一緒に帰ろう(3)
カゲロウとの再会・・。
そして・・・
カゲロウをカゲロウと認識した瞬間、私の身体は勝手に動いた。
左腕が彼の首筋に周り、頬が彼の熱い胸板に飛び込む。
口が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「カゲロウ・・・カゲロウ・・!」
そして次に飛び出した自分の言葉に私は驚く。
「会いたかったです・・」
それはまるで子どもが甘える時のような幼く拙い言葉だった。
カゲロウは、一瞬、驚いた顔をしたがすぐに口元を綻ばせて小さく笑う。
「ああっ俺もだ」
そういって優しく私を抱きしめた。
この優しい温もり、声、間違いなくカゲロウだ。
私は、胸から頬を離して胸元を見る。
「怪我は・・」
「とっくに治ったよ。油が跳ねて火傷した時の方がよっぽど痛かったぜ」
料理人らしい冗談を言って彼は笑った。
その笑顔を見ているだけで私の心は熱く揺れ動いた。
灼熱が走る。
青白い炎が刃となって石畳を削りながら走り、円となって私とカゲロウを取り囲む。
私は、カゲロウから離れて熱の発信源を見る。
マナがこちらを見ていた。
猛る猛牛のように息を切らし、背筋を曲げ、両の五指の爪を燃え上がらせている。
そしてその目は怒りと憎悪に煮えたぎっていた。
「離れろ・・・」
マナのものとは思えない、歪んだ声がその口から漏れる。
「エガオ様から離れろ!」
それはまさに凶獣の咆哮のようであった。
マナのあまりの変貌ぶりに私の心臓が激しく鳴る。
「話すの後だな」
後ろからカゲロウの声が聞こえたと同時に固く、逞しい両手が私の顔を左右で挟んで固定する。
「カ・・カゲロウ?」
私は、当然のことに頬を熱くし、目を動かしてカゲロウを見ようとする。
「スーやん!」
カゲロウは、声を張り上げる。
黒い影が青白い炎の結界に飛び込んでくる。
黒い体毛を焦がし、煙を上げたスーちゃんが姿を現す。
その口には半月に抉られた私の大鉈を咥えていた。
スーちゃんはゆっくりとこちらに近寄ると大鉈を私の前に落とす。
「悪いスーやん。少し時間を稼げるか?」
カゲロウの言葉にスーちゃんは、燃える赤い目を向けて小さく嘶き、マナに向かい合う。
「死に損ないが・・」
マナは、身体をさらに低くして唸る。
スーちゃんは、ゆっくりとマナに近寄っていく。
灼熱の赤い髪が逆立ち、赤い双眸が沸る。
マナは、肉食獣のように顔を歪め、唸る。
そして次の瞬間、スーちゃんの蹄とマナの炎の爪が互いに向けて放たれ、ぶつかり合う。
火花が飛び、剣戟のようにお互いの攻撃をぶつけ合う。
速い!
私の目でも追うのがやっとな乱撃。
マナの炎の爪の形状が歪む。
スーちゃんは、目を細めて5本の脚を使って背後に飛ぶ。
爪が吹き荒れ、炎の竜巻となって舞い上がる。
マナは、攻撃が外れ、悔しそうに顔を歪ませる。
スーちゃんは、2度と同じ手は食わないと言わんばかりに鼻息を鳴らして素早く体制を立て直し、マナに向かって尻尾を鞭のように振るう。
マナは、両手をクロスして尻尾の一撃を受け止めるもその威力に吹き飛ばされ、地面に転げ回る。
スーちゃんは、倒れたマナを迎撃すべく地面を一気に蹴り上げて宙を舞い、その大きな後脚を重ねてマナに放つ。
マナの口から青白い炎が膨らむ。
マナの口から放たれた熱線は美しいまでに真っ直ぐに伸びてスーちゃんの身体を捕らえる。
空中では避けられないと悟ったスーちゃんはそのまま蹴りを放つ。
熱線がスーちゃんの脇腹の肉を抉る。
後脚がマナの腹部に激突する。
スーちゃんは、苦悶に顔を歪ませ、マナの苦痛に顔を歪める。
接戦だ。
でも、ひょっとしたらスーちゃんならマナを・・。
その考えがよぎった瞬間、息が詰まったように胸が痛くなり、私は目を逸らしそうになる。
「ほら、ちゃんと見ろ!」
目を逸らしそうになった私に気づいたカゲロウから叱責が飛ぶ。
「スーやんじゃあの子を倒すことは出来ても救うことは出来ないんだぞ」
えっ?
私は、思わず振り返りそうになるがカゲロウにがっちり頭を抑えられて向くこと出来ない。
「あの子を良く見ろ」
「えっ?」
「お前なら・・・あの子を救える」
私が救える?
マナを⁉︎
私は、スーちゃんと闘うマナを見る。
その瞬間、空間が切り取られたように形を失う。
建物も、石畳も、音も、スーちゃんも、そしてカゲロウも無くなり、マナだけが私の目に映る。
マナ・・・。
青白い炎の体毛。
体毛の中を泳ぐように這う魔号
醜く、大きく膨らんだ炎の両腕。
刃のように凶悪な五指の爪。
灼熱の熱線を放つ口。
しかし、その姿形は私の知るマナそのものだ。
『エガオ様』
可愛く、朗らかな声色で私の名を呼ぶマナの姿が浮かぶ。
マナ・・・マナ・・・。
その時だ。
青白い体毛と魔号の間を何かが通り過ぎた。
私は、目を凝らす。
かつての戦場で敵を逃さぬように網目のように視界を張り巡らせた時のように。
見える。
青白い体毛と魔号の間を森の中を駆け回るリスのように飛び交うその姿は・・・。
「魔印・・・?ヌエ・・?」
それは苦悶を浮かべるヌエの表情を型作った魔印だった。
しかも一つではない。
10・・いや100は超えるヌエの表情の形をした魔印が体毛と魔号の海に紛れるようにマナの身体を舐め回すように蠢いていた。
私は、あまりの悍ましさに小さく悲鳴を上げた。
「見えたか」
カゲロウが静かに聞いてくる。
私は、カゲロウに頭を掴まれたまま頷く。
「あれは魔法騎士の残留思念が魔号になって形作ったものだ。本人は力を失ったけど念は残って、それがウイルスや他の魔号と融合して新たな魔印を創ったんだ」
新たな魔印?
「なんでそんなことが分かるんですか?と、言うかなんで魔印のことを?」
「前も言ったろう?こう見えて本が好きで雑学に長けてるって」
本って凄い・・・。
「アレがマナをあんなにしたんですか?」
私の質問にカゲロウは小さく頷く。
「それだけ国への恨みが強かったんだろうな。そしてあの子自身も・・」
「マナ・・・」
私は、左手を握りしめる。
カゲロウの手が私の頭から離れる。
別に撫でられていた訳でもないのにカゲロウの温もりが離れただけで少し寂しく感じるのは何故だろう?
「あの子を救うにはあの魔印を全て破壊するしかない」
「破壊?」
私は、振り返ってカゲロウを見る。
「そうだ。あの子の身体を傷つけずに魔印だけを破壊する・・とんでもない高等技術だ。スーやんにはそんなことは出来ない。出来るのは・・・」
カゲロウは私の頭にそっと手を置く。
「お前だけだ」
カゲロウの大きな手がくしゃっと私の髪を撫でる。
「あの子を救えるのはお前だけだよ。エガオ」
私だけが・・マナを救える?
私が・・・マナを⁉︎
カゲロウは、小さく頷く。
「ああっあの子を助けよう。そしたら・・」
カゲロウは、口元に優しい笑みを浮かべる。
「帰ってご飯を食べよう」
鼓動が速く、熱くなる。
私は、身体が、唇が震えるのを止められなかった。
「・・・っていいの?」
声が震えすぎて聞こえなかったのか?カゲロウは顎に皺を寄せる。
「私・・・帰っていいの?」
私は、振り絞るように声を出す。
あそこに?あの綺麗な場所に?
カゲロウは、何言ってんだと言わんばかりに首を傾げる。
「何言ってんだ?、当たり前だろう」
「でも、私の手・・・また穢れて・・・」
カゲロウは、小さく嘆息すると私の左手に自分の左手を絡めて私の顔の位置まで上げる。
あの月の夜のデートの時のように。
「あの時も言ったろう?」
カゲロウは、小さく笑う。
「お前の手は穢れてないって。誰よりも綺麗だって」
目が熱い。
知らぬ間に涙が一筋私の目から流れ落ちる。
「ウチには・・俺にはお前が必要なんだよ」
カゲロウは、ぎゅっと私の手を握る。
「一緒に帰ろう」
心に花が咲く。
暗い靄が晴れていく。
あの時に生まれた、名前すら知らなかったあの感情が私を満たしていく。
今なら分かる。
この感情の名前は・・・。
「・・・はいっ」
私は、涙に濡れた顔で大きく頷いた。
カゲロウは、優しく微笑んだ。
自覚した自分の想い。
最後の戦いが始まる