第12話 ライト兄妹
初回に1点を奪い、崩れかけた2回も2失点に抑えたことで、負けていながらも押せ押せムードを維持している日野川ウォーターフロンツ。この勢いで試合を一気にひっくり返し、初勝利を目指したいところである。しかし打順は6番から。3番以降は下位に等しい超貧弱打線にとっては厳しい打線には違いない。
2回の裏の先頭・赤羽はボール球に手を出して空振り三振するも、キャッチャーがパスボール。振り逃げでの出塁を果たす。ただこの回はそれだけであった。
「親川先輩。私のバッティング、見~てい~てね」
「ストライクバッターアウト」
恋する乙女・野里。親川の前で気合が空回りしたか、はたまたいつも通りか。3球すべてフルスイングでの空振りを見せて見事な三振。
「しゃあ。俺に任せんかい」
「ストライクバッターアウト」
気合十分、構えは助っ人外国人。やたら打ちそうな8番・住屋も空振り三振。見た目だけで実力はまったくのようである。
「が、頑張ってきます」
「ストライクバッターアウト、チェンジ」
落ち着いているというより、ただ覇気が表に出にくいだけの長谷崎。ファインプレー直後の勢いに任せたい彼女も空振り三振に打ち取られ、この回、振り逃げを含む4者連続三振に終わる。
決して相手投手がいいわけではない。確かにこちらの赤羽よりは実力があるにせよ、これならば現役時代の織田雪、さらには本職外野手の親川の方が実力は遥かに上だ。それでもこれほどまでに打てないのは、こちらもそれ以上に実力が低いからである。
2回裏を無得点に抑え込まれながら、なおもモチベーションを保ち続けている。ただその彼ら彼女らに対し、3回表・4回表と失点は冷酷にも積み重なっていく。
親川の予想通り、正面の緩い打球に対しては多少なりとも処理できるも、その全てについて送球が間に合うとは言えない。また間に合った送球についても荒れ球気味であり、いくら野球経験者で守備の上手い親川と言えど、ファースト経験がないことも相まって送球ミスをカバーしきれない。さらに言えば、緩い正面の打球ですらそうであり、速い打球や横に逸れた打球については言わずもがな。内野フライはなんとか親川・千嶋の両名でバックアップも、外野フライはどうしようもない。2回の長谷崎のファインプレーは彼女曰く「偶然入っていた」だけであり、基本的に外野フライはアウトを計算できないのである。
一方の攻撃。
3回の裏の1番から始まる打順にて、千嶋・親川が連続のエンタイトルツーベースを放って1点をもぎ取るも以降の打線が沈黙。
4回表を終わって12―2と敗色濃厚である。
それでも赤羽曰く、「4イニングで12点しか取られていない」「3イニングで2点も取れている」とのこと。まともに試合が成立していないと予想される以前のチーム状況からも想像がつくが、今までの試合はこれ以上に悪いスコアだったようである。
「こちら、3人選手入れ替えで~す」
「は~い」
4回の裏。表の攻撃において2人の代打を送った相手チームが、内野2人、外野1人の計3人を一斉交代。
選手交代を声高らかに告げる相手チーム選手に答える赤羽。ただその動きに1名、疑問を生じる。
「攻撃と合わせて5人の先発を引かせた。守備固めという感じではなさそうだけど」
「それはですね~」
親川が相手方の度重なる選手交代を勘ぐっていたのである。そこへ戦術的な意味があるかと思っていたが、千嶋の答えは予想外のものであった。
「全員、少なくとも守備3イニングかつ、1打席以上は立たなくてはいけない。っていうローカルルールです。試合に出ないと、仮に出ても長く待った末にたった1打席じゃあ、そんなの全然面白くないですから」
「つまり、人数少ない方が勝ちやすいってこと?」
「雄太さん。勝てるにこしたことはないですけど、別に勝ちやすさなんてどうでもいいんです」
彼女は小難しく考える千嶋に釘を刺す。
「野球をやりたい人が集まって、みんなで一緒に野球をやって。それでいいんです。目的は野球で、その副産物が勝ち負けなだけですから。来るもの拒まず、去る者追わずです」
「あれ? 僕、追われたような気が……」
「記憶にないです」
視線を逸らすあたり記憶にあるらしい。
「ん? と言うことは、こっちもそろそろ選手入れ替えかな?」
「はい。ですから2人とも準備中ですよ」
彼女が指さす先。ライト横のスペースではベンチ入りしていた2人がキャッチボール中である。
「2人くらいならダブルDHでもよかった気がするんですけどね」
つまるところが守備出場者9名に打撃のみ2名を加えた11名の打線である。もしくは2人は守備だけ、2人は打撃だけで9名の打線にするか。本来の野球ではこんなルールないのだが、草野球では相手方に話を通せば基本的になんでもあり。だからこそ全員出場ルールがあるし、ボーク無し、ストライクゾーン広めなどプレーに関わるローカルルールが通用するのである。
「ダブルDH。滅茶苦茶だなぁ」
その自分の知らない野球に皮肉めいた言葉を漏らす。
「でも、それならみんな試合に出られますよ」
「それは間違いない。試合に出られないのは退屈だし」
「ですよね」
親川はレギュラーとして試合に出て当然の経験を持ちながら、重度の不振で飼い殺しにされてきたという2つの経歴がある。だからこそベンチ入りの気持ちを分からない天才ではなく、ベンチ入りの退屈さを知る元天才なのである。
「で、誰を外す?」
「ベンチは上崎さんと吉原さんですから……セカンドとライトですね」
「となると、武田と長谷崎?」
まだチームに入って浅いため、あまり名前には自信がない。現在のポジションは親川自身で考えたものであるも、その時はノートにメモしたデータを元に組んだわけでしかない。まだ名前と顔の一致には自信がないのである。
「はい。2人には私から伝えておきますね」
「そうして。僕、まだ馴染んでいる感じはないし。いい感じに伝えておいてほしいな」
親川と各チームメイトはまだ親密な関係にあるわけではないし、チーム内の慣例も分からない。しばらくの意思伝達は赤羽や千嶋など、親しい仲の人間を通じて行うのが妥当であろう。
「雄太さん自身はまだ馴染んでいない気がしているのかもしれないですけど、みんなは雄太さんを受け入れてますよ。野球を愛する同士ですから。それに、八恵ちゃん、冬美ちゃんなら雄太さんも馴染んでいるんじゃないですか?」
「八恵、冬美って、野里と長谷崎? 野里は一方的に馴染まれてる感じはするけど、長谷崎に?」
「初めて練習に来た時に一緒のポジションつきましたよね。右翼手三兄妹です」
「どこに飛んでいくんだろ。それ?」
「夢に向かってとかじゃないですか?」
いい感じの事を言ってやったと自慢げな千嶋。ただそのライト三兄妹は内2名が内野のポジションに飛ばされてしまったわけだ。飛んだのはライト三兄妹の長男自らの手によるものだが。
「雄太さんが最初に練習に来て以来、正式に内に来るまでにタイムラグありましたよね。あの間、最も寂しそうにしていたのは長谷崎さんですよ。あの子元々寂しがり屋さんですし、雄太さんみたいに野球について話せる人ができたのは嬉しかったんでしょうね」
「別に僕じゃなくてもいいだろうに。千嶋だって詳しいし」
「野球に詳しい年上の男性って言うのが、長谷崎さんのお兄さん像にそっくりだったんじゃないでしょうか? さっきの手を引かれていく後姿、本物の兄妹でしたよ」
このチームメンバーを見る限り、年上男性はたくさんいるも、野球に詳しいメンバーはほとんどいない。相手方の大学生チームのメンバーで言っても、元野球部目線で見れば決して上手いわけではない。そうなると彼女と接点のあるメンバーで最も野球に詳しい年上男性と言えば、親川がピッタリともいえる。
「本当に寂しそうでしたよ。私や赤羽さんに『親川先輩はもう来ないのか?』としばしば聞いてましたから」
「千嶋は寂しくなかった?」
「雄太さん、意地悪です」
寂しかったらしい。
「で、なんだ、雪」
「な~にが~?」
それまで千嶋に向けていた視線を隣に向ける。そこには相変わらずバックネット裏にて試合観戦中。どことからともなく持ってきた折り畳み式の椅子に腰かけている彼女がいた。
「さっきからにやにやと」
「雄太も馴染んできたなぁってちょっと嬉しくなっちゃった。高校に入ってからの雄太って、ずっと自分の殻に閉じこもって閉鎖的だったからね」
「うるさい。そんなことよりその椅子どうしたんだよ」
数週間前の自分について突っ込まれて恥ずかしくなった親川は、強引に話の向きを変えてしまう。そんな露骨な照れ隠しにも、織田はしっかり乗っかってあげる。
「相手方の大学生のお兄さんにね。みんなが守備に行ってる間に、ちょっと投球フォームについて教えてあげたら、ついでにって貸してくれた」
「敵に塩を送ったか」
「部外者の私に敵も味方もないけどね。なんなら雄太にも何か教えてあげようか?」
「今更、雪に教わることなんてないと思う」
「私も、今更雄太に教えるようなことはないかな。雄太の方が上手いもん」
織田に向けていた目線をグラウンドに移してみる。既に4回の裏の攻撃が始まっており、先頭の赤羽は早くもカウント2―2。言われてみれば1イニング前からピッチャーの投げているボールの質、そして投球フォームが変わった、ような気がする。
「で、話は戻るけど」
「戻すな」
せっかくずらした話題を戻されて肩を落とながらのツッコミ。
「雄太がせっかく心を開ける場所を手に入れたわけだし、千嶋さん、雄太のことをお願いね」
「はい。雄太さん、なんでも話してくださいね。私で良ければ相談に乗りますから」
「中学2年生に相談する高校2年生ってどうなんだろう。てか、雪、お前はいったい僕のなんなんだ」
「幼馴染」
「腐れ縁。賞味期限が過ぎて5年くらいの生鮮食品ぐらい」
「そこは変わらずなんだね。てかそれってほぼ化石じゃない?」
性格もコロッと変わり、心も開いてきた親川。しかし彼女を幼馴染とは思わず、あくまでも腐れ縁とするのは変わらないらしい。
「でも、あとは千嶋さんに任せるかな。私、野球はやらないし」
「織田さんも雄太さんと一緒に野球を始めてはどうですか?」
「私、この身体じゃあもう、ね」
親川は野球をやりたい深層心理がありながら、自分の追い求める環境がなかったのである。同じく織田も彼と同じく野球をやりたい思いがあるのだが、彼女の体はもう野球をできないのだ。
「織田さん。雄太さんのやってきた野球と、私たちがやっている野球が違うように、織田さんのやっていた野球ともまた違うと思います。織田さんはその野球はできないと思っているのかもしれませんが、私達の野球はできるかもしれません。バッティングができないなら守備だけ、守備ができないならバッティングだけ。どちらもできないけど走れるとあれば、ランナーだけもできます。それが草野球ですから」
「ほんと、雄太も言ってたけど、千嶋さんってよく口が回るよね。でもその件は故障持ちには違いないから、今は遠慮しておくね。たまにコーチに来るくらいならいいけど。親川雄太大コーチ様がいながら、私程度のコーチが必要かどうかは知らないけどね」
「いえ。ぜひ、その時はお願いします」
「うん。考えとく」
彼女は身体的理由ゆえに、自身の野球への復帰を口にしたことはなかった。ただそれでも今まさに復帰の可能性を微かに残した返答を行ったのはなぜだろうか。自分と似た境遇の親川が今楽しそうにプレーできているからか。以前行ったバッティングセンターにて、打撃だけならなんとかできそうであることが分かったからこそ、千嶋の話に心を動かされたのか。
「じゃあ、親川先輩。いってきま~す」
「あれ? 議員は?」
ふと聞こえた野里の声に意識を試合へと戻す親川。野里が打席に立つということは、先頭の赤羽の打席が終わったということだが?
「ファーストゴロだったよ~、当たり損ねの。いってきま~す」
「いってらっしゃい。う~ん。やっぱり点を取るのは簡単じゃないか」
野里を見送りながら唸り声を上げる。今のところ取った2点についてはいずれも親川が得点に絡んでいる。経験者2人を介さない得点は難しそうである。
「さぁ。まだまだ試合は中盤。気を引き締めていこう」
「そういえば草野球は7イニング。もう中盤だなぁ」
前向きに「まだ中盤」と気合を入れる織田であるも、実質的に試合を指揮し導く立場からしてみれば「もう中盤」である。
12―2
10点のリードを追う4回の裏の攻撃は、7番・野里がセカンドゴロ、8番・住屋がピッチャー失策で出塁、9番・長谷崎が見逃し三振。無得点に終わった。この回も結局は得点を得るには至らず、親川も話していたが、この打線で点を奪うのは骨が折れそうである。そして同時に、これからのイニングを抑え込むのもまた難儀しそうだ。