第10話 棚から先制点
最低限の試合を成立させる目的で、あまりバッティング指導はしていない。守備はまだしも攻撃面は疑問である。
少し難しそうな顔をしていた親川だが、彼へと先頭の千嶋が声をかける。
「雄太さん。これは草野球です。たとえランナーがいたって、自分のやりたいように打ってくださいね」
「ノーアウト1塁で、引っ張り意識の強攻でも?」
「えぇ。初球を凡フライでも自由に。ヒットを打ってくれたら嬉しいですけどね」
中学野球であればまずはバント。それがなくとも流し打ちでゴロを転がせと言われるは間違いないのだろう。
「ところで千嶋。ネクストは?」
あたりを見回すとネクストバッターサークルがない。と、千嶋は、
「ないですよ。ベンチで待っていてください」
笑いながら答えてくれる。
ベンチと言っても長椅子が置かれているだけのもの。屋根なんてものはないし、バットケースもない。しいて言うなれば「ここから外はボールデッド」という線が引かれているくらいか。
「そろそろいいよ~」
「は~い」
ピッチャーに言われた千嶋が、素振りを2回して右バッターボックスに踏み込む。ネクストバッターボックスはないとのことなので、ベンチのややバックネット寄りにて待機。
「プレイ」
球審が正面を指さして1回裏の攻撃が開始。
「打席に立つのって久しぶりじゃない?」
「ここでの練習以外だと中学2年以来。試合で言えば……1年2学期?」
その合間にバックネット裏で試合を見ていた織田が話しかけてくる。今日の彼女はスカート姿に日傘片手。いつにもまして女子らしい恰好である。
「2年生ってほとんど試合に出てないもんね」
「いや、まったく出てない」
そもそも野球をやめた理由が、試合に出れなくなってやる気がなくなったためである。多少なりとも出ていたならば、自分の今いる場所は違ったのかもしれない。
もう二度と立つことはないと思っていたグラウンド。
見ることはないと思っていたマウンド上のピッチャー。
感じることはないと思っていた打席を待つ緊張感。
それらをしみじみと感じていると、金属音が彼の耳に飛び込んできた。
高めに浮いた球を千嶋が弾き返したのである。
味方陣営からは歓声が上がるが、
「おっと」
ショート真正面のハーフライナー。相手もそれほど上手い方ではないのか、経験者目線で言えば危なっかしい捕り方。
「いい当たり」
「ナイバッチ」
ピッチャーも、彼に返球するショートも、敵ながらあっぱれと千嶋に言葉をかける。彼女も笑みを浮かべながら会釈。
「雄太。次よ」
「分かってる」
彼は織田の背中を押す声を受けながらベンチを出る。
「雄太さん。いいバッティングとは言わないです。思い切って、自分の好きなバッティングをしてきてください」
「ありがと。頑張ってくる」
そしてベンチに戻ってきた千嶋からも声援を受けつつ打席横へ。
『(このバットを握るのも久しぶりだなぁ)』
野球はしないと決めていた。だからこそバットも、グローブも、スパイクも、すべてクローゼットの奥に押し込んでいた。だがそれは言いかえれば「もういらないはずなのに捨てられなかった」のである。だがその野球道具たちが再び日の目をみた。このもはや3年ぶりとも言える久しぶりの出会いを感じつつ、打席に入る前に1回素振り。
するとそのスイングにバッテリーがわずかに眉をひそめる。
『(いいスイングだ)』『(他のメンバーと違う?)』
初心者ばかり、経験者の千嶋も実力はそれほどではない。相手はその程度のチームのはず。しかし彼は違う。長谷崎のように構えだけいいタイプじゃない。しっかり腰の入った、力のあるいいスイング。
「お願いします」
一礼して打席に踏み込んだ親川。そのスタンスを目にしたキャッチャーは、警戒気味にアウトコースに寄った。
『(構えも違う。こんなのいなかったような?)』
今までの試合と違うのは守備の時点で分かっていた。
いつもの千嶋がマウンドに上がらずキャッチャーに。キャプテンの赤羽がピッチャー。そしてまともに試合すら成立しないチームだったのに、なんと三者凡退に切って取られた。
『(こいつが、あのチームを変えた?)』
勘ぐりながらもさっさとピッチャーに投じらせる。
親川は微動だにせず、モーションが始動してからようやく足を引く。
『(この感覚。この光景。3年前のはずなのに、もっと昔だった気がする。ずっとずっと前だった気が)』
体から消えかけていた感覚である。
いったいどこのコースに投げてくるのかという読み合い。
自分にボールが向かってくるのではないかという、経験を重ねて小さくはなれど消えはしないデッドボールへの恐怖心。
味方からの期待やチャンスの大きさに比例するプレッシャー。
そしてホームランを狙ってやろうという欲に、勝負師としてのワクワク感。
一言では言い表せない、プラスもマイナスもごちゃまぜの感情。すべてが足し合わされて相殺されるわけではなく、それらがプラスはプラスのまま、マイナスはマイナスのままに自らの心に迫ってくる。
決してきれいなフォームではないピッチャーが、足を前に踏み込み、下手な腕の振り方からボールをリリース。
引いていた足を前に踏み込み、スイングしようと腕に力を込める。
単純にしっかり軸足にためていたパワーを解き放つだけではなく、長年の間抑え込んでいた思い、そして打者としての感情をバットに込めてスイング始動
しかし感情に流されるままじゃない。
これも打者としての感覚のひとつ。
打ちたい思いの一方で、残った理性がそれを抑え込む。
『(アウトコース、外れるか?)』
ボール球だと分かる。
選球眼はまだまだ生きている。なにより、中学よりも球は遅い。
はっきりボールを見切って見逃した。
堂々たる様子で自信を持って打席を外す。
この1球の短い勝負が終わって少しの間緊張感から解放される瞬間。
これすらも懐かしく思う。
と、
「ストライーク」
『(ん?)』
球審の手が上がった。
『(あれ? 感覚が鈍ったかな? さすがに久しぶりだとなぁ)』
素直な笑顔と言うよりは苦笑いか。そもそも彼の選球眼の狂いの可能性もあるが、この程度なれば球審による判定のブレとも考えられる。
そうしていろいろ考え事をしつつ冷たい表情を浮かべる親川に、ベンチの千嶋が気付いた。
「あっ、タイム。タイム。雄太さん、忘れてました」
「な、なに?」
慌てて飛び出てくる千嶋に敵味方、ついでに審判の視線も集まる。
「雄太さん。普通のストライクゾーンだとなかなかストライク入らないんで、ローカルルールでゾーン広めなんです」
「あっ、そうなの?」
まさかそんな露骨に違うとは思わなかった親川は驚き。そしてその言葉で審判をやってくれている人も含めて、相手方の全員が気付く。
「もしかしてニューカマー?」
審判がマスクを外して指さしてくる。
「え? 名前なんてぇの?」
さらにキャッチャーもマスクを外して声掛け。
「お、親川雄太です。先週からチームに入れてもらいました」
「お前も『ゆうた』なの。俺もゆうたなんだ。俺、新藤祐太。大学2年生。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
久しぶりの打席がなぜか自己紹介の現場に代わった。
「それにしても新入りかぁ。経験者? 野球やってたの?」
「一応、中学校2年生まで……」
「そうだったかぁ。どうりでスイングがいいはずだぁ」
「新藤。ほどほどにな」
「へ~い。じゃ、楽しんでいこうぜ、雄太」
背中を二度三度と激しく叩いてしゃがみこむ。
するとそんなテンション高めの彼に対し、露骨にため息をもらした男子の審判。
「ごめんな。ウチの新藤が。それでストライクゾーンなんだけど、気持ちボール1つから2つ程度広めに取ってる。いいかな?」
「は、はい。分かりました。ありがとうございます」
わざわざ教えてくれた彼に礼を述べる親川。そうしているとさらにキャッチャーの新藤が騒ぎ出す。
「礼なんていらねぇって。ニューカマーに気付かなかったこいつの説明不足だって」
「新藤も気付かなかっただろ?」
「うるせぇなぁ。理系は理屈臭くてかなわねぇ」
文句を言うキャッチャーに拳骨一つ。
「さぁ。始めよう。プレイ」
改めてプレイ再開。
『(集中力が途切れた。なんだったんだ、今のは)』
別に打者の集中力を乱す球審ぐるみの戦術ではないだろうが、こんなことがあるとは思わなかっただけに動揺は隠せない。
『(でも――)』
第2球がリリース。
『(この程度のボールで良ければ、条件反射で打てるか?)』
球が遅すぎたせいで、センター返しには少し早すぎた。しかしそれがかえって引っ張りとしては絶妙なタイミング。真芯で捉えたボールがレフトの頭を越え、左翼線わずかフェアゾーン寄りでバウンドした。
「「「おぉぉぉぉぉぉ」」」
チームではこんなバッティングをする人がいないせいか、その一打に大歓声が上がる。さらに親川はそんなお祭り騒ぎのメンバーの前を走り抜け、一気に1塁を蹴った。
『(打球は十分深いところ。3塁まで行ける、いや、ランニングホームランも狙えるか?)』
確かに親川は打撃フォームを崩してスランプに陥った。その打撃の乱れが守備の乱れも呼んだ。だが、この快足はまだ生きている。
2塁も蹴る。
『(よし、ホーム行ける)』
3塁に向かいながら打球を確認した親川。まだいけると判断して3塁も蹴った。ところがその直後、両手を上げた球審が目に入ってきた。
「エンタイトル、エンタイトル」
「あぁ~」
ランニングホームランを狙えると思っていた親川は天を仰ぐ。
この感覚も懐かしい。少年野球ではこうした河川敷や狭い学校のグラウンドでやっていたこともあり、ランニングホームランが一転、草むらに入った、遊具に当たったなどでエンタイトルツーベースになることも多かった。
ホームランが消えたにも関わらず、親川は笑みを浮かべながら2塁へ戻る。その表情は打席中で浮かべた、きわどいコースに向けた苦笑いではない。懐かしさと、塁に出ることができた嬉しさからくるものだ。ただ思い直してみると、打った瞬間、そしてここまで来た瞬間の間が思い出せない。バットを振りおろしたところは覚えている。だが以降、慣れ親しんだ金属音が耳に飛び込んできたような、ボールの位置を見て次の塁を狙おうと走ったような、非常に曖昧なのである。唯一、ボールを弾き返した時の手の感覚が残っているような気もするが、それはその打った瞬間のものではなく、わずかに芯を外したせいで今現在、彼の手がちょっとしびれているだけかもしれない。
「打った……んだよな?」
明らかに打撃のタイミングは狂ったまま。今のはその狂いが結果的によく働いただけである。それでも結果が出たことには違いないのだ。
「ナイバッチ」
「ありがとうございます」
2塁に向かう途中、ショートとハイタッチ。
ワンアウトでランナー2塁。ワンヒットで先制点のチャンス。
「盗塁っていいんですか?」
「う~ん。あまりに無警戒ならいいけど、ガンガン走られると、ねぇ?」
ショートの大学生に聞くところによると、「いいけどほどほどに」らしい。加減の分からない親川は、ここは走らないことにしておく。できればこの牽制とスタートの駆け引きも味わいたかったが、そこまではできなさそうだ。
『(打順は山城、武田。2人ともバッティングはいい方だけれども)』
いい方と言っても素人であり、1番の千嶋、2番の親川と比べると見劣りするのも当然の打力である。
それほど牽制も意識せず、かといって隙あらば3塁を奪うかのような積極的な意識もない。気持ち小さめのリードを取りつつ中腰姿勢。
『(盗塁は狙わないけど、ワンヒットでホームは突かせてもらう)』
構えだけは打ちそうな左打者・山城は、初球のボール球を豪快に空振り。
当たれば飛びそうであるものの、当たる雰囲気は一切見えない。
しかし2球目。ど真ん中の甘く入った球を割とあっさりバットに当てる。体全体を使った全力フルスイングに外野への一打を期待できそうであったが、打球は意外にもサード真正面の弱いゴロ。
『(いけるか?)』
2塁の親川は少し2塁ベースから離れて3塁を狙う構え。打球を拾ったサードは2塁を一瞥。親川とサードのコンマ数秒の短いながらも確かなにらみ合い、駆け引きが行われるも、ワンテンポ遅れて1塁送球へ。これを見た親川は送球間の進塁を狙って3塁へ向けてスタート。
『(間に合――う)』
親川のややブランクのある感覚として際どいかと思われるもやはりそこは草野球。ファーストが捕ってからも遅い上に、打球処理にサードが飛び出たために3塁はがら空き。そこへカバーは入らない。山城は1塁でアウトも、親川は悠々と3塁へと到達。
「やっぱり雄太、走る分は上手いなぁ。雄太は昔から守備と走塁は化け物だったもんね」
その彼らしい走塁に、織田はわずかながら昔の彼が帰ってきたことを感じる。昔の彼はあらゆる点において野球の天才であったが、特に守備・走塁の2点については超天才的な一面も見せていた。先のプレーは野球経験者であればできないプレーでないにせよ、今のスタートそのものはこれ以上ないベストのタイミングだ。
さらに織田は見ているだけも暇なことがあり試合展開の分析に乗り出す。
「ツーアウト3塁。本来ならバッターアウトで無得点だから額面ほどチャンスではないけど、草野球って思ったより守備が雑。もしかしたら内野安打やワンミスで点が入るかも」
スクイズや犠牲フライ、内野ゴロ間の得点などが生まれないツーアウトであるも、2塁と異なり3塁にいれば内野安打、エラー、その他ワンミスでの得点が計算に入る。山城の進塁打が吉と出るか凶と出るかは、
「武田さん。お願いします」
「千嶋ちゃん、行ってくるよ~」
初めて4番に座った武田に託される。別に打撃が良くて4番ではなく、3番以降は赤羽の思う打撃のいい順に並べただけ。言わば親川・千嶋がナンバーワン、ツーとして、3番・山城に次ぐ4番目に打撃のいい選手というだけである。ただそれでも現チーム内で4番目に打撃が期待できるという点では間違いない。
『(ほんと、みんなバッティングフォームだけは経験者よりも打ちそうなんだよなぁ)』
3塁で小さなリードを取りながら武田に目をやる親川。
親川・千嶋の両経験者、加えて経験者の兄から指導が入っていた長谷崎。この3人については力が抜けた比較的落ち着いたフォームである。ただ他のメンバーは大きく構えてバットを振り回しリズムを取るような、いかにもなフォームが多い。もっとも結果がでるかどうかはまた別問題である。
「ストライーク」
「だよね」
バットとボールが大きく離れたスイングに親川は予想通りの反応。馬鹿にしているわけではないものの、打撃能力など既に何度かバッティング練習で見ている。もし彼ら彼女らの中に見られるバッティングをする人がいるならば、親川が覚えているに違いない。彼が認識している限り、まともなバッティングをするのは千嶋くらいのものである。
「経験者の兄ちゃん」
「は~い」
「初めての試合ってどう?」
攻撃は望み薄しと判断した親川。ちょうどサードの大学生が話しかけてきたために、暇つぶしにその話に乗っかる。今までの野球部の試合ではこうしたことなどなかっただけに、非常に和やかで緩いものであると思わされる。それに何のためらいもなく乗っかるあたり、親川は早くもそれに馴染み始めたということか。
「やっぱり野球はいいですね」
「兄ちゃんはどれくらいやってたの?」
「小1から中2なので……」
「8年?」
「中2の途中でやめたので、8年半くらいですかね」
「それだと多分7年半」
計算がどうも苦手なのである。と、四方山話をしていると耳に飛び込んだ金属音。
「あれ? 打った? 打球は?」
話に集中していて打球を見ていなかった親川があたりを見回すと、先ほどまで話していたサードが「あそこ」と指さす。
「上げたか」
武田の泳ぎながら放った一打は内野後方の凡フライ。親川は得点を諦めながらも、やや駆け足でホームへとスタート。
『(先制点を挙げられたらよかったけど……)』
とホームに一瞬目を向けて、すぐに視線をボールへ戻す。するとその宙を舞っていた内野フライは上空の微妙な風に流されてセカンド・ショート・センターの三角地帯へ。
「あれ?」
打球の流れ方がおかしい。経験者の彼ですらそう思うのだから、野球経験の浅い守備陣ではさらに落下地点が推測できないのだろう。落下してきたボールにようやく目測がついたセカンドがジャンプしながら手を伸ばす。しかしそのボールはグローブをかすめた。
「フェア、フェア」
「おっ、落ちた」
既にスタートを切っていた親川は、落下とほぼ同時にホームを踏む。
「よっしゃあぁぁぁ」
「ナイバッチィィィ」
「やったぁぁぁ」
無失点の1回表守備による興奮冷めやらぬ1塁側ベンチ。親川のツーベースによるチャンスメイクに加え、武田のポテンヒットによって先制点を挙げたことで、その興奮は超大爆発。
「議員。さては初回の先制点は初めてだろ」
「初回の得点どころか、先制点自体が初めて。ついでにリードしたのも初めて」
「分かりやすっ」
ホームを駆け抜けた親川はそのまま1塁側ベンチへ。打席に入る準備をしていた長尾とハイタッチを交わしたのち、さらにその横にいた赤羽に聞いてみる。つまるところが試合を有利に展開したこと自体が初めてないようである。
「親川さん。お帰りなさい」
「う、うん。ただいま」
確かにホームに帰ってきたとはいえ、「お帰りなさい」と言われたのは、小中の野球でも経験がない。長谷崎の斬新な声掛けに戸惑いながら、ここは「お帰りなさい」に対する定型句として「ただいま」とは返しておく。
「親川先輩、ナイスラ~ン。由香ちゃんが惚れるのも分かるぅ。私も惚れちゃいそうだぁぜぇい」
「わ、私、別に惚れているわけじゃ……で、でも、初めて先制点を挙げたのも雄太さんのおかげかもしれないです」
いつの間にやら次の守備に備えてレガースを付けていた千嶋。と、彼女を煽りつつも、彼を大歓迎する野里。
「いいの、いいの? そんな消極的だと、親川先輩は私が持って行っちゃうよ?」
「「えぇぇぇぇ」」
千嶋に加えて親川の驚きの声が重なる。
「だってだよ。前の守備だって、私が暴投したら『100でも200でも捕ってやる』だよ。きゃあ、かっこいい」
「あの程度で惚れられたら、いったいどれだけ恋愛候補がいるんだろうなぁ」
少なくともプロ野球選手は全員であり、高校球児もその多くが候補となるだろう。素人集団にいる彼女にとってはスーパープレイなのだろうが、先のプレイは野球経験者にとっては安定してできるものだ。もちろん猿も木から落ちることもあるが、ひとまず難しいものではないはずだ。
「いえ、いえぇ。私の初恋は親川先輩だけだよ~」
何やら言っている勘違い野里はもう放っておき、ヘルメットを片付けに行く。
「なぁ、議員。野里っていつもあんな感じなの?」
「う~ん。いつもよりテンション高めな気はするけど、誤差の範疇な気がするなぁ。今までの練習でもそうだっただろうって」
「あまりそうしたところは気にしてなかったからさ。じゃあ、割とみんなに求愛してるんだな。男子勢も大変だ」
「え? 求愛? そんなのされたことないけど?」
いったい何のことを言ってるんだ? と本気で不思議がられる。
「なに? じゃあ、今のって」
野里の方を振り向いてみると、視線に気づいた彼女が投げキッスしてくる。
「うわっ。マジだ」
「あぁ、大変だ。野里なんてしつこそうな子に目を付けられちゃったな。でも大丈夫。決して悪い子じゃないから。一緒にいれば仲良くなれるさ」
「本当に?」
「Y、Year!!」
「大丈夫か? 目がめっちゃ泳いでるぞ。自由形金メダルだぞ」
今までに見たことのないほどの目の泳ぎ方である。
「野里ももっと外の世界を知ればいいだろうに。僕より上手いヤツなんてざらにいるぞ」
「井の中の蛙、大海を知らず。ねぇ」
目の水泳五輪から戻ってきた赤羽がことわざを引用しつつ返す。親川は自分のプレイに惚れているかのように解釈しているが、彼女曰く親川のプレイ+その後の対応に惚れているのである。そこは彼の認識不足である。