2話 孤児院での生活
「着いた、ここが孤児院だ。」
シェナンとエイリが孤児院に着いた頃にはすっかり陽が沈んでおり、暗さ故に建物全体の構造は分からなかったが、建物の頂上の灯りがついている場所を見ると銅製の鐘が見えた
「私はこの孤児院で院長をしているラシィム。君が里子にいくか成人するまで君の親代わりになろう。君のこれまでの事情を聞く前に体を洗って足の手当てもしなくてはならないね…。」
遅い時間にも関わらず茶髪の30代くらいの男性、孤児院で院長を務めるラシィムは嫌な顔せず柔らかい笑みで二人を出迎え、全身泥まみれで足が傷だらけのエイリを浴室に案内した…
「それじゃあ、私はシェナンからある程度の事情を聞いて来るとしよう。」
ラシィムはエイリを浴室に案内しシャワーの使い方を教えてからシェナンにある程度の事情を聞く為浴室から出ていった
ザザー…
湯は足の傷に沁みたが異世界に来て予想していた以上に早く暖かい湯で泥まみれの体を清めることができて有難いとエイリは思っていた
ーやっぱり小さい頃の私の姿なのかな…。
シャワーを浴び終え体をタオルで拭くと用意されていた子供服に着替えてすぐ、脱衣所にある洗面台に設置された鏡を踏み台を使って覗き込むと水色ではなく茶色の瞳だった頃の幼いエイリの顔が見えた。
エイリの髪の長さは向こうにいた時と同じ肩より上くらいの長さの短髪、ご丁寧にも同級生に無理やり切られた前髪まで変わらなかったが…
『あんたの目がよく見えないから切ってあげるー』
『キャハハッ、動くから変な前髪になったじゃん!おかしー!』
前髪を改めて鏡で見るとエイリの脳裏に下品に笑いながら無理やり前髪を切った同級生達の姿と声が浮かんだ
ー明日にでもハサミを借りて切り揃えるかな…。
エイリはそんなことを考えながら脱衣所でラシィムが確認しにくるのを待っていた
「シェナンから聞いたよ、森の中を一人で歩いて町に来たんだって?お腹を空かせてるだろうがもう夕食時間を過ぎてしまっていて余り物で済まないね…。」
ラシィムがエイリの足を手当てした後はお腹を空かせているだろうと食堂にエイリを案内しスライスした雑穀パン3枚と牛乳をエイリに振る舞う。
ーこのパン、重曹で膨らませたやつかな…。
エイリが食している雑穀パンはソーダブレッドと呼ばれるイースト菌ではなく重曹で生地を膨らませた無発酵のパンだった
分かる範囲だとライ麦、全粒粉、オーツ麦などの雑穀が混ざった物で食感はパンというよりはビスケットに近く、重曹と小麦粉が混ざることで感じる独特な風味がした。
一気に口の中の水分を持っていかれる代物だったが贅沢は言ってられないほどお腹を空かせていたので黙ってパンを囓りつつラシィムにエイリは森の中で"目覚める前"の事をどう説明すべきか考えていた…
「気がついたら森で倒れていて…それより前の記憶がないんです…。そこから歩いてこの町に…。」
食後、エイリは良心が痛むが異世界の日本という国から来たと言ったところで到底信じてもらえないだろうと判断し、ラシィムにはこのように説明した
「ここの近くの森といったら"死霊の森"なんだけど…一人でよく無事だったね…。本当に君は運が良い…。」
エイリがひたすら森を歩いていた時は何にも遭遇はしなかったが、ラシィムの話によるとエイリが一番最初にいた森は死霊の森と呼ばれる森で、血吸い蝙蝠や大蜘蛛、毒を持った大蛇が出る危険な森だったらしい…。
ー精霊王ォォッ!放置するならもっとマトモな場所を選べ!!
そのようなものと遭遇していたら幼児になってしまったエイリは只では済まなかった、そして精霊王の名を出すのも良くない。だから内心で叫ぶしかなかった。
「今日から君が生活する部屋はここだよ。今日は疲れているだろうから孤児院の規則とかは明日説明しよう、おやすみ。」
エイリは『スティリア』に来る前から持っていた物や制服などの所持品の確認をしてラシィムに全て預けた、制服の素材や携帯電話など『スティリア』には存在していない物なので不思議そうな顔をされたが何も聞かれずホッとしたところで孤児院で生活する間就寝する部屋に案内され、そのまま別れた
案内された部屋には二段ベッドが2つあり本当に眠る為だけの部屋という印象があった
先日この部屋を使っていた者は成人し空き部屋になったばかりで、部屋は男女別で分けられており新たに女児が来ない限りこの部屋は実質エイリの一人部屋状態だ
ー目が覚めたら全てが夢だったなんてことないよね…。私…今日からスティリアで生きていくんだ…。"向こう"の人達は私が消えて清々してるだろうな…。
エイリは日本に残して来た養い親は他人にお金を使う必要が無くなって清々しているだろう、あのエイリの前髪を無理やり切った同級生達はストレス解消用のサンドバッグがいなくなって新しいサンドバッグでも探しているだろう、もしくは義理の娘や同級生が消えたのを利用して悲劇の親や仲の良かった同級生を演じているのだろうと予想していた
そんな人間相手でもエイリには"心残り"があった
ーあぁ、でも…養い親にはお礼くらい言いたかったな…
一応、17歳まで学費と生活費を血縁が無かったとはいえ負担してくれた
エイリが1人暮らしを始める時にもう連絡をするなと言われていても、異世界に飛ばされる前に時間さえあればメールなり留守電なりで養い親にそれまでの例くらい述べたかった…
他にも考え事はあったが森の中を長時間歩き限界を迎え、睡眠を欲したエイリの小さな体は逆らえず眠りに落ちた
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ラシィムが運営している孤児院には4〜12才まで親がいない子供がエイリを含めて13人(男児8人、女児5人)
その子供達の世話をする大人の職員がラシィム含め7人いた
職員の大半は夫と離婚、貧しい村から逃げ出し生活に困った、貴族の出身だが没落してしまったなど行く宛がない者達を子供達の世話をする代わりに食事と寝床を提供する形でラシィムが雇っている
孤児院の生活は朝の鐘の音で始まり
食事は育ち盛りの子供への配慮なのか1日3食で朝食と夕食は塩で味付けされた野菜のスープと固い雑穀パンか茹でたじゃがいものどちらか
昼食は茹でたじゃがいも、チーズと牛乳のセットである
そして週に一度の夕食にはスライスされた肉が入った塩味のスープ(牛肉、ヤギ肉)
主食は雑穀パンより茹でたじゃがいもの頻度が高く食事は大体このような形でパターン化しているが面倒を看てもらっている身で文句は言えない、何よりエイリが職員の話を小耳に挟んだ限りハーセリアの地域ににおいてこの孤児院は恵まれている方らしい
子供とはいえ"働かざる者食うべからず"という方針が孤児院にはある
子供に出来る仕事、それは孤児院の敷地内にいる家畜の世話だ
孤児院で飼育されている家畜は『スティリア』では"牛"と"ヤギ"と呼ばれている生物が7頭ずつ
牛とヤギはどちらもエイリが知るものと似てはいたがどちらにも決定的に違う特徴があった
牛は羊のように渦状になった角、茶色の毛で背中に一つ大きなコブがありコブの周りにはそれを保護するかのように長い毛が生えていた
ヤギは子供達が怪我をせぬように切られてはいるが元は鹿のような角が生えており体には羊のように立派な毛が大量に生えている
孤児院で飼育されている家畜から採れる乳は飲用、チーズに加工された物が子供達の口に入り、ヤギの毛、孤児院で産まれた仔牛や仔ヤギはある程度育つと週に一度の肉のスープの具材になったり、町の市場へ売り出され僅かながら孤児院の家計の足しになるという仕組みだ
都会で大半育ち、最後は地方で生活していたとはいえエイリは家畜の世話をしたことがなかったので始めの頃は家畜の排泄臭に悪戦苦闘したが慣れた
10才以上の子供は家畜の寝床の藁にある糞の除去や汚れ具合によっては藁を全部入れ換える役割を
エイリのような10才に満たない小さな子供は仔牛や仔ヤギに専用のバケツでそれぞれの母乳を飲ませたら適度に追いかけっこなどをして遊ばせ運動させる役割がある
ただ遊ぶにしても同世代の子供より小さいエイリは体力の消耗が激しかったが動物好きなのでとても楽しんでいた(後にその仔達がスープの具材になる事はなるべく考えないようにしている)
家畜の世話の後は将来に備えての簡単な読み書きや『スティリア』の一般常識の勉強だ
そこでエイリの故郷とはいえ異世界に変わりない『スティリア』という世界の事を学んだ。
この『スティリア』と呼ばれる世界は精霊王が創造し、科学の代わりに魔法が発展した世界
エイリが長年暮らした世界では機械が溢れていたが『スティリア』では魔術技師により"魔法石"と呼ばれる宝石と術式を組み込み作られた魔術道具が生活家電のように使われている。
そして、周囲には常人の目には見えぬ精霊王が生み出した精霊が浮遊しているのだという。
精霊が集まると周囲の土地を潤し、力を借り"魔法"という奇跡を起こし、精霊の加護で弱い魔物が町に侵入することは滅多にない
だが精霊の加護があれど魔物が町に侵入する事がある、被害を最小限に抑える為、魔物が溢れる場所を定期的にそれぞれの王国に属す討伐隊は勿論、"冒険者組合"と呼ばれる施設から冒険者が仕事を請負い討伐をしているのだという
やはり、魔物と戦う危険な職なので双方から怪我人・死者が出る
ある程度『スティリア』を学んだが、エイリが1番気になるのは『愛し子』と呼ばれる者の事だ。
『愛し子』はエイリを産み、日本がある異世界へ逃したというエイリの母親なのだから気にならない筈がない。
「あの…どこで聞いたのかおぼえてないのですが『愛し子』とはなんですか…?」
歴史の勉強中ラシィムが、「分からないことがあったら質問するように」という子供達への呼びかけにエイリが『愛し子』に関しての質問をした途端、周囲の子供達はキョトンとした表情に対しラシィムを含む職員達の表情が凍りついた…。
「エイリはまだ小さいのに書物に書かれていない『愛し子』を知っているなんて凄いなぁ…。」
ラシィムが苦笑いをしながらも『愛し子』の事を教えてくれた
『愛し子』とは精霊に愛される者の通称
『愛し子』は精霊の声を聴くことができ、自らの高い魔力で様々な奇跡を起こし
『スティリア』の街には必ず"魔脈"と呼ばれる精霊達が食す魔力を放出する場所があり、弱った"魔脈"を調律する役割を担っている
そして、『愛し子』に危害をくわえることは精霊達に喧嘩を売るのに等しいもので
かつてハーセリアには2人の『金色の愛し子』と『白銀の愛し子』がいたが、王都に住まう精霊の恐ろしさを知らぬ王族や貴族が2人を道具として長年扱い苦しめた
それが原因で『白銀の愛し子』が後に英雄と呼ばれる仲間達と『スティリア』中にある"魔脈"を調律する旅の為に王都を出てすぐ、精霊の怒りが爆発し王都が壊滅状態に陥ったことがあるのだ
それ以来、ハーセリアでは『愛し子』は恐怖の対象でありエイリからみて大人の世代は話題にしたがらないのだという
それがたとえ英雄と呼ばれた『愛し子』でも…
『白銀の愛し子』は"魔脈"を調律する旅を終えた後、またハーセリアの王都に利用されることは勿論、国に利用されることを良しとせず姿を消し、もう片方の『金色の愛し子』も王都の混乱の隙を見て逃亡して以来行方が分からないのだそうだ
それがラシィムが教えた『愛し子』に関した知識だった
『愛し子』達の本名や『愛し子』と呼ばれる以前の経緯、肖像画も全て『スティリア』に存在する国の王とごく数人の上層部のみが共有し管理している国家機密であり、書物に『愛し子』の情報を載せることも禁じられている
一般人が知る『愛し子』に関する情報はせいぜい「魔力が多い」、「精霊に好かれ愛し子がいる土地は豊かになる」くらいでラシィムの回答はどちらの『愛し子』か分からないが実母を知りたいエイリにとって大きな収穫だったのだが…
ーもしかして、地雷だった…?
『愛し子』の質問をした途端、職員達とラシィムの表情と声から恐怖に近いものをエイリは感じ取っていた
それ程、精霊達の報復は凄まじかったのだろう。
精霊達の報復内容も気になったが職員達の反応を見てこれ以上の質問は人間関係が拗れるとエイリは判断しもう質問はしなかった
只でさえ"ヤヌワ"であるらしいエイリは職員の大半から快く思われていないのを感じていたのでなるべくこれ以上拗らせるのは得策ではない、エイリは成人するまで孤児院で『スティリア』を生きる術を学ぶつもりでいるのだから言い掛かりをつけられ追い出されたくは無かった
ラシィムはエイリを犬猫のように捨てる人間でない事は孤児院で数日過ごして分かってはいたが適当な夫婦に押し付ける形でエイリを孤児院から追い出すのでは…と日本で養い親にお金だけ出し見捨てられた経験者だったエイリからすればこっちの方が怖いのだ
勉強時間が終了した後、夕食までの自由時間中のエイリはそのようなことばかりを考え、日本の食事と比べたら美味しくない食事をフォアグラの為だけに飼育されているアヒルになったつもりで流し込むように食し、シャワーを浴びた後は自室に戻りベッドにダイブした。
家畜の世話という肉体労働で疲れ切ったエイリあっさり眠りに落ちるのだった…
孤児院のはなしを大幅に書き換えたので更新に時間がかかり申し訳ありませんでした…
物語のストックを充実させるのが今後の課題です
物語にちらほら出る"ヤヌワ"は次話で明らかにする予定です