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第11話 いざ楽しんで

 順調な出だしを見せたものの、最初の失点はあっけないものだった。


 親川の予想通り、わずかにサードの横へ逸れた打球がいとも簡単にレフト前へと抜ける。さらにショート真正面の速いゴロを長尾がトンネル。その打球が左中間をも破りエンタイトルツーベースに。ランナー2・3塁と変わり、次のバッターのレフトフライを、レフト・住屋がバンザイ。これでランナー2人が生還。


 初回の三者凡退から一転、1アウトも取れずに2失点。さらにランナーは2塁といつものチームが戻ってきたような感じだ。ただそれでも今日の試合はいつもの試合とは違う。


「内野、捕ったらファースト。ランナーは気にするな」


「「「おぅ」」」


 ファーストの親川からしっかり指示が飛ぶ。ノーアウト2塁であるだけに、右方向の内野ゴロはともかく、左方向の内野ゴロについては2塁ランナーの動きをけん制するのが定石である。それこそ可能であればランナーを殺すことも視野に入れなくてはならない。しかし野球技術の高くない彼ら彼女らにはそれの判断は難しい。加えて2塁に入る長尾・武田、3塁に入る野里に送球処理能力や、ランダウンプレーの能力があるかと言われれば疑問である。ならば指示はランナーがいないものとして捕ったら1塁に一本化。内野ゴロ処理からの1塁送球ならば、散々練習しただけにアウトを取れる希望がある。


 もしも例外的に進塁阻止ができるとするならば、それは経験者の千嶋が守るホームくらい。ただそれに関しても、皆が状況判断できるかどうかと言う疑問が生まれる。つまり実質的に進塁阻止行動およびランナーアウトが取れるのは、ランナー3塁時のファーストゴロのみと言えるだろう。


「ショートっ」


 続く打球は真正面のショートゴロ。ランナーは迷わず3塁にスタートを切り、ショートの長尾はそれに意識を奪われる。


「ボール、ファースト」


 ただマスクを脱いでポジション指示を行った千嶋が、引き続く送球指示でその意識をファーストに戻す。


「落ち着いて。まだ間に合う」


 決して余裕はない。ただ親川は彼を焦らせないためにそう声掛け。


 それでゆっくり処理できた長尾は、多めのステップを踏んで姿勢を整えて1塁送球。ワンバウンドながらストライク送球で親川のグローブに届く。


「アウト」


「よし。ナイスプレー」


 本来ならば3塁進塁を許さない打球であるが、ランナーを3塁に進ませてしまった。それでも親川はショートの長尾を指さし、そして軽いガッツポーズで称賛。


「1アウト3塁。捕ったらホーム――じゃなくて、ファーストっ」


 引き続き千嶋からの指示はランナー無視。このチームは技術的に1点を防ぐにはリスクが大きすぎる。それならまだ1点をあげても1アウトを取るべきだ。この方針は変わらない。


 ただ何も打球は内野ゴロだけじゃない。そして内野フライだけでもない。


「まずっ。上がった」


 振り返る赤羽。打球はライトへと舞い上がったフライ。


「雄太さんっ。お願いします」


 内野フライならまだしも、外野フライをキャッチャーの千嶋が追いかけるのは不可能。ここはファーストの親川が追いかけていく。


『(いや、弾道が低い。間に合わない)』


「長谷崎。頼む」


 フライというよりはライナーに近い低く浅い真正面の打球。これでは親川も間に合わない。さすがに長谷崎に任せるほかない。


「捕られる? 落ちる?」


 3塁ランナーはこの打球に右往左往。こうした打球は教科書的にはハーフウェイで間違いないが、そこまでの経験のないランナーはとにかく3塁へ戻ってタッチアップ体制。


「長谷崎っ。前だ」


 正面の打球は伸びが分からず難しい。フライ練習が少ないだけに落下地点が分からず右往左往していた長谷崎は、親川の声に正面の打球と分かって突入開始。ただそのわずかなタイムロスが痛かった。明らかに迷わないような打球になってしまったのである。それでも長谷崎は気迫を見せる。


『(つ、つまづいた、いやっ)』


 彼女が体を前へと放り出した。これは――


「ダイビングキャッチっ」


 親川の前で予期せぬワンプレー。砂のグラウンドに頭から飛び込んだ彼女の元へとボールが飛び込んでくる。その直後、


「捕ってます」


 彼女は地面に伏したまま確かにボールの入ったグローブを高く掲げる。


「くっ、でも行ける」


 ファインプレーでヒットは防がれたが、あの体勢からならバックホームは間に合わない。3塁ランナーがホームを突く。


「親川先輩。お願いします」


「よし」


 その彼女が高く掲げたままのグローブ。そこからライトまで駆けてきた親川がボールを奪い、急ブレーキをかけて送球動作へ。


「させるか。これが、センターラインを担った者の肩だっ」


 推定30~40メートル。助走の取れない逆モーションで不安定な体勢。そんな不利な条件が重なった中で、元外野手(センター)・親川の強肩が炸裂。その右腕から放たれた球は先ほどの打球よりも遥かに低く、そして遥かに速い球速で千嶋のミットへ迫る。


「うおっ」


「戻れ、戻れ、戻れ」


 その送球を見た3塁ベンチから慌てる声。一時はスタートを切っていたランナーが急停止。直ちに3塁へと引き返す。


「ひぃぃぃぃ」


 ただ相手以上に気が気じゃないのは、不慣れなキャッチャーのポジションで、そんなアホみたいな送球を受けさせられる女子中学生である。体験名目でやってきた親川が見せた大遠投と似たようなものだが、あれ以降、彼女はそれを見ていないのである。裏返り気味の声で悲鳴を上げつつ、彼からの送球を受ける。あまりの送球にミットで弾いてしまうも、足元に落としたおかげで無駄な進塁は防ぐ。


「Foooo!! 相変わらず雄太はちょくちょく天才の片鱗を見せてくるね。本当に片鱗だけど」


 そしてこちらは歓喜の悲鳴を上げる織田。


 今となってはあの不愛想な男子高校生と、自分のバックを守ってくれていた天才小学生。そんな異なるはずの同一人物が重なって思える。


「長谷崎ちゃんナ~イス」


「グッジョブ、ハッセ」


「名外野手キターーーー」


 片や恐怖の、片や懐かしき送球を見せつけられた千嶋と織田であるが、それ以外のメンバーは長谷崎のスーパープレイに歓喜の声。


「今の捕られたらどうしようもないなぁ」


「ナイスプレー。プロ行けるよ。プロ」


「よっ、草野球界一」


 さらに打球を捕られたバッターや審判も含めた、相手チームの大学生たちからも。プロ行けるや、草野球界一は言い過ぎであるにせよ、それほどすごいプレーであったには違いない。


「ナイスプレー。怪我ない?」


「はい。大丈夫です。体操服着て来てよかったぁ。私服じゃ飛び込めないですから」


 親川が手を伸ばすと、彼の手を取って体を起こす長谷崎。


「しかしまぁ、よく思い切ったこと」


 その点については彼も感心。自分ならば「外野は抜かれると後ろに誰もいない」というリスクを知っているせいもあるが、あそこまで思い切った飛び込みはできないはずである。それを彼女はリスクを知らないのを抜きにしても、よくあれほど果敢に飛び込めたものである。


「やっと会えたお兄ちゃんに、私が全力で野球をしている姿を見せたかったから、かなぁ?」


「兄貴来てんの?」


「あっ、えっと、来てないですけど、こっちの話、です」


「?」


 あたりを見回す親川に対し頬を赤らめて釈明する長谷崎。来ているようないい方をしながらも、来てないと言い張る矛盾に彼はバカなりに頭をひねるが分からず。もっとも額面通りに受け取れば、頭のいい千嶋でも「冬美ちゃん、どういう意味?」と返すのは間違いない。


「それと長谷崎。そろそろ手、いい?」


 彼がアピールする自分の右手。彼は長谷崎を起こす時に手を貸したために、彼女がその右手を握っていたのである。


「あっ、えっと」


 相変わらずのおどおどを見せる長谷崎。すると彼女は手を離すどころか彼の手を強く握って目を見つめる。


「あとアウト1つです」


「うん。ツーアウトだしな。あと1つ。気を抜かずしっかりいこう」


「はい」


 彼女に声掛けしてようやく手を離してもらう。そして距離にして10メートル前後であろうファーストの守備位置まで駆け戻った親川は、自分の右手を二度三度と開けたり閉めたり。


 思えばあぁして女子から強くしっかり手を握られたのは初めてである。織田だってそのようなことをすることはない。いったいあれにはどういう意味があったのか。


 野球馬鹿的な単純に考えれば、ファインプレー直後の自分の高鳴る感情、悪く言えば浮き足立つ思いを引き締めたかった。それを自分以外の人間、偶然近くにいた上に不本意ながら参謀である自分に託した。そう見るのが妥当である。


『(もしくは――)』


 もっと深く考えようとした時である。


「Hey,Hey,Hey,Oyagawa.What are you doing?」


「武田。無駄に流暢な英語は話すな。意味が分からないから」


「ヘイヘイヘイ。オヤガワ。ファット、アーユードゥーイング?」


「そうじゃない。日本語で頼む」


 流暢じゃなく棒読みならいいというわけではく、そもそも英語が分からないのである。


「ヘイってどう訳すのかな?」


「聞かれてもなぁ」


 英語が分からない親川に聞かれても困る話である。なお「やぁ」「おい」「ねぇ」など感嘆詞として訳すのが適切である。さしずめ和訳すれば「おいおいおい、親川。何をしているんだ?」と言ったところか。


「おっふたっかた~、そ~ろそ~ろいいかな~。まだまだツーアウト。浮かれるの早い早い」


「Look Who’s talking ……」


「一番ノリノリの赤羽議員がそれを言うか」


 ボールを手の上で跳ねさせ、テンション高めで指摘してくる赤羽に、武田は引き続き無駄に流暢な英語で、親川はしっかり日本語でそれぞれ「お前が言うな」とツッコミ。なお赤羽はその手の上で跳ねさせていたボールを落としてしまい、3塁側ベンチ前まで転々とさせてしまう。相手方も笑って投げ渡してくれているからいいが、本気の試合であるならばこの隙にランナーの進塁を許しかねない大ボーンヘッドである。ただ本気の試合でないからこそ、この和やかな雰囲気でいられるのであろう。


「2アウト3塁。引き続き、内野捕ったらファースト」


 千嶋が右手でチョキを作ってのツーアウトコール。そして内野勢もまたチョキを作ってのコール。ただし親川のみは人差し指と小指を立ててながらのコール。経験者ゆえの微妙な差である。


『(さぁて、淡々と2点を奪われた時はどうなるかと思ったけど、かれこれ連続でアウトは取ってしかも点は防いでる。ここで流れを切れる)』


 バッターがゆっくり打席に踏み込む中、中腰の守備姿勢に移る親川。せっかく皆がツーアウトを奪ったのである。ぜひとも皆のためにもここはこれ以上の失点をせずに切り抜けたい。


「ストライーク」


 さっそくの初球。アウトコース低めの一投にバッターは空振り。


 初登板で上手く投げられるかと疑問であった赤羽。ところがなかなかどうして。ランナーを出そうが、連打を食らおうが、投球はしっかりストライクゾーンには決まっている。ストライクが入らないことなんてなく、底上げされた内野守備力と共に試合をしっかり成立させる要因にもなっている。


「ボール」


 ただやはりたまには外れることもある。アウトコースにすっぽ抜けた球がワンバウンド。これを千嶋が腹で受け止めて前に落とす。


「「「おぉぉぉぉぉ」」」


 そのワンプレーに歓声が上がる。


「なぁ武田」


「Hey!!」


 中腰から体を上げた親川は前に視線を向けたままセカンドの武田に声をかける。


「今の歓声を聞いてなんとなく察したけど、以前までのキャッチャー、赤羽なら後ろに逸らしてたろ」


「そら、そうよ」


「だろうなぁ」


 本当に分かりやすい。


 先頭バッターを打ち取って狂喜乱舞。初回を三者凡退無得点でまたも狂喜乱舞。点が入ればお祭り騒ぎで、ワンバウンド投球を前に落として大歓声。

それらの事でそれだけ喜べるというのは、それだけ今までレベルの低い野球をしていたことになる。千嶋曰く試合が成立しておらず、得点上限や2アウト交代など変則ルールが適用されるくらいなので当然ではあるが。


「赤羽さん。最低限止めるので、思い切って投げてきてください」


「ふぅ~由香ちゃん、親川先輩の真似? やっぱりかっこいいよね。その台詞ぅ」


「え? 別にそういうわけじゃ……」


「まだ言ってんのか、野里は」


 マスクの下で目を丸くする千嶋&呆れる親川の両名。


「親川先輩も~アンコール、アンコール」


「はいはい。内野陣、僕が捕ってやるから思い切って投げてこいよ~」


「「「うぉぉぉぉぉぉ」」」


「ライブ会場か何か?」


 野里の煽りに答えた彼は、その内野陣からの返しに疑問。確かに野球の試合と言うよりは、音楽ライブのノリである。


「さぁ、気張っていきましょう」


 ミットを叩いてしっかり開いて構える千嶋。


 セットポジションに入った赤羽は、いかにもサイン交換しているかのような頷き。そこから下手くそな投球モーションで、平行カウントからの第3球。


『(やった。いい球)』


 低めいっぱいの投球。所詮は緩い少年野球以下のスローボールであるも、絶妙なコースであることには変わりない。千嶋はその球を捕りに行くも、彼女のミットにボールは入らなかった。


『(返されたっ)』


 上手く真芯で弾き返された。マウンド―ホーム間でバウンドしたボールは、投球直後の赤羽を襲う。初心者レベルの守備力である赤羽にその打球処理は厳しそうであるが、人間には条件反射というものが備わっている。わが身を守ろうと反射的にグローブを出したのである。打球は半ば奇跡的にグローブに当たって、センター前には抜けずに済む。ボールはピッチャー・ファースト・セカンドのほぼ間に。


『(ここはまずい。僕が出るか。いや)』


 ここは親川自身が処理に出たいところ。しかし彼が1塁を空けてしまえば、誰も2塁に入ってくれない。本来ならセカンドが1塁カバーに入るところであるも、それを初心者のセカンド・武田に任せるのは酷である。


『(いや、もうひとつ方法はある)』


 親川は飛び出した。


「議員。任せろ」


 打球処理にマウンドを降りる赤羽を制する。本来ならばあり得ないプレーだが、ここではもうひとつアウトを取れる場所がある。


『(間に合うか?)』


 ボールに追いつき素手で拾いながらランナーを一瞥。


『(間に合う)』


「千嶋っ」


 体の向きを思いっきり左に旋回させながらバックホーム。


 そう。親川以外に送球をまともに捕れる選手。ホームのキャッチャー・千嶋だ。


 まさかホームに投げてくるとは思わなかったランナーは気を抜いている。十分に刺せる可能性はある。彼の送球はホーム前にて仁王立ちしていた千嶋が受け、ランナータッチに振り返る。やや追いタッチ気味になりながらミットを振り抜くが、球審によるコールはない。


 ランナーがスライディングしながらベースタッチを狙ったのだが、そちらが空を切ったのである。そして千嶋もタッチにいったがこちらも空を切った。つまりホームインでもなければアウトでもない状況。


「千嶋。タッチだ」


「千嶋さん」


 親川・織田両名からの声が飛ぶ。彼女はオーバースライドしたランナーにタッチしようと一歩踏み出すが、ここで立ち止まって足元を見た。


「……」


「……」


 立ち上がったランナーと、ボールを持った千嶋で無言のにらみ合い。千嶋はまったくタッチしに行く素振りを見せない。そして時間にして10秒弱。明らかに間延びしてきたタイミングで、ランナーがホームベースへと飛びかかる。が、彼女は足元にあったホーム(・・・・・・・・・)で彼を待ち受けタッチした。


「アウト、チェンジ」


 今度は球審の手が高々と上がった。スリーアウトである。


「よしっ」


「2点に抑えた」


「さぁ、反撃だぁ」


 それぞれ歓喜の声を上げながらベンチに戻ってくる一同。ただ親川は唯一難しい表情でベンチを目指していた。


「千嶋」


「ひゃい。な、なんでしょう?」


 声をかけられると思っていなかったようで、千嶋の声が裏返る。


「最後、何してたんだ? さっさとタッチすればよかったのに」


「うん。何やってたの?」


 わざわざにらみ合いをする必要はないと主張したい親川・織田だったが。


「ランナーは必ずホームを狙ってくる。だから待ってさえいればよく、追いかける必要はない。って、本に書いてありました」


「「本?」」


「はい。織田さんに借りた野球の本にです」


 野球では稀に見られる光景として、キャッチャーがランナーをタッチしにいった結果、ホームベースががら空きに。そのタッチを避けられて、そのままホームインなんてものがある。メジャーでは『ニンジャ』と例えられるプレーだ。その対処方法はただ一つ。『ホームを空けない。ホームで待つ』ことである。


「えぇぇ、あの貸した本、軽く100ページはあったよ。もう読んじゃったの?」


「私も勝ちたいですし、雄太さんに任せっきりも悪いですから。私なりにやることをやりました。どうでしょう」


 キャッチャー転向を打診したのは親川である。しかしバッティングセンターでのキャッチング練習も、本を読んでの勉強も、彼が特別に指示を出したわけではない。それはただ彼女の勝ちたいという思い、野球を上手くなりたいという思いが原動力となったものでもある。


「もぅ、サイレント。素晴らしい」


「Excellent.分かりもしない英語は使わなけりゃいいのに」


 織田から冷たいツッコミが飛んでくるが無視しておく。サイレントの訳は素晴らしいではなく静か・無音である。


「雄太さん。私たち、勝てますか?」


「知らない。でも、勝ちに行こう」


「はい」


 先制点を取った直後に早くも試合をひっくり返された。


 しかし試合はまだ始まったばかり。これからである。

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