05 次なる依頼は?
ライラの家に総司と美里が住むようになって十日が経った。
その間、総司とライラは美里にこの世界の一般的な知識を教えていた。と言ってもデムローデの街に来るまでいた村で、生活するだけなら問題ない程度の知識は既に覚えていたらしく、教えていたのは文字の読み書きが主だった。
最初のうちは総司がノザル村で教えてもらっていたようなやり方で教えていたが、総司よりも覚えが早く、簡単な文章の読み書きなら多少苦戦するが、問題ないレベルで理解できるようになっていた。
その美里の理解力は総司と比べて早く、正確に理解していく為、それほど苦労することなく習得していくものだから、教えていたライラなどは驚いていた。
「――――――って訳だ。ここまでは理解できたか?」
「・・・・・・うん。大丈夫」
そうして今日も朝から美里は総司に教えてもらいながら勉強をしていた。その光景を二人が座るソファーの反対側で装備の手入れをしながらライラは眺めていた。
「それにして、覚えるのが早いな。もう殆ど読み書きも出来るんじゃないのか?」
ティソーナの刃の手入れをしながら美里の頭の良さに呆気にとられる。
「そこまでじゃないよ。難しい文章はまだ全然分からないし」
「けど、幼児向けの本に載ってる文字ぐらいは読める様になってるよな」
「それくらいなら読めるようになったかな」
美里はそう言ってテーブルに置いてある教材代わりの幼児向けの絵本を手に取り適当なページを開いて読み上げる。
「『湖に浮かぶ小さな社、そこに住まう精霊は月と星が瞬く夜に誘われ踊り始める。それを遠くから幼い少女と少年が手を繋ぎながら眺めていた』」
少したどたどしくあるが、そのページに記載されている文章を最後まで読み切る。
「そこまで読めれば大したものだ。アタシは読めるまで随分かかったからな」
「俺も同じだ。闘気法の訓練もしながらだったし、覚えるまで時間が掛かったからな。それに俺もそこまで難しい本とかの内容までは読めないからな」
ライラは問題ないが、総司は専門書などに記載されているような難しい文章はまだまだ読めない。
「まあ、美里は元々頭がよかったからな」
「そうなの?」
自分の事を言われているに、どこか他人ごとのように首を傾げる美里。それに苦笑を浮かべながら総司はテーブルに置かれているカップを手に取り茶を啜る。
「俺達がいた世界の学校、知識を学ぶ場所で美里は俺よりも頭がよくてな。成績だけで言えば上から数えた方が早いぐらいだったよ」
「知識を学ぶ場所、ね。ソウジもそこで学んでいたのか?」
「まあな」
「で、ソウジの成績はどうだったんだ?」
と、ライラは答えは知っていると言わんばかりに意地の悪い笑みを浮かべながら総司に問う。すると総司は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「・・・・・・・下から数えた方が早いな」
「だと思ったぜ、ハハッ」
「笑うなっ!」
総司の大学時代の成績は余りいいとは言えない。一応卒業はしたが、他の人間に比べれば学力と言った点では下の方である。
「つか、美里が優秀だったんだよ。才色兼備を地で行くような奴だったからな。大体の事は直ぐに理解するし、それ以外の事もそつなくこなしてたからな」
陰で底辺と揶揄されていた総司と比べ、美里は勉強にスポーツにと成績は優秀だった。大学時代はそんな二人が付き合っていたことに対して二人の事を余り知らない人間はしきりに首を傾げていた。
実際大学に在籍中のころは美里に「そんな底辺よりも俺と付き合え」と言ってくる男もいたくらいだ。が、美里はそれをことごとく断っていた。おかげで在学中に「きっと弱みを握られているに違いない」とまで言われていたほどだ。
「先輩や後輩の受けもよかったから友達も多かったし、まさに高嶺の花ってやつだったな」
(ま、そんな美里と俺は付き合ってたわけだから、優越感に浸ってたって言えば噓になるけど)
「そうなんだ」
自分の事を高評価されても、やはり美里は首を傾げるばかり。
「そうだったんだね・・・・・・・」
「あ・・・・・」
美里の顔に陰が差したことで、自分の言った失言を今更ながら呪う。
美里には過去の記憶、思い出が一切ない。総司が言った美里の評価は、美里から見れば自分ではなく他人の評価を聞かされているようなものだった。
「その、悪い・・・・・・」
それを理解し、総司はバツが悪そうに小さく頭を下げて謝罪する。そんな総司に美里は笑みを浮かべながら首を横に振る。
「いいよ、気にしないで。過去の事よりも、今はこの世界の事を覚えることの方が大事だし」
「・・・・・そうだな」
美里の笑みに陰りがあることを理解しつつも、総司はそう言って頷く。いや、頷くしかなかった。
(やっぱり、美里自身も記憶が無い事に不安を持っているんだよな)
ここ十日ほど美里と一緒にいて総司は気付いていた。
美里は時折こうして話している最中でもどこか遠くを見ているような、諦めているようなそぶりを見せる。
その事を総司も知っているし、なるべく過去の事に触れない様にしているつもりだが、やはりどこかでボロが出る。
それは総司自身も美里の過去を気にしているからだ。
(記憶が無い今の美里に問い詰めたところで意味がない。それに、記憶を戻す方法もない)
オグマからアーティファクトを使えばもしかしたら、と言う話を聞いたが、そもそもそのアーティファクト自体どこにあるのか分からない。なので、現状打つ手なしと言う状況だ。
(それなら変に美里を刺激して関係を拗らせるより、『普通』を装っていた方が楽だしな・・・・・・まあ、どこまで『普通』でいられるか分からないけど)
聞きたいのに聞けない。そんなもどかしい気持ちを隠しつつ、総司はここ十日ほど美里に対し、記憶がある時からの友達として振舞っている。
本当は今すぐにでも問い詰めたい思いを心の奥底に仕舞いつつ、現状を打開する方法を模索しているのが現状だ。
「まあ、ソウジの頭の悪さは置いておくとして」
「おい」
二人の微妙な空気を感じてライラは少しわざとらしく話を持って行く。
「そろそろ依頼を受けようと思うんだが、ソウジはどう思う?」
「良いんじゃないか?ここ最近は仕事そっちのけで美里に勉強を教えたり訓練したりで仕事はしていなかったし」
「仕事ってハンターの仕事だよね?」
「ああ、まだ金銭面的には余裕があるが、先の事も考えてそろそろ仕事をしておいた方が良いと思ってな」
「そうだな、俺も賛成だ。けど、仕事をするのはいいが美里をどうするんだ?俺達が依頼を受けている間、美里は留守番か?」
「それなんだが、一緒に連れて行こうと思ってる」
「私も一緒に?」
美里自身も留守番かと思っていた矢先に連れて行くと言われて首を傾げる。
「引取りの条件、覚えてるか?ある程度の仕事をさせるって」
「ああ、覚えてる」
「だから、アタシらの仕事の手伝いとして連れて行く。そうすれば何かと都合がいいしな」
「確かに」
領主と組合の取り決めで何かしろ仕事をしなければならない。かと言ってすぐに仕事など見つからない。バイトの様にどこかで働くにしろ、それを探すのも一苦労だ。
それならば総司達の仕事、ハンターの依頼に一緒に連れて行き、サポーター役として仕事をさせれば問題は解決する。
「けど、美里はハンター資格は持ってないぞ?」
「それなら問題ない。協力者としてなら依頼に連れていける。ただし協力者には報酬は貰えないがな」
「そうか、そう言えば協力者ならありって書いてあったな」
以前ハンター資格を取った際に渡されたハンター組合の規定などが書いてある手帳に記載されていたことを思い出す。
「それに受け取った報酬をアタシらが協力した奴に渡しても問題にはならないしな」
「それなら大丈夫そうだな。美里はそれでいいか?」
「うん、大丈夫だよ」
「良し。じゃあ依頼はどうする?今から見に行くか?」
「いや」
チラリとライラが窓に目を向けると、太陽は丁度真上に差し掛かったところだった。
「今日はとりあえずキリが良いところまで教えて、依頼は明日からにしよう。それまでにこっちである程度準備をしておけば、直ぐに依頼に取り組めるだろう」
「そうだな、その方が良いな」
こうして明日の予定も決まり、明日からの依頼の準備などはライラに任せ、総司は美里への勉強会を再開する事になった。
*
一夜明けた翌日、三人は組合に行くべく家を出た。
組合に到着すると朝と言う事もあって人混みも多い中、三人は受付の列に並び、順番を待っていた。
程なくして順番が巡ってきてカウンターに着けば、受付には見知った顔があった。
「よおレミア。依頼を探しに来た」
「あらライラちゃん。それにソウジさんにミサトさんも」
受付にいたのはレミアだった。三人を見たレミアは微笑を浮かべながら書類を整理している手を止め三人に向き合う。
「適当な依頼を見繕ってくれ。ああ、出来れば簡単な依頼が良い」
「簡単なものですか?お二人なら他に丁度いい依頼がありますが?」
簡単な依頼と言うライラの頼みに首を傾げるレミア。それに対してライラは美里を指さしながら答える。
「こいつも一緒に連れて行くつもりだ。戦闘なんかは出来ないから、出来れば採取系とかがいい」
「ああ、なるほど」
美里の事は組合長であるオベールから聞き及んでいたレミアは事情を素早く理解する。
「わかりました。少し待っていてください」
そう言って席を立ったレミアは奥へ行き、しばらくして戻ってきた時には数枚の書類を手にしていた。
「こちらの中なら比較的簡単な依頼になっています」
そう言ってカウンターに広げた依頼書を三人に見せる。三人は身を寄せる様にして提示された書類に目を通していく。
「ヨギリ草とカルテットの実の採取。こっちは配達か」
「こっちは隣町までの護衛に、これは道具屋の商品開発の依頼?自分で考えろよ」
「教会周りの清掃。あ、子供の世話って書いてある」
レミアが持ってきた依頼は色々あり、三人は一枚一枚依頼書を手に取り内容を確認していく。どれもライラの注文通り比較的簡単な依頼内容になっている。
「う~ん・・・・・・どれもパッとしないな」
幾つかの依頼書を見た総司は、その簡単な内容の依頼に頭を悩ます。
「まあ、慣らしみたいなもんだし、簡単なものでいいんだよ・・・・・お、これなんてどうだ?」
「どれどれ」
ライラが差し出した依頼書を手に取り内容を確認する。
「なになに・・・・・・ゲルジャック村に商品の配達?」
そこに書かれていたのはゲルジャック村と言う場所にいる村長に商品を届けると言った内容が書かれていた。
「ああ、その依頼は加工品の配達依頼ですね」
「加工品の?」
「はい。依頼主は商業地区に店を構えていらっしゃる主人で、なんでも腰を悪くしてしまって配達が出来ないとか。納期が迫っているからなるべく早く届けたいんだそうです」
「なるほど。で、このゲルジャック村ってどこにあるんだ?」
「ゲルジャックはここから五日ほど行ったところにある村だ」
ゲルジャックはデムローデの街から北東にあるオルギット山と言う山の麓にある村だ。
「馬車で行けば二日ほどで行ける。内容も配達だし、そこまで難しい依頼じゃない」
「そうか。ならこれにするか?美里はこれでいいか?」
「私は初めてだし、二人に任せるよ」
「分かった。それじゃあレミアさん、これをお願いします」
「はい」
美里への確認を済ませ、問題ないと判断して依頼の申請をする。
「ところで、行くまでに魔物とか出たりするのか?」
「そうだな、出るには出るが大した奴は出ないはずだ。ゴブリン以下の魔物がたまに出るくらいだから、ハンターじゃない一般人でも対処できる」
「ゴブリンかぁ」
ゴブリンと言う名前にかつてライラと一緒に受けた初めての依頼を思い出す。
「アレ以下なら大丈夫そうだな」
少し苦い思い出ではあるが、今の自分なら当時よりもうまく立ち回れるという自信がある。
それと言うのも美里を巡って戦った経験が確かな実績として総司の中で自信として繋がっているからだ。
「ゴブリン、居るんだ・・・・・・」
「どうした?」
小さく零した美里の言葉に総司が聞き返すと、美里は何所か不安そうな顔で総司に言う。
「だって、ゴブリンってアレだよね?女性を攫ったり、その、色々したり・・・・・・」
「ああ~・・・・・・・」
元いた世界での知識があるおかげか、美里の頭の中では醜悪な怪物が自分の体を弄ぶ姿を想像してしまったようだ。
(思い出は無くても知識はあるもんな。そう想像するのも無理はないか。俺もそうだったし)
身に覚えがある総司は美里のこの反応に納得する。なので総司は美里の肩を叩きながら笑みを浮かべる。
「心配するな。その時は直ぐに助けるから」
そう言って笑う総司の顔を見て安心したのか、美里は小さく微笑んで頷く。
「うん。ありがとう」
「・・・・・・・・」
ライラは二人のその様子を見ていたが、何も言わず無言を貫く。
「それでは、こちらの依頼を受理します。皆さん、頑張ってください」
こうして依頼は受理され、三人は準備をするべく組合を後にした。
*
組合を出て依頼に向けて準備を進め、粗方準備を済ませた三人は、もう時間も遅いと言う事で、晩御飯を外で食べることにした。
三人が向かった先は、もはや定番となったバヤール亭だ。
「いらっしゃいませ~!」
店に入るとバッと喧噪が耳を突き、続いてそれに負けじと明るく元気な声が三人を迎えた。
「やあミーシャ。三人なんだけど、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ!三名様ご案内~!」
足早に三人の下に駈け寄ったミーシャに聞けば、ミーシャは元気よく答える。すると、ミーシャの声に釣られるようにもう一つの声が上がる。
「さ、三名様、ご、ご案内っ!」
「あれ?この声って」
聞き覚えのある声に釣られて見れば、そこにはエプロンドレスを身に纏った青髪の女の子がトレイとメニュー表を持ってあたふたと店内を走り回っていた。
「ミレーヌちゃんっ!」
「え?あ、ミサトお姉ちゃん!」
呼ばれて足を止めた女の子、ミレーヌは美里の姿を見つけると嬉しそうに表情を綻ばせながら美里に駈け寄ると、美里に抱き着く。
「来てくれたんだね、嬉しい!」
「もちろんだよ。元気だった?」
「うんっ!」
よほど美里が来てくれたことが嬉しかったのか、ミレーヌは満面の笑みを見せる。
その笑みは初めて美里があった時よりも活き活きとした笑みで、美里もそんなミレーヌの笑顔に釣られて顔を綻ばせる。
「ぐぬぬ・・・・・私にはまだあんな可愛い顔見せてくれないのにッ」
満面の笑顔で美里に抱き着くミレーヌの姿を悔しそうに見つめるミーシャ。
「ミレーヌちゃん、店の手伝いしてるんだ」
「はい。最初はいいよって言ったんですけど、どうしても手伝いたいって言って。それでここ最近店の手伝いをしてもらってるんです」
「・・・・・大丈夫なのか?」
その総司の問いは、先程聞いたミレーヌの挨拶の声だった。まだ仕事に慣れていないのか、上ずった声で返事をしていたのだ。加えて奴隷として檻に入れられていた影響か、どこか人間不信なところがある。
それを心配して聞いたが、ミーシャは明るく答えた。
「流石に最初はオドオドしていて、お世辞にも出来てるとは言えなかったんですけど・・・・・でも、徐々に頑張って慣れて、今は御覧の通り、何とか接客できてます」
「そっか。それは良かった」
「ただ、ちょっと問題があって・・・・・」
「問題?」
ミーシャの問題と言う発言に不安が過る。
「女性客に対しては注文とか大丈夫なんですけど、男性客に対しては、それが出来なくて。お父さんとも上手く会話が出来なくて・・・・・・・聞いた話だと、その、ミレーヌちゃんは奴隷にされる前に、盗賊に・・・・・・」
「・・・・・・そうか」
総司もオベールからミレーヌの話は聞いていた。奴隷としてこの街に来る前、総司が倒した赤蜘蛛と名乗る盗賊たちの手によって、ミレーヌが汚されてしまった事を。
「だから、こうしてミレーヌちゃんが笑ってくれるのはすごく嬉しいです」
そう言ってミレーヌを見守るミーシャの眼差しは優しく暖かかった。
「すみませ~ん、注文いいですか~?」
と、少し感傷に浸っていると、テーブル席に座る二人の女性客から注文の声が上がった。
「いっけないっ、は~い!只今うかがいま~す!ミレーヌちゃん、お願いできる?」
「あっ、は、はい!」
ミーシャに促され、ミレーヌは名残惜しそうに美里から離れると注文を取りに席に向かう。
「それじゃあ、席に案内します」
そうして三人はミーシャの案内で窓際のテーブル席に案内され、三人はそれぞれ注文を済ませる。
「美里、どうした?」
料理が運ばれてくる間、美里が店内をキョロキョロと見ていることに疑問を覚えた総司が聞くと、美里はチラリと総司を見た後、再び店内に視線を戻す。
それに釣られて視線を追えば、そこには忙しそうに走り回るミレーヌの姿があった。
「がんばってるな」
「うん、本当にね」
二人の視線の先にはミーシャが女性客から注文を取り、それが済むと今度は食事が終わったテーブルを片付け、来店した客を席に案内してと、実に忙しそうだ。
「ミレーヌちゃん、お酒のお替り~!」
「っ!え、えっと」
二人がミレーヌの仕事ぶりを眺めていると、昼間だと言うのに酔った男性客が酒の注文をミレーヌに頼む。それに対しミレーヌはオロオロとしてしまう。
「ミレーヌちゃ~ん、早く~」
男性客はミレーヌが男を苦手としていることを分かっているのか、嫌がらせの様に名前を呼んでニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべていた。
「・・・・・・趣味が悪いオッサンだな」
それをチラリと見たライラは嫌悪感剥き出しで吐き捨てる。
「総司・・・・・」
助けた方が良いか?そう言いたげな目で美里は総司を見る。それに対し総司は一度店内をぐるりと見渡す。
(ミーシャは・・・・・いない。厨房か?)
「ねえ~ミレーヌちゃ~ん!」
「っ~~!!」
助けるべきか悩んでいると、男性客は二の足を踏むミレーヌの姿に優越感でも得たのか、先程よりも大きな声で威嚇するようにミレーヌの名を呼ぶ。
「チッ!あのオッサンいい加減――――」
「待て、ライラっ」
「ああ?」
見ていられなくなったのか、ライラが怒りを秘めた眼で立ち上がろうとしたところを総司が片手で止める。
すると、その時―――――
ガンッ!!
「痛っ!!」
鈍い音が響いたと同時、男性客は後頭部を押さえてテーブルに突っ伏し悶絶する。その男性客の背後から地の底から響く様な背筋が凍る声が呼びかける。
「お客様~?」
「あひっ!」
その声に男性は涙目に振り向くと、そこには幽鬼の如き姿で佇むミーシャが怒りで爛々と瞳を燃え上がらせて立っていた。その手には変形した銀のトレイが握られている。
「困りますね~、家の子に嫌がらせをされては~」
「い、いや、べ、別に嫌がらせ何て――――――」
「言い訳は止めてもらおうか?」
「へ?」
言い訳をしようとする男性客の頭をガシっと大きな手が掴む。恐る恐る男性客が視線を上げれば、そこには鬼の形相をしたサジの姿があった。その手にはギラリと光る包丁が握られていた。
「家のガキに手を出そうとはいい度胸だな・・・・・死ぬ覚悟は出来てるな?」
店内の明かりがサジが握る包丁の刃に当たって不気味にギラリと光る。
「ひ、ひぃ~!お、お助け~!!」
サジの迫力に気圧されたのか、男性客は席を蹴倒す様に立ち上がり店の扉目掛けて駆け出す。
「ちょっと、金はおいてけっ!!」
「は、はいっ!!」
ミーシャの一喝で男性客は懐から銀貨を取り出すと床に放り投げ、慌てて店から出て行く。
『おお~~!!』
男性客が店から出て行くと、見計らった様に店内にいた客が一斉に沸き立つ。まさにそれは勝鬨の様な声だった。
「騒がせてすまないな。気にせず飯を食ってくれ」
そう言ってサジは厨房へと戻っていく。
「あ、あのっ、オジサンっ!!」
厨房に戻ろうとしたサジは、その声で足を止める。振り返ると下を向いてもじもじとするミーシャがいた。
「どうした?」
「・・・・・・」
「・・・・・・ふぅ」
まだ、ダメか。そんな気持ちが滲む背中を向けてサジが再び歩き出そうとすると――――
「ありがとう」
「っ!」
小さい、とても小さいが、確かにサジの耳に届いた。
「・・・・・気にするな。それと、何かあったら言え。俺とミーシャが直ぐに行く」
そう言い残してサジは厨房へと去って行く。去り際に総司が見たサジの耳は真っ赤になっていたが、見なかったことにした。
ポンっとミレーヌの頭に暖かい手が乗る。
「さあ、仕事の続きだよ?まだまだお客さんはいるんだから」
「うんっ!」
そう二人は笑い合いながら再び店内を忙しく駆け回る。
「ったく、人騒がせな」
「まあ、いいんじゃないか?どうやら、問題なんてないみたいだし」
「そうだね」
店内を駆けるミレーヌの姿を、三人は笑いながら見守る。
自分で言うのもなんですが、ミレーヌには幸せになってもらいたいものです・・・・・・まあ、自分のさじ加減でどうなるかわからないけどw




