02 奴隷の名は
本当に美里に裏切られたのか?その疑問を問いただすために美里に会うことを決めた。
・・・・・もしかしたら、他人の空似の可能性も、正直ある。この世界に美里がいるはずなどないのだから。
それでも、いや、だからこそ、確かめたい。
だから、俺は行動に移すことに決めた。
のは、いいのだが――――――
「どうしたものか・・・・・」
接触するだけなら奴隷市に行って直接本人に会えばいいのだろうが、果たしてそう簡単にいくのだろうか?
それ以前に、もう既に売られている可能性すらある。
「なあ、ライラ。奴隷に会うにはどうしたらいいと思う?」
取っ組み合いの末に散らかしてしまった部屋を片付けながら聞いてみる。
すると同じく部屋の片づけをしているライラが手を止めて考え込む。
「んん~そうだな・・・・・・直ぐに思いつくのは、奴隷を買う事だな」
「買う、か。因みに奴隷っていくらぐらいなんだ?」
「金貨三枚ってとこだな」
金貨三枚。高い、いや、人を売り買いすると言う意味では安いのか?ここら辺の感覚は現代日本人の俺には理解できない。
因みに金貨一枚は日本円で百万程。銀貨が一万、銅貨は千円、銅貨に至っては汚れや摩耗して擦り減ったり、半分に割れているものなどはその価値の半分、五百円ほどに下がる。
金貨三枚と言えば、ちょっとした新車が買えてしまう値段だ。
「言っとくがこの値段は普通の奴隷の値段だ」
「普通の?例外があるのか?」
「奴隷の容姿や能力によっては倍以上に跳ね上がる。逆に病気持ちだったり、体の一部が欠損していたりすると、値が下がる」
そうなると、美里の奴隷としての価値はいかほどになるんだろうか?
「お前が会おうとしてるのは女。女の奴隷は大体値が張るから、平均して金貨五枚から十枚ってとこだ・・・・・・・これだから男は」
ライラは顔を歪めて吐き捨てる。そのリアクションで大体理解する。
何処の時代、場所でも女の奴隷とはきっと、そう言う目的で買われてくのだろう。だからこその値段設定なのだろうな。
同じ女であるライラからしたら、この反応も当然と言える。
「しかし、困ったな・・・・・俺、そんな金持ってないぞ」
残念なことに、手持ちの金はそんなに多くない。銀貨と銅貨が数枚程度。ノザル村で訓練の合間にテムロの狩りや畑仕事を手伝って稼いだ金だけが、俺の今の全財産だ。
とてもではないが金貨など持ち合わせてなどいない。
「なあ、会うだけってできないのか?ほら、買いに来ましたって言って、見るだけ見てやっぱりいいです、みたいな」
「見るだけならできるだろうが、基本檻の中だし、当然粗相をしない様に店側は見張りをつけてる。会話までは無理だろうな」
「そうか・・・・・」
やっぱりそう簡単にはいかないみたいだ。となるとやはり金を稼ぐしかないのか?それに――――
「金を稼いでる間に売られたら、元も子もないし・・・・・」
「それなら大丈夫だ。直ぐに売られることはない。奴隷の管理なんかで、新しく入ったばかりの奴隷は直ぐに売られないで、数日は檻の中だ」
「そうか。けど数日程度で金を稼ぐなんてできるのか?そもそも、いくらで売られるかもまだ分からないんだし・・・・・」
「それをアタシに聞かれても知らねぇよ」
ごもっともで。
暫く部屋の片づけをしながらあれこれと考えてみたが、どれも現実味に欠けるものしか浮かばず袋小路になってしまう。
そうこうしていると、俺の腹からグゥ~と食い物をよこせと腹が主張し始める。そう言えば昼飯を食べようと店を探していたのだった。
二階にあるこの部屋の窓の外を見れば、既に日が傾き通りは茜色で染められている。その中を夕飯の買い出しなのか、籠を片手に歩く主婦や、宿を求めて辺りの店を窺っている旅装姿の集団が歩いているのが見える。
「腹、減ったな・・・・・・」
「あぁ?・・・・・ああ、もうそんな時間か。そう言えばアタシもどっかの誰かさんのせいで飯を食いそこなったんだよなぁ」
うっ!それを言われると弱い。本当にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
「とりあえず、飯にするか。どうせあれこれ考えてもいい方法なんて出てこないんだしさ」
「・・・・・・そうだな」
*
当初約束をしていた通り、ライラが案内してくれた店で食事を済ました俺達は、昨日約束した通り、組合長のオベールさんを訪ねるべく組合に来ていた。
美里の事は、正直かなり気になるが、いい考えが出てこない以上、自分で考えても仕方がない。
そこで思いついたのが、昨日会ったオベールさんの顔。
今日の夜に会う約束もしているので、これは都合がいいと思い、相談してみようと思っている次第だ。
因みにライラまで一緒なのは、クロードの事ならアタシも当事者だから一緒に行く、と言って付いてきたのだ。愛されてるな、クロード。
と言う事で、組合に到着。中に入ると、ちょうどガヤルさんが待合所として機能しているスペースの長椅子で、他のハンターの人と談笑しているところに出くわした。
「来たかソウジ・・・・・・と、ライラも一緒か?」
話し込んでいたハンターの人に別れを言ってこちらに歩み寄ってきたガヤルさんは、俺の傍らにいるライラを見て訊ねてくる。
「えぇ、クロードの事なら自分も参加するって」
「そうか、それもそうだな。色々立てこんだ話になるだろうし、娘のライラがいるなら話もスムーズに進むだろう」
と、話をしていると、ちょうど二階からオベールさんが降りてきた。
「やぁ、来てくれたか。上がってくれ。話は私の部屋でしよう」
オベールさんに続いて俺達は二階の執務室を訪れる。
「適当に座ってくれ、何か飲み物でも入れよう」
オベールさんに促されるまま、各々ソファーに着席。オベールさんは部屋の隅に置かれていた棚からカップを取り出しお茶の準備、しばらくすると俺達の前に人数分のお茶が置かれた。
オベールさん自身もカップを片手に執務椅子に腰を落ち着ける。
「それじゃ、昨日できなかった話をしていこうか。ライラもいることだし、ソウジ君たちが持ってきてくれたクロードの所有物について話していこう」
そう言って、オベールさんはライラに目を向ける。
「組合の規定では、死亡、もしくは行方不明になったハンターの所有物はその親族に譲歩される、となっている。これの規約により、ライラ、組合に届けられたクロードの荷物は君に渡すことになる。いいね?」
「ああ、それでいい」
ライラの了承を確認してオベールさんは頷く。続いてオベールさんが話したのは、クロードの家、もとい、ライラの家にあるクロードの所有物もライラの物となる事となった。
「クロードが請け負っていた依頼についてだが、ソウジ君」
ライラに向けられていた目が、今度は俺に向けられる。
「赤蜘蛛を仕留めたのはソウジ君、君で間違いないね?」
「はい」
オベールさんは俺の隣りに腰かけるガヤルさんに視線を向ける。それを受けてガヤルさんは頷きを一つ。
「間違いない。赤蜘蛛をやったのはソウジだ」
「なら、赤蜘蛛の調査、討伐の報酬はソウジ君に受け取ってもらおう」
「え?俺がですか?」
「ああ、組合の規約にこういった時のルールも作られている。それに照らし合わせるなら、報酬はソウジ君のものだ。ただし、本来はクロードが受けていた依頼だ。したがって受け渡しの報酬は本来の半分となるが、いいかね?」
「はい、分かりました」
今は丁度金策の事を考えている最中だ。貰えるものは貰っておこう。ちょっと複雑な気分ではあるが。
「それ以外にクロードが受けていた依頼、受ける予定だった依頼は、こちらで別の人員を宛がう予定になっているから、これに関しては問題ない」
クロード、赤蜘蛛以外の依頼も受けてたのかよ。大忙しじゃないか。それに受ける予定だった依頼がある事から、クロードの評価がどういったものなのかが窺える。
「後は――――」
そうして、クロードの事に関しての話が進み、大体の事を話し終えたので、空になったカップに再びお茶を入れて一息。今は軽い雑談を交えながらのティータイム中だ。
そんな雑談中に、オベールさんがふと俺に尋ねる。
「そう言えば、ソウジ君の今後の予定はどうするつもりだい?」
「と、いいますと?」
「折角ハンター登録をしたんだ、何かやりたいこと、目標みたいなものがあるのかと思ってね」
やりたいこと、か・・・・・・・その辺については、正直思い浮かばない。
ハンターになる、と言うことしか考えていなかった。ここから先、何を目標にしていくかなど、何も考えていない。
しかし目標は無いが、今はやるべきことがある。
これで美里本人じゃなかったら盛大な自爆だが、決めたからにはやるしかない。
この場にはガヤルさんもいるしちょうどいい、この機会に相談してみよう。
「特に目標は無いんですけど、ちょっとお金が必要で・・・・・不躾ですけど、短期間で大きく稼ぐ方法ってありますか?」
言っててかなり無茶振りな話だ。それでも、考えてくれるあたり、オベールさんも人が良い。
「ふむ・・・・・・短期間で稼ぐ、か・・・・・・因みに、どれくらいの金を想定しているんだい?」
「金貨十枚ぐらいです」
「金貨十枚、か・・・・・・・」
ライラの話だと女の奴隷は平均金貨五枚から十枚。どれくらいの値段で売られるのかは不明だから、初めから平均値の上限十枚を想定している。
金貨十枚。日本円なら約一千万円。それを短期間で稼ぐとなると、元の世界にいた時でさえ難しい。
案の定オベールさんもガヤルさんも難色を示している。
「ソウジ、金貨十枚なんて一体どうするつもりだ?」
ガヤルさんから疑問の声が上がる。まあ、当然だ。昨日登録を済ませたばかりの新米ハンターがいきなり金貨十枚を稼ぎたいなんて言えば、何をするつもりだと思うのは当然だ。
しかし、素直に話していいのだろうか?稼ぎたい理由が奴隷の購入だ。しかも女の奴隷。新米ハンターが女の奴隷を欲しがるなど、理由はどうあれ、あらぬ誤解を招きそうな話だ。
「えっと・・・・・・・・」
言い淀む俺を見て、ガヤルさんがため息を一つ。
「はぁ・・・・・・話しにくいのなら、聞かん。何か事情があるんだろう?」
「・・・・・・すみません」
「フンッ」
カップを掴んで残ったお茶を一気に飲み干す。すみませんガヤルさん、お気遣い感謝します。
「・・・・・・事情はどうあれ、短期間でとなると、取れる方法はそう多くはない」
多くはないってことは、あることにはあるってことだよな。
「それは、どういった方法ですか?」
「一つは、高額の依頼を受ける事。まあ、高額となると、受けられるランクも当然高くなる。ソウジ君のランクはD、ランクDで受けられる依頼内容と報酬を考えると、短期間でとなると、かなり無茶をしないといけない」
「自分のランクよりも上のランクの人と一緒なら、ランクD以外の依頼も受けられるんですよね?」
今日受付のレミアさんから教えてもらった組合の説明を思い出す。
「確かに、ソウジ君のランク以上のハンターと一緒なら、それも可能だ。ただ、受け取った報酬は当人たちが話し合って報酬の分配をするのが基本だ。その場合、殆どは受け取った報酬の半分、もしくは働きに見合った額が分配されるね」
やっぱりそうなるよな。となると、受ける依頼の報酬によっては、ランクDと大して変わらない金額にだってなる可能性があるわけだ。これは少し考えものだな。
「二つ目は金を借りることだ。と言っても、ソウジ君はここに来たばかりだ、誰かそう言った人物に心当たりはあるかね?」
「・・・・・・ないです」
まだこの街にやってきて二日。面識のある人間なんてここにいる面子くらいなもんだ。
「最後、三つ目は物を売る事だ。ソウジ君が所持している物を売ればいい。売れるものがあるのならば、だがね?」
俺の持ち物に高額な物なんて・・・・いや、ある。
美里に贈るはずだった指輪。
あれを売ればそこそこの額になるのでは?いや、俺の給料三か月分程度の指輪だ、金貨十枚、日本円で一千万の価値なんてつくはずはない。
この選択は無しだ。
「・・・・・・・残念ながら、そんな価値ある物は持ってないですね」
「そうか」
「・・・・・・ガヤルさんは、何か思いつきますか?」
さっきのやり取り以降、口を閉ざして話を聞いていたガヤルさんにも訊ねてみる。
「俺はただの鍛冶屋だぞ?物を作って売る。それ以外の金稼ぎなんぞ知らん」
「ごもっともで」
となると出来る事は―――――
「依頼を受けて受けて、受けまくるしかねぇだろうな」
クロードの件以降、黙っていたライラがここに来て口を開いた。
ライラに顔を向けると、ライラは何処か挑発するように見返してきた。
「オベールのオッサンも言ってたろう?無茶をすれば稼げるって」
言っていたが、リスクは高い、みたいなことも言ってたぞ。
「どうせあれこれ悩んでても金が落ちてくる訳でもないんだ。だったら少しでも稼いだほうがいいに決まってる」
「・・・・・まあ、そうだな」
ライラの言っていることは最もだ。悩むぐらいなら無茶でも何でもして金を稼いだ方が建設的だ。
ただ、ハンター一年生な俺には、ランクDで貰える報酬がどの程度なのか、そして、肝心の依頼内容がどういったものなのかが分からない。
と、そんなことを考えていると、オベールさんが助け舟を出してくれた。
「そう言う事なら、こちらからいくつか依頼を見繕っておこう。当然、受けるかどうかは、ソウジ君次第だがね?」
オベールさんが何処か試すように確認してくる。
・・・・・・・いいさ、どうせやれることなんて多くないんだ。だったら――――
「やります。やらせてください」
「・・・・良いだろう」
ニヤリと口角を上げて笑うオベールさん。その表情は何処か楽しげに見えた。
「では明日、また組合に来てくれ・・・・・・ライラ、お前も一緒にな」
これで話は終わりだろうと、残っていたお茶に手を付けようとしていたライラの動きがピクリと止まる。
「は?」
その表情にはオベールさんの言った事が理解できないと言った顔をしている。オベールさんはそれに構わず、爆弾を落としにかかる。
「しばらく、ソウジ君とペアを組んでくれ」
「・・・・・・はあぁぁぁぁぁぁ!?」
執務室にライラの素っ頓狂な声が響く。
ペア。レミアさんから渡された組合のガイドブック的なものに書かれていた。
書かれていた内容からすると、ライラからしたらたまったものではないだろう。何故ならペアとは―――――
「アタシがこいつの面倒を見ろってか?冗談じゃない!」
「組合規定で新人には一人、指導官として組合から指名したハンターをつけることになっている」
そう。ペアとは新人ハンターが無茶、無理をしない為、依頼中に危険な事があれば対処をする、等々。簡単に言えば指導官として一定期間の間、新人が仕事に慣れるまでの間の教育係だ。
ただ、これはその新人に指導が必要であろうと判断された場合である。
(つまり、俺ってそういう風に見られてるったことか?)
それは何だか切ない・・・・・いや、新人なんだし頼りなく映るのは仕方がないだろうけど、けど、せめてペアを組むならライラじゃなくて別の人の方が良い気が・・・・・
「ライラ、お前もハンターになった時、クロードがペアになって世話をしてくれたろう?それをソウジ君にしてくれればいいんだ。それに、過去にペアを組んで指導した経験もある。お前なら難しくはないだろ?」
「それとこれとは別問題だ。他の奴なら考えないでもないが、こいつだけは嫌だね」
こいつのとこだけ強調して言うのはどうかと思うんだけど・・・・・・・
「指導官役の報酬も出るぞ?なんだったら色も付ける。それでもダメか?」
「い・や・だ・ねッ!」
「・・・・・・・・・・」
本人を前にしてこの言いよう・・・・・・どんだけ嫌なんだよ。
クロードの家でのあれこれで少しは距離が近づいたかと思ったが、どうやらそうでもないみたいだ。なんかちょっと泣けてきた。
しかし、そんなライラがチラリと視線を俺に向けると、おもむろに口を開いた。
「・・・・・・・・どうしてもってんなら、一つ条件がある」
条件?
「何だね?報酬はあまり上げられないぞ?」
「金じゃねえよ」
ライラはソファーから立ち上がり、真っ直ぐに俺を見つめる。
「アタシと、勝負しろ」
*
総司達が訪れた奴隷市が開催されている広場。時刻は深夜となり辺りは暗く、昼間にあった賑やかな声は鳴りを潜め、暗がりと静寂だけが辺りを支配していた。
そんな広場の一角、他のテントよりも一際大きなテントの中に、いくつもの檻が並べられていた。
並べられた檻の中、そこには薄汚れたボロボロの服を着て、首には奴隷の証である首輪がつけられている。
そう、檻に入れられているのは全て奴隷だ。
しかも、奴隷は人だけではない。中には耳の生えた者や、腕が翼になっている者、顔が狼のそれを持つ者まで、多種多様な亜人も奴隷として檻に入れられていた。
「うっ・・・・・・うぅ・・・・・・」
「ぐすっ」
「はぁ・・・・はぁ・・・・・」
檻の中の奴隷は皆、不安と恐怖に震え、身体を縮こませている。
中には怪我をしている者もいて、碌な治療も施されず、汚れた包帯を適当に巻いただけの奴隷などが横たわっている。
テント内はそんな奴隷たちの呻きや涙をすする声で満ちていた。
その一角、数人を同時に収容するために作られた檻の中に女子供だけを収めた檻がある。
他の檻は亜人や、元ハンター、曰く付きの奴隷が一人一つの檻に入れられる中、この檻は何の能力もない奴隷、特に女子供を収容するために作られている。
檻の中にいる奴隷は他の檻と同様、皆恐怖と不安で震えている。
殆どの人達は寝静まる深夜だが、このテントにいる奴隷たちは不安と恐怖で眠ることが出来ないでいた。
この女子供だけを集めた檻の中もそんな奴隷たちが囚われている。
そんな檻の中、隅の方で膝を抱えている十四、五歳の蒼い髪の少女がいた。
少女は時折聞こえる呻き声に反応してビクリと身体を震わし、抱えた膝を強く抱く。
「だれ・・・・・か・・・・・・たす・・・・けて・・・・・」
震えながら、かすれた声で何度も何度も呟く。
しかし、そんな願いなど叶えてくれるものなど誰もいない。
歳は幼くとも、奴隷に落ちた人間、特に女がどうなるのかは想像がつく。それがより一層恐怖と不安を駆り立てて少女を襲う。
自分はこのまま奴隷として売られて慰み者にされるか、売れなかったら殺されるのか、考えれば考えるほど体が震えて涙が出てくる。
「ぐすっ・・・・・・お父さん・・・・・・お母さん・・・・・お兄ちゃん・・・・・・お姉ちゃん・・・・」
そうして涙を流しながら震えていると、肩に誰かの手が乗せられた。
「っ!!」
反射的に少女はその場から後ずさった。
「あ」
手を置いた人物は、そんな少女の反応に寂しげな表情を浮かべた。
「ごめんなさい、驚かせちゃったよね?」
「だ、誰・・・・・・ですか?」
少女は怯えながらその人物をみて、ハッと息を飲む。
(・・・・・・・綺麗な人)
元々は艶のある長い黒髪は、今は土埃などで汚れており、他の奴隷と同じようにボロボロの服、体には擦り傷などの怪我が見え、髪と同じで薄汚れている。
それでも、少女は綺麗だと感じた。
どうしてそう思ったのかは少女も分からないが、この奴隷は他の奴隷とどこか違う感じたのだ。
「その・・・・大丈夫?」
「え?」
「泣いてたから・・・・・・・」
そう言って少女に近づき、指で涙を拭う。
(この人は・・・・・・・)
よく見ると、この奴隷の頬には涙の跡が窺える。自分の涙を拭ってくれた指も僅かに震えてもいた。
この奴隷も自分と同じ、恐怖と不安で泣いていたはずだ。
此処にいる奴隷は自分のことで一杯のはずだ。なのに、この奴隷は自分の事よりも他人である自分の事を気にかけてくれた。
(優しい、人・・・・・・・)
だからだろうか、少女は自然とその奴隷に声を掛けていた。
「お、姉さんは・・・・怖く、ないの?」
怖いはずだ。怖くないはずがない。
「怖いよ」
なのに――――――
「けど、貴方の事が心配だったから」
「!!」
それが限界だった。
「あ、あぁ・・・・・・・うわあぁぁぁぁぁぁ!!!」
気が付けば、奴隷にしがみついて大声を上げて泣いていた。
「大丈夫・・・・・大丈夫だから・・・・・・・」
少女の身体を抱きしめ、その背を優しく撫でる。
服が涙で濡れることなどまるで意に介さず、少女を抱きしめ、大丈夫、と少女にささやきかける。
何度も、何度も。
その声は優しくて、撫でる手は暖かくて、少女は求める様に強く奴隷に抱き着いた。
暫くして、少女は泣き止み、震えは止まった。
それでも奴隷は少女を抱きしめ続けている。
まるで赤子を寝かしつける様に、その背を撫でながら。
「ありがとう、ございます」
少女は顔を上げて奴隷に礼を述べる。
「どういたしまして」
「あの・・・・・私、ミレーヌって言います」
「ミレーヌちゃん・・・・・・可愛い名前だね」
優しくされたからだろうか、自然と少女、ミレーヌは名前を告げていた。
奴隷に落ちたのなら、名乗ったところで意味などないはずなのに。
それでもミレーヌはなぜだか、この奴隷に知ってほしかった。自分の名前を。
だから・・・・・・・
「あの・・・・・・お姉さんは?」
「私?私は―――――」
だから、この奴隷の事も知りたい。そうミレーヌは思った。
そして、奴隷の口から名前を告げられる。
それは、ミレーヌには耳に馴染みのない音だった。
けれど、不思議と心に馴染む音色だった。
告げられた名は――――――
「美里、だよ」
梅雨の季節・・・・ジメジメして鬱陶しい・・・・・




