23話 酵母をおこす
「え!?パンも作れるの!?」
「ギルドでたべているパンよりつくるのにじかんがかなりかかりますが…」
エイリが材料さえあれば作れなくは無い物の種類でさり気なくパンを挙げるとアビリオは驚きの声をあげた。
ギルド『七曜の獣』の食生活はエイリが見習い(?)として入団した翌朝からガラリと変わった。
エイリが入団して1週間、スオンに料理を教えて報酬としてもらった米を主食にした食事を全食ではないがギルドで出している。
ギルドには幼児のエイリより成長期で大食いのハロルドとカインがかなりの量を食べるのでもらった米をそのま白米で出せばすぐ米がなくなる予感がした。
1週間前にもらった米はスオンから『今回の納品分が足りないようでしたら補充します』と言われているが高級食材の米をスオンに無償で補充してもらうのは申し訳ないと思ったエイリは少しでも米が減るスピードを抑える為に小麦粉の他に見回りの報酬で団員達がもらってきていた雑穀パンの材料でもある大麦を米のかさ増しに混ぜて炊いている。
作るおかずも大麦入り白米の時だけ抜群に米に合うおかずだ。
1週間の間に作ったおかずは細切り野菜入りで摩り下ろしたジャガイモでとろみをつけた醤油餡をかけた竜鳥の和風ハンバーグ、エノルメピッグの肉を使った肉じゃが、生姜無しのつみれで作った親子丼など。
米を炊くのに使う軟水は白米をはじめて仮拠点で炊いた時は魔法でアビリオに出してもらったが以前竜車で飲んだ濾過石で濾過した水が軟水だったことを思い出し水道水を濾過したものを使用している。
団員達には高級食材である米をスオンが提供してくれた本当の理由を話してはいない。
『エイリがスオンに料理指導をする』という依頼の報酬であると団員達に説明するとやはり『エイリの作る料理は美味いがその報酬に高級食材の米は依頼と報酬が釣り合わないのでは?』と突っ込まれるのではないかと考えたエイリが『英雄がいるギルドなのだからもう少し良い食材を』とスオンがギルドに寄付してくれたのだと説明してほしいとザンザスとスオンにお願いした。
そしてエイリはそろそろ日本で食べていたような柔らかく小麦の香りと甘さを感じるパンが食べたくなってきていたのでアビリオと料理の話をしていた時にうっかり口が滑ってしまった訳だ。
『スティリア』で一般市民や冒険者が口にするパンは重曹で膨らませたソーダブレッドと呼ばれる無発酵のパン。
多くがライ麦、全粒粉、大麦、オーツ麦などの雑穀が混ざっておりエイリが日本で食べ慣れた柔らかく小麦の甘さを感じるパンとは違い食感はソフトビスケットに近い。
雑穀も無く柔らかさのあるパンはやはり王族貴族といった上流階級などしか口にできない代物で作り方も上流階級御用達のパン職人達が門外不出にしているらしい。
エイリは『七曜の獣』に来て食事の主食として雑穀パン出されれば文句を言わず食すが口の水分が持っていかれる感じと小麦粉と重曹が混ざることで生まれる中華麺のような風味が苦手だった。
この食感と風味が苦手なのはエイリだけでなくルエンとスオンといった日本人に近い人種であるヤヌワの多くも同じ理由でこのパンが苦手らしい。
人から出された食事やそれしか食べるものがないなどの理由がない限り好き好んで食べる者は少数なのだという。
「パンをやくにはまずは『酵母』をおこさなきゃいけないですね…」
「コウボ?」
アビリオの疑問にエイリはえ?そっから?と思ったが、『スティリア』では酒、味噌、醤油、ヨーグルトチーズなど発酵させて作るものはすべて精霊の力で作られていると信じられているようだ。
「『酵母』はパンをふくらませるのにひつようなもので…」
酵母とはこの辺に漂っている幼い精霊のように野菜、果実、ヨーグルト等の発酵食品の表面にくっついていたり混ざっていたりしている見えない生き物だと微生物を精霊に例えてアビリオに説明した。
エイリがいた世界では人工の酵母、ドライイーストが素人でも使えるように加工されたものが流通していたが『スティリア』には存在していないのでパンを作るのであれば酵母から作るしかない。
「え?これだけ?」
「これだけです」
熱湯消毒した瓶にヨーグルトと少量の小麦粉と蜂蜜を入れ消毒済みの箸で混ぜて蓋をしただけなのでアビリオが疑問に思うのは無理もない。
ソーダブレッドより柔らかいパンを焼くのに必要な酵母作りはエイリが知る限り3種類ある。
一つはオイルコーティングがされていない干し葡萄などのドライフルーツと水を煮沸消毒した瓶にいれて酵母を起こす酵母作りで最もポピュラーな方法。
二つは小麦やライ麦などを殻ごと荒く挽いたものに水を混ぜ発酵させて作るサワー種と呼ばれる酵母。
三つはヨーグルトや酒粕などの発酵食品を小麦粉と混ぜて発酵させていきなり酵母起こしの過程を飛ばし元種にする方法だ。
一つ目の酵母液を起こす方法は一般的だが酵母を起こすのには日数が掛かり酵母が完成した後は小麦粉と混ぜて発酵させる元種という工程が有り日数と手間が少々かかる。
二つ目の酵母は一度日本でも試したことはあったがカビが繁殖し失敗した。
エイリは三つ目の発酵食品を小麦粉と混ぜて酵母液起こしの行程をとばして元種から作る方法を選んだ。
『スティリア』には米を原料にした酒が存在しているのでスオンに頼めば酒粕が手に入るだろうが酒粕の独特な風味が強いパンになってしまう。
これはまだ幼いリコリスとルティリスの口に合わないだろう。
なので今回は多少酸味はあるものの小麦粉の風味を生かせるパンをエイリは作ろうとヨーグルトを使うことにしたのだ。
ヨーグルトと小麦粉を混ぜた物が入った瓶を温かいところに置き発酵させる。
発酵に失敗していなければ腐敗臭も無く生地の断面に気泡ができ中身も倍に膨らんでいる筈だ。
酵母液作りの工程を飛ばしたとはいえやはり元種の完成までは数日掛かる今日中にできるものではない。
丁度作りたい無発酵のパンがあったのでエイリは今夜の夕飯としてそれをアビリオに提案した。
ボウルに小麦粉とライ麦粉、製粉したオーツ麦、少しだけ塩を入れて生地が耳たぶくらいの固さになるよう調整しながら水を加え生地にツヤが出るまでよく捏ねる。
このパンは小麦粉だけでも良いが雑穀を混ぜたのは風味が良くなるだけでなく雑穀にしか無い栄養も取れるからだ。
ルエンは以前よりエイリを引き取ったばかりの頃と比べたら食が太くなったがやはり成長期のハロルドとカインの2人の方がかなりの量を食べるのでパン生地になるものを幼児のエイリには重労働だったがアビリオと2人でこねて用意した。
どうにか捏ね終わった生地を休ませている間、中に挟む具を作る。
具材の一つの野菜類はアビリオにキャベツと人参を千切りにして欲しいとお願いした。
エイリは中に挟む肉、まだまだ残っているエノルメピッグの肉を前もって薄切りにしてもらっていたものを生姜焼きの味付けをして焼いた。
生姜焼きが焼きあがったらいよいよ生地を成形して焼く。
「本当にオーブンがなくてもパンが焼けるの…?」
「フライパンでもパンはやけます。こんかいのはうすいパンですけど」
ギルド『七曜の獣』の仮拠点である元宿屋の台所は最新のガスコンロと冷蔵庫型の魔道具を設置されているが、元々エイリが来る前までの食事がスープと店で焼いてもらった固い雑穀パンが定番なだけあって必要最低限の設備のみでオーブンはない。
オーブンが無くともパンはどこの家にでもあるフライパンで焼ける方法をエイリは知っていた。
エイリが1人暮らししていた時、養い親に生活費は出してもらってはいたがなるべく電化製品の購入費は自主的に削っていたので安いオーブン機能の無い電子レンジしか持っていなかった。
なのでフライパンかトースターで手作りパンを焼くだけでなく焼き菓子などもよく作っていたのでかえってオーブンよりフライパンで作る方法に慣れていた。
生姜焼きを作っていたのとは別のフライパンに焼いている生地がつかぬよう軽く油を馴染ませ、生地を成形している間にフライパンを熱しておく。
休ませていた生地を適当な大きさにちぎり丸めた物に打ち粉をして麺棒で薄く伸ばした生地を熱したフライパンで両面を焼いていく。
エイリが焼いている薄い無発酵のパンとはタコスに欠かせないトウモロコシの粉を捏ねて作られるトルティーヤと呼ばれる無発酵の薄パンを雑穀の粉を混ぜた小麦粉を代用にして作ったものだった。
エイリは薄く伸ばした生地を焦がさぬよう気をつけながら次に焼く生地を伸ばし、焼きあがった生地を皿に乗せるなどの行程を何度も繰り返し多くとも1人4つお代わりできる分だけ焼き上げた。




