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~開花転生~  作者: 接近不可
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1話

作者は物語を作成することが初めてなので、至らない点や矛盾する点、誤字脱字や改善点などは逐一報告して頂けると助かります。

不定期にはなると思いますが、これからもボチボチ続けて行く予定ですのでどうぞ暖かい目で見守っていてください。

今後ともよろしくお願い致します。



「世の中は退屈だ」

高校1年生も残り4ヶ月を切った頃の夜、俺は至る所にイルミネーションが飾られている道を白いため息をつきながら呟いた。


それは中学校に入学していた頃から常日頃思い、悩んできたことだった。一時期はそれを理由に自殺をしようと考えたこともあった。

それくらい俺にとって「退屈」の2文字は辛く重いものだったのだ。


俺は幼少期から何でもそつ無くこなすことができた。

勉強は幼稚園生の時から教育を受けていたのもあって、トップの成績を納めてきた。運動に関しても、元々運動神経が高かったために、サッカーにしろ持久走にしろ50、100m走にしろ、学年でも1、2番には入ってきた。それは中学校でも同じだった。部活は入っていなかったが、大会などにはいくつかの部活に助っ人で呼ばれ、定期テストなども一切勉強しなくとも上位に入っていた。

高校入学の際もそれほど勉強せずに都内でも有数の進学校に入学した。

それでも俺は天才ではない。自分でも理解している。

どんなに周囲の人間が俺を褒めようと、所詮俺は優秀止まりだ。

ただ、優秀で万能であるが故に俺はこの世の中に退屈している。天才であれば好奇心が退屈を紛らわせ、凡人であればやらなければならない事が退屈を埋める。

無能であればただ馬鹿騒ぎをしていれば時間が過ぎる。

そう。俺は残念なことに優秀だ。

優秀であるがために退屈だ。


そしてその気持ちはいつしか「退屈」を埋める「充実」への願望へと向けられるようになった。

毎年この時期になると日本はクリスマスという宗教の祭典に便乗して、いわゆる「リア充」が大騒ぎをする。


正直言って馬鹿らしい。サンタクロースという名の小さい子供の幻想を信じている訳でも無いのに、世の女性がこぞってサンタコスなどという本来の方向性から全く外れた布面積の少ない衣服を着て、パーティーだのホテルだのでハチャメチャするのだ。

それもいい大人がだ。


全く興味はないが、それでも「充実」できるのであればそれはとても羨ましいことだと俺は思う。

ただ俺はそんなものでは充実できない。

それを深く理解してしまっている。


なぜなら、俺には中学時代に彼女がいたからだ。

自慢じゃないが、俺はクラスの女子にイケメンと噂されるくらいには顔がいい。そのため女子から告白される機会も何度かあった。

俺は当時誰かと付き合ったら退屈が紛れるかもと思い、学年でもかなり顔がいい女子に告白された時

その告白を受けた。


特にその子のことが好きな訳ではなかったが、俺は今までに好きな人ができたことは無かったのでその辺はあまり気にしなかった。


その子はThe女の子のような人で、少女漫画のようなものに憧れている節があった。

俺はそれが分かった時(あぁ。世の中の女子は本当に相手が好きな訳ではなく、恋愛をしている自分が好きなんだな)と思った。


それからは異性との恋愛に何かを期待することはなくなり、恋愛が自分に必要ないものであるという結論を下した。


恋愛をしている自分が好きなのであれば、対象に顔、学歴、お金等々必要なステータスが揃っていれば、相手にそこまで執着する必要はないわけで

浮気や不倫などに繋がる要素は十分に考えられる。

相手に入れ込んだのに浮気をされたなど、心が壊れてもおかしくないと思った。

残念ながら今の日本にはそういう行為への対策が非常に少ない。ましてや婚姻関係にない10代の恋愛なんて、個人の良心に委ねられているのだ。


とまあこのような理由から、俺は「リア充」にはなれない。

非常に虚しい。


それでもクリスマス気分を味わいたい俺はネットで買ってバックに入れて置いたジンジャークッキーを1つ頬張り、クッキーで乾いた喉をクリスマス仕様のコ○ラで潤した。



ところで俺は皆に問いたい。

何故皆は神に救いを求め、信仰するのであろうか。

人によって答えは違うだろう。

『願いを叶えて欲しいから。親がそうしているから。

友達に誘われたから。人生の指針が欲しいから。』

恐らくそういったところだろう。

そういう考えがある事は認めるし、人それぞれの思想だからそれを否定するつもりは毛頭ない。

だが俺はそういった行動はどうしても無意味だと思ってしまう。

なぜなら

神がいるのなら

本当に救いを与えてくれる神が存在するのなら

紛争地区に住み、何も悪いことをしていないのにただ無慈悲に惨殺されている人間がいるはずがないのだから。

もちろんそれだけでは無い。

世の中には様々な理不尽がある。

その上で仮に神がいるとするならば、その神はただ観察する者であって信仰するような対象ではないだろう。


恐らくだが、神という存在は設計された世界(地球)を観察して楽しむような存在だろう。

考えてみてほしい。

前提として、AIにはトップダウン型(既存のAIでプログラムされた物)とボトムアップ型(未開発のAIで脳のような物を電気信号によって作成する物)があることを理解して頂きたい。

もし人類が既存のトップダウン型ではなく、ボトムアップ型AIを開発し、その発達過程を研究するという事になったら

人間はボトムアップ型AIから見てどのように映るだろうか。

我々人類はその世界の創造者であり、我々にとっての神と同じような存在になる。しかし同時に我々はAIの発達を見守る観察者としてしか機能せず、ある一定の境界を超える存在が現れないのであれば、我々がその世界に干渉することはないだろう。

そう。例えばAIがイレギュラーな存在を利用し、我々人類に接触するようなことがない限り。


故に俺は神という存在は我々にとって必ずしも都合のいい存在とは限らないと思う。


クリスマス→宗教→神の信仰

と気づいたら随分と話が発展してしまっていた。

せっかく綺麗に飾られた街を歩いているのだから、難しいことは考えずに早く帰ろう。


そんなことを思いながら歩いていたら、不意に尿意が襲ってきた。

「寒いのにコ○ラ飲んだからかな?」

俺は急いで近くにあった公園の公衆トイレに入った。


用を足した後、綺麗好きな俺は念入りに手を洗って顔を上げた。

その時は突然訪れた。



「....え?」



顔を上げた瞬間に"何か"がいるのが分かった。

理解した。いや、理解させられた。

そのトイレの鏡は合わせ鏡だった。

俺は読書家で、その手の話もたくさん読んできた。

だから分かった。

その"何か"は合わせ鏡の"悪魔"であると。

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