停止の魔方陣
──停止の魔方陣が、解除されている。
背中に三日月型の紋様が現れ、兄さまが調べてくれた。
その兄さまが、息を呑んでそう呟いた。
「解除されたの……?」
俺がそう尋ねると、兄さまは苦しげに顔を歪め、必死になって微笑みをその顔に張り付けた。
「あ……あぁ、そうだ。私も解除したいと思っていたから、ちょうど良かった……」
口ではそう言ったけれど、本当はそうは思っていないってこと、……俺は知っている。
だって、兄さまがあの魔方陣を解除するのは、絶対に不可能だから。
兄さまのお父上……猩緋国の現皇帝弓凪さま。その弓凪さまが力を行使し、無理やり付けさせた魔方陣。
何時でも俺を死に至らしめることの出来る、俺の弱点。
それは兄さまにとってもそうで、俺にその魔方陣を書いたあとからずっと、兄さまは俺の背後に立つようになった。俺を外敵から守るためだ。
多分兄さまは、自分で望んでこの魔方陣をつけたんじゃない。
そんな事は、直ぐに分かった。
酷く悲しい顔をしていたから。
だけど、同時に分かったことがある。
兄さまは、皇帝には逆らえない──。
「……」
別に逆らって欲しいなんて、思ったわけじゃない。
でも、いつも《守ってやる》と抱きしめて、囁いてくれたあの言葉が、本当は真実ではなかったのだという事が、少し悲しかっただけだ。
多分その思いは、兄さまも同じ……。
唯一抗えなかった存在に、ラースは簡単に干渉し、消し去ってしまった。
だから想いは複雑なのだと思う。
「……これも、何かの魔方陣のようだ」
兄さまは、ぽつりと言った。
停止の魔法陣は解除されたけれど、俺の背中には新たな魔法陣が現れた。三日月のような形の魔法陣と、花のような魔法陣。
三日月型の魔法陣は、ラースに渡した魔法制御のピアスを思い起こさせた。あれはお月さまみたいだった。青みを帯びた綺麗な銀白色の丸いピアス。
そのピアスは、小さく欠けてしまったようで、ラースの耳に輝くそれは、立待月のように少し細くなっていた。その欠片を俺の背に押し付けた。《返す》……と言って。
だからこんな形の魔法陣があらわれたのだろうか……?
俺はそんな不安を兄さまに見せたくなくて、口を開く。
「魔方陣?」
俺の言葉に、困った顔で頷く。
「魔方陣である事は確かだ。でも、何の魔方陣なのか、よく分からない」
言って俺を抱きしめる。
──だから、誰にも触らせてはいけないよ。
そう言って。
「……」
優しくて、懐かしいその香りに、俺は目をつぶる。
兄さまは、あったかくて気持ちよくて、俺は正直ホッとした。
やっと帰って来れた。
……そう思った。
ずっと抱きしめて欲しかった。
離して欲しくなかった。
……もう二度と。
だから俺は、兄さまの背に自分の腕を回す。
腕を回して、ギュッと握りしめた。
もう二度と、離したくなかったから。
けれど兄さまは、ハッとしたように肩を揺らして、俺から離れた。
「兄さま……!?」
非難がましく叫んだけれど、兄さまはこっちを見てくれない。
目を逸らして、小さく呟いた。
──もう、お前を守ってやれない。
お前は、もう自由なのだからと……。
意味が分からなかった。
言われて酷く悲しくなった。
それって、どういう意味なの? 兄さま……!
言われた意味を必死になって考えた。
けれど今も、その意味は分からない。
もう、嫌いだという事なのだろうか?
お前はいらないって?
俺が逃げたから?
ずっと傍にいなかったから?
目の前がぐるぐる回った。
ずっと逢いたかった。でも怖かったのも確かだ。
俺が逢いたいと思っていても、兄さまはそうじゃないかも知れない。
実際、そうじゃなかったんだ……。
涙が頬を伝った。
掴もうとする大切なものが、するりするりと逃げていく。
俺はどうしたらいいの?
何にすがればいい?
ダリスもラースもいない。
近くにいるはずの兄さまも、信じられないくらい遠くにいるみたい。
何に頼ればいい?
どうしたら、元に戻れるの?
何が悪かった?
俺があの時逃げたから?
あの時逃げなかったのなら、兄さまは俺を抱きしめてくれた?
ずっと傍にいてくれた?
俺が全てを台無しにした。
そう……だった。
あの紅蛇の間も、俺が暴れたから崩れたんじゃないか。
たくさんの人が避難したって言ってた。
フィーリシュカの夢だった工房。
やっと実現したのに、俺が壊した。
全て、俺……。
俺のせい……。
そう。
何もかも──