リルラリール
「《エルダナの歴史》……と言えば、やはりリルラリールかしら……」
リルラはそう呟きながら、本を選ぶ。
リルラリールに関する本は、螺旋階段を登らずに、入口からそのまま真っ直ぐに行った奥の壁に並べられていた。
規則正しく並べられたその本は、年代を感じさせるものもあるが、ごく最近のものもある。著者はリルラリールだけではなかったから、口伝を書き記したものもあるのかも知れない。
リルラについて回っていた玖夜が、口を開く。
「……ねぇ、やっぱりリルラリールって、歴史に名を刻むほどすごい人なの?」
玖夜は首をかしげ、リルラに尋ねる。
「あ、そう言えば、リルラの名前にも、リルラリールの名が使われているのね……?」
フィーリシュカもリルラに話しかける。
リルラはくすりと笑って、二人に説明を始めた。
「リルラリールの名前は、このエルダナでは結構人気がある名前なのよ」
言って一冊の本を示す。
「この本、二人は知っていて?」
「本?」
二人はリルラが指さす一冊の本を覗き見る。
「「《王女と魔法の種》……?」」
玖夜とフィーリシュカは、同時に本の題名を読む。
「え、えぇ、知っていますわ……」
題名こそ違えど、この話の内容はマトラ公国でも語り継がれている。
舞台はエルダナでの出来事であっても、世界を恐怖のどん底に叩き落とした《魔王》の話でもあり、その魔王を抑えた姫の話は、どこの国へ行っても英雄譚として語り継がれていた。
「うん。俺も知ってる。魔王を抑えた、姫さまのお話だろ?」
玖夜も頷く。
リルラはそんな二人を見て微笑むと、言葉を続けた。
「えぇ、このお話は有名ですものね。きっと知っていると思ったわ。……だけど、これは知らないでしょう。姫さまの名前」
──姫さまの名前。
フィーリシュカと玖夜は、顔を見合わせる。
「え? 名前? ……だって、名前なんて一個も出て来ないだろ? 魔女にしたって、魔王にしたって、姫さまだって結局最後まで名前なし……」
「いいえ、出て来ましたわ。名前! ダズールの名前! あの《悪魔の種》をけしかけた隣国の第二王子のダズール!!!」
憎々しげに、フィーリシュカは唸る。
「あの悪魔の種をけしかけなければ、姫のいたフェルディア国は今も繁栄を極めていたかも知れませんのに……!」
眉を険しく寄せ、フィーリシュカは悔しげだ。
リルラはそれを見て、苦笑する。
「ふふ。まぁ、そうよね。……けれどね、ダズールが悪魔の種をけしかけていなかったのだとしたら、このエルダナは、国として生まれなかったし、種に封じ込められていた魔王も救われなかったもの。……結局、人的被害は皆無に等しくて、逃げた人々も周りの国々に支えられて、エルダナを復興する事が出来たの。……確かに不幸な出来事ではあったけれど、全てがマイナスだったとは、わたしは思っていないのよ……」
そう言って笑う。
「そうそう、話がズレちゃったけれど、名前! 姫さまの名前! 姫さまの名前の話だったのよ? さぁ、物語の主人公の姫の名は!? ……ふふ、知らないでしょう……?」
リルラはウキウキと二人を覗き込む。
「……うん。知らない」
玖夜は唸る。姫の名前など聞いたことはない。
よく知っている話だったからこそ、名前くらい知ってる! と言いたいところだが、よく考えてみれば、名前など聞いたことがなかった。
けれどフィーリシュカは何かを察知したようで、眉をひそめる。
「ま、さか……」
フィーリシュカが唸る。
そんなフィーリシュカを見て、リルラは手を口元に当てて、ふふふと笑う。
「そう。そのまさかなの。姫の名前は《リルラリール》」
「え!? えぇ? え、てことは、過去にリルラリールは魔王に会っているの……!?」
玖夜は目を見張る。
「え、ちょ、ちょっと待って下さいませ……! だったら、何故こんなあやふやな物語で歴史を後世に残してしまったのですか? 史実として、しっかり残しておけば、今も現存すると言われる《悪魔の種》に対抗する術を、私たちは持てるのではなくて……!?」
フィーリシュカはリルラに詰め寄る。
ずっと手をこまねいていた魔王の存在。その魔王をおさめたのが、この絵本に登場する姫なのである。その姫がリルラリールだと言うのなら、魔王のみならず、《悪魔の種》とその《残滓》もどうにか出来るのではないだろうか?
実際、現時点で存在しているのは《悪魔の種》……だけではない。正直なところ、森の奥深くでは《悪魔の残滓》と呼ばれる黒竜が、うじゃうじゃいるのだ。黒竜がいるために、踏み込むことが出来ず、未開の地となっている場所は、様々な国で存在する。
マトラ公国とエルダナを繋ぐ森……ナルサの森もその一つだ。
その存在は決して歓迎されるものではなく、むしろ殲滅する方法を探しているくらいなのである。
もしも、このリルラリールの詳しい情報が手に入れば、その殲滅作戦の成功に、一歩近づけるのではないだろうか? フィーリシュカは真剣だ。ずずいっとリルラに詰め寄った。
「え、ちょっ、……わたしにそう言われてもね……」
冷や汗を掻きつつ、フィーリシュカの勢いに押されリルラはあとずさる。
「実際、リルラリールはその事について、何も知らないのよ……」
「「《何も知らない》……!?」」
玖夜とフィーリシュカは声を揃える。
リルラは頷く。
「史実を残すようになってから現れたリルラリールには、その時の記憶がないの」
「記憶がない?」
「それってどういう……」
二人の質問に、リルラは肩をすくめる。
「記憶がないって言うのは、何も記憶喪失になっているとか、そういう意味じゃないのよ? 今まで現れたリルラリールに、その時の経験がないだけだから。もしかしたら、同じ名前の全くの別人なのかも知れないし、本人であっても、魔王と出会うその時間に、まだ行っていないだけなのかも知れない。それは本人すら分からないの。だってリルラリールは、時系列で時を戻るわけではないから」
「え、それって、どういう事? 意味が分からない……」
玖夜が頭を抱える。
その隣で、フィーリシュカがなるほどと頷く。
「えっと、それはこういう事かしら……? この図書館には、リルラリールの記憶を収めてはいるけれど、私たちのいる現代までにリルラリールが体験した出来事であって、今現在リルラリールは、魔王に会うハズの時代には行っていない。もしくは、魔王に会ったのは、別人かも知れない。けれどもし、魔王に会うのが、過去戻りをするリルラリールならば、必ず文章として残すはず。けれどそれがまだ行われていないとすれば、現時点での結論はこうなるハズ……」
フィーリシュカはそこで深呼吸をして、真剣な顔になる。
そして、震えるように囁いた。
──リルラリールは、まだ、この世に生まれていない。
しん……と当たりが静まった。
図書館の外で、冬の到来を告げる鳥のさえずりが聞こえた。
その声はとても澄んでいて、清らかな声だった。