電話をかける勇気がない、声がききたい、会いたいと、そんな風に私に漏らす彼女は、とても美しかった。
そして何より、彼女からの愛を受け取るそぶりを見せずにいるその彼に、ひどく嫌悪感を覚えた。
しかしそれだけに留まらず、私は私自身の無力を知った。
彼女は苦しんでいる。泣いている。叫んでいる。
私は気づいていた。
気づいていながら彼女と本当の意味での対話をすることを諦めてしまっていた。
最低な判断だと知っていながら。
私は私を、脆弱な自分自身を守っていたのだ。
今。
彼女は自らの生を捨ててしまいたいと嘆いている。
藻掻いている。足掻いている。
ならば私は彼女を救わない理由などないだろう。
友よ。
君の望む未来を、どこまでも。
くじら座β星の君へ。
君が私に生きてほしいと言ってくれたように、私も君に生きていてほしい。