自分らしく
本文に入る前にひとつ、注意をしていただきたい。
この考えは、あくまで僕の『偏見』である。ということを。勿論、この考えを読み貴方の持った感想には決して『間違い』はない。しかし、覚えていて頂きたい。貴方の感想もまた『偏見』である。
しかし、この考え方も『偏見』である_
「自分らしく生きたい」
誰しも一度は、そう思ったことがあるのではないか。
では、『自分らしさ』とは何だろう。
「お前らしくねぇよ」
漫画や小説の中でよく見かける台詞だ。
しかし、僕は反論をしよう。
「お前の言う『らしさ』って何だよ」
かなり昔に聞き齧った言葉がある。
「人間には沢山の顔がある。嫌いな人に見せる顔、好きな人に見せる顔、友人に見せる顔、家族に見せる顔…。それら全てが合わさって、一人の人間が出来ている」と。
確かにそうだ。好きな人と嫌いな人に見せる顔が、まったく同じな訳がない。
つまり、自分らしさとは、自分の思考言動全てが『らしさ』なのだ。
しかし、勘違いをしないで頂きたい。思考言動全てが『らしさ』とは言ったが、自制は必用だ。
『ルール』のない世の中を考えた事があるだろうか。
まず、仕事が無くなる。そうすると、物流がストップする。電気が通らない、ガスが止まる…。家事も仕事なので、ホコリ洗濯物食器がたまる_
…つまり、なにもできなくなるのだ。
らしさを追い求めても、理性は失ってはならない。ルールの中で、出来る限りの『らしさ』を追い求めるのが所謂『生き甲斐』と呼ばれるものになるのではないだろうか。
この考えを読み、「極論だ」「ダルい」「それは違う」等と思った方。その考えを持ち続けて頂きたい。
勿論、僕の考えに共感した方も、その考えを持ち続けて頂きたい。
どの思考も『正解』であり『不正解』なのだから。
そして、沢山の考えがぶつかり合ったからこその『発展』ではないだろうか。
人は偏りのある物の見かたしかできない。それは『らしさ』を追い求める故。自分らしくないと思うのならば、自信が足りないのだろう。
そういう時は、まず堂々と振る舞ってみる。
するとやがて、自分の中で落ち着く『らしさ』が見えてくる。それは、明日かもしれない。明後日かもしれない。十年後かもしれない。数分後かもしれない。
我慢勝負の『らしさ』探しは、きっと『貴方らしい』だろう。
「貴方を色に例えるならば?」
僕は黒だ。さまざまな色が混ざりあって出来る黒。何色にも染まらなそうに見えるが、実は繊細な色。
ああ。実に自分らしい。
ああだこうだ言ったが、結局のところこれくらい『簡単』でいい。たまには、哲学的に深く『自分らしさ』を追い求めると、昨日とは異なる『自分らしさ』が見つかるかもしれない。
迷って、実行して、止めて、再開して…
僕らは人間だもの。
そんな貴方は、実に貴方らしい_
今日の空です。
お付き合いして下さり、ありがとうございました!
今回は哲学です。
貴方にとっての貴方らしさとは_
今日の空にとっての自分らしさは
自分の言動全てですね。
あ、読書と動物のもふもふタイムは
「死んだ魚の目をしていないだと!?」
と、友人に言われます。
…普段そんなに目が死んでる?
精進します。