王立図書館
図書館の周りは、人工的に造られた雑木林に囲まれ、落ち着いた趣を醸し出している。
今はもう花など咲いていないが、春になると辺り一面コブシの花が咲き誇り、まるで夢の世界にいるような情景を描く。サラサラと音を立てて散る枯葉が、今は物悲しくも美しい。
きちんと整えられた植木がサイドに置かれ、図書館は万人を歓迎しているかのようだったが、人は少ない……というか、誰もいなかった。
閑散とした入口は、まるで閉館しているかのようだったが、この王立図書館は閉館する事はないのだと言う。訪れた者の魔力を吸い上げ、運営している図書館なのだ。閉める必要がない。
六角形の大きな柱のようなこの図書館は、王都の中央に位置する。正確に言うと、王城のすぐ隣に建てられた。
夢の中のリルラリールは、どの時代であっても、必ずこの図書館を目指し、蔵書を少しずつ増やしていったのだそうだ。
その蔵書数は計り知れず、孤独に時を彷徨った姫の苦労がうかがえた。
「……うぇ。こんなにも本を書けるほど、時を彷徨ったの……?」
図書館に足を踏み入れた玖夜の最初の一言は、それだった。ポツリと呟いて、これでもか……と言うほどの変な顔をする。
リルラはその顔を見て、くすりと笑う。
「そんなわけないわよ。当然、他の人の書いた本だって、今は置いてあるのだから……!」
「そ、……そうですわよね。いくら時を巡ると言っても、この蔵書数は多すぎますもの……」
フィーリシュカが呟きながら、図書館を見上げた。
図書館の内部は、至ってシンプルだ。
六角形の筒状の建物の中央に、大きな柱がそびえ立つ。
柱にはビッシリと魔法陣の文言が刻みつけられ、それらが淡く虹色に輝いている。
建物の壁側に、問題の本はズラリと収まっていた。その蔵書数は国内随一と言われている。
幼児向けの物から専門書まで取り揃えているのだが、いかんせん魔力を吸い取られ、時には命の危機にすら陥る図書館に、好き好んで訪れる者は、そうはいない。
図書館……としての性質を見誤っているようにも思われた。
もしかすると、昔の者の方が魔力量が多かったのかも知れない。けれど、このままいくと、図書館は立ち行かなくなってしまうという事で、この問題は、国の課題ともなっているようだ。
幸いにも玖夜、リルラ、フィーリシュカの魔力は桁外れのため、難なくこの図書館を利用出来た。
そんな多くの蔵書数が並べられている本棚を縫うように、大きな螺旋階段が天井まで伸びている。所々に広い踊り場のようなホールがあって、机や椅子、ソファー等が置かれている。
図書館……と言うよりは、むしろ資料室。本だけでなく、くるくると巻いた巻物や標本のようなものまであった。
「あの、中央の柱のようなものは、本当は柱ではないのよ」
リルラは説明する。
「……柱じゃない?」
玖夜は眉をしかめる。
ずっと避けていた図書館。久しぶりに来たと言っても、以前にも玖夜は何度かこの図書館に、足を踏み入れていた。
しかし、図書館の内部の説明など、細かく受けた記憶はない。初めて聞く図書館の説明に、玖夜は目を丸くする。
すると、フィーリシュカがくすりと笑う。
「まぁ、玖夜さまったら」
その笑顔は少し悲しそうで、見ていると心が痛くなる。
「……玖夜さまは、ここに来ることを頑なに拒んでおられましたもの。だからご存知ないのですわ……。私ですら、この柱のような物が何なのか、存じておりますのに……」
「……」
それは、フィーリシュカよりずっと長くこのエルダナに住んでいる玖夜にとって、痛い一言でもあった。
「いなくなってしまった者を、心配するお気持ちは分かります。けれど、その事で心を閉ざし、目の前にあるものすら見えなくなるのは、違いますでしょう?」
フィーリシュカは、玖夜を見つめる。
「ここは、ダリスさまとラースさまが産まれた地。お二方が今はいなくとも、彼らが育ったこの地はここにあるのですもの。まずはこの地のことを知るのも、お二方の居場所を探る手立てとなるかも知れません……」
「……フィー」
フィーリシュカのその言葉には、何の根拠もない。
けれど、いつまでも悲しんでいられないという事を、玖夜へ伝えたかった。
玖夜は黙って、大きな柱を見上げる。
(もうすぐ、一年……)
玖夜自身も、このままではいけないと分かってはいる。分かってはいるが、なかなかその一歩が踏み出せないのだ。
二人がいなくなってからの一年は、ひどく長かったような気もするし、短かったような気もする。
一年前のあの時あの場所に、ダリスとラースを置いてきぼりにしてしまったような感覚がどうしても拭い切れずに、玖夜は前に進めなかった。進めば二人との距離が離れていくような、そんな気がしたからだ。
けれど、それは違う。
目を伏せた玖夜に、リルラが呟く。
「玖夜、お兄さまは死んではいないのよ……?」
「!」
リルラの言葉に、玖夜はハッとして、顔を上げる。
リルラは少し、怒っているようにも見えた。
「お兄さまは今もちゃんと何処かで生きていて、わたしたちの事はお構いなしで前に進んでいるはずよ。……なのに玖夜だけが取り残されて、じっと黙ってお兄さまたちを待ってるの? もう、そんな所にお兄さまたちは、いないと言うのに……」
リルラの口調は厳しい。
「リルラ……」
「わたしは、前に進むわよ。だってお兄さまばかりが成長するのは癪だもの」
ムッとして続ける。
「お兄さまったら、いつもそうなのよ。小さい頃、あんなに仲良く遊んでくれたのに、学校の寮に入った後からは、ちっとも遊んでくれなくなって、まるで自分だけ大人になったみたいに静かになられて……!」
そう言ってぷりぷりと怒り、頬を膨らませた。
陶器のような白い頬は、驚く程に膨れ上がって、ほんのり朱色に染まる。フィーリシュカが、思わずぷっと小さく吹き出した。
リルラはそんな事にはお構いなしで、おもむろに玖夜の頬を、その細い両手の指で、うにーっと引っ張った。
ハリセンボンのように膨れた顔が近くに現れ、玖夜はたじろぐ。
「そしてそして、こんなに可愛い玖夜を独り占めしてたんですもの! もう、立ち止まってなんかいられないわ! ……わたしだって、……わたしだって! お兄さまが知らない事を見つけて、今度会った時に自慢するって決めたんだから……!」
リルラの深緑の目が、潤んだように見えた。
「リルラ……」
玖夜はリルラの寂しさを、今やっと理解出来たような気がした。置いて行く悲しさ……置いて行かれる悲しさはどちらも同じくらいに辛いものだ。けれど、遠く離れていても同じ速さで進むのなら、共に歩んでいるのと、何ら変わりはない。
玖夜は、そんな風に決心しているリルラの頬を優しく両手で包み込む。リルラも、この答えに行き着くまで、きっと辛かったのだろう。今にも泣きそうな顔をしていた。
「分かった。俺も前に進む。……ありがとう、心配してくれて。……ずっと……ずっと怖かったんだ。置いて行かれたような気がして……、ううん。俺が二人を置いて歩いて行くことが、ずっと怖かった」
言って目を伏せる。
「……玖夜」
リルラはそんな玖夜を覗き込む。
「……そう、だよね。死んだわけじゃない。……俺ね、兄さまと約束したんだ。二人を探そうって、どんなに時間が掛かっても、見つけるぞって……」
だけど……と玖夜は呟いて、柱を見上げる。
見上げた柱は驚く程に高くて、てっぺんが見えなかった。
「……兄さまはとても忙しくしていて、探しに行くどころか、俺に会うことすらままならない。このままずっと探しに行けなくて、俺も兄さまも……それから皆が、ダリスとラースを忘れるんじゃないかって、……ひどく、怖かったんだ」
玖夜の言葉に、リルラは頭を振る。
「そんな事ない。そんな事はないのよ、玖夜! だって、お兄さまはわたしの大切なお兄さまですもの。忘れるなんて、そんなこと出来っこないもの……!」
「そ、そうですわ。私も、あの時ダリスさまを助けられなかった事が今でも心の中に突き刺さっていて、どうしようもなくなる時がありますもの。忘れたくても忘れられるはずはないのです。……けれど今はまだ、見つけ出す時ではないのでしょう……。まだ今は、私たち……それも玖夜さまの心を落ち着けるのが先。気が焦る中で探しても、目の前すら見えない私たちの目に、遠くのお二方が見えるとは、到底思えませんもの。……まずは心を落ち着けることが先決ですわ。そして、その後でしたなら、この私も僭越ながら、お二人をお探しするお手伝いを致しますわ!」
フィーリシュカが拳を握る。
「それに、何もしていない訳ではありませんのよ? 我が国で二人も消えたのですもの! これは由々しき事態。マトラ公国では未だ捜索を続行しています……! 学生が探すよりも、ずっと効率的に探しているのですもの。きっと良い知らせが届くに決まっていますわ!」
玖夜は二人の言葉に、ふわりと笑う。
「うん。……ありがとう。俺も皆に負けないように、歩いて行きたい……」
少し悲しげに言う玖夜ではあるが、少し前向きな言葉を聞いて、二人はホッと胸を撫で下ろす。
「さぁ! そうと決まれば、うかうかしていられない! さっさと課題を済ませて、今日はエルダナ探索と洒落こみましょう!」
「おー!!」
リルラとフィーリシュカは勢いよく、拳を頭上に突き上げる。
それを見て、玖夜は冷や汗を掻く。
「あ……あの、分かった。分かったから、だから静かにね……。ここ、図書館だから……」
しーっと口に人差し指を立てた。
それを見て二人はハッとする。
「ふぐ……。そ、そうでした……」
リルラは、小さく肩をすぼめた。それからふふふと三人は顔を突合せて笑う。
けれど図書館には、三人を注意する者などいない。
魔力を吸い上げる図書館には、下手な者は近づけないのだから。
歴史の先生が笑いながら言った、
──エルダナの歴史を紐解き、自分の魔力を見つめ直そう!
『自分の魔力を見つめ直そう!』とは、魔力を吸い上げるこの図書館で、自分の力量にあった時間内で調べ物をする……そういう課題なのかも知れない。
そんな事を思って、玖夜は小さく笑う。
図書館で、自分の魔力量を知る……それもまた、必要不可欠な事柄である事には、間違いなかった。