プロローグ
教室の窓に止まった1匹の蝶が羽ばたく。
その小さな羽ばたきことによっても、将来的に遠く離れた地によって竜巻が起こることがある。これをバタフライ効果と言う。科学界で用いられるカオス理論を表現する一つの言葉である。
と言うのは、どこぞの辞書にでも載っていそうな説明である。
彼はその蝶が飛び立ったのを見送りながら、なお教室の外を見つめ続ける。
今年は桜の開花が少し早かったことに加えて、雨が少々多めだったこともあり、4月中下旬にはもう花は散ってしまっていた。花見に行くわけでもなく、新入生が入ってくることに胸を躍らせていたわけでもない。ただただ退屈な1年が始まると思っていた少し憂鬱な卯月である。
「どうしたのっ?」
彼の背後から高い声がかけられる。
彼女曰く『幼稚園からの幼馴染』であり、彼曰く『防腐剤が意味を為さない腐れ縁』とのこと。
「どうかしないとボーっとしちゃダメか?」
「もぅ、意地が悪いんだから」
自分のものではない椅子を借りた彼女は、その上で胡坐をかきだす。下着が見えるのもお構いなしかのような行動だが、この場にはそんなものを見て喜ぶ人間はいないのである。
なおもやや上の空気味に外を見つめる彼に、彼女はまるで釈迦か仏のように静かに柔らかな瞳を向ける。
蝶1匹の羽ばたきですら遠く離れた時間・場所において大きな竜巻を起こすかもしれないのだから、高校生1人の思い切った善意の行動が彼の高校生活を大きく歪めても不思議ではないのかもしれない。きっとそこにあるのは偶然が重なり続けて生まれた大きな偶然であると同時に、自分が積み重ねてきたものがあったからこその必然的な要素もあるのだろう。
「ねぇ、本音はどうなの?」
彼女は彼の前の席へと座る位置を変える。またも自分のものではない椅子を借りて、逆座りしながら彼の顔を覗き込む。
「やる気ない」
「本当にやる気がないなら、そんなに考え込まないと思うなぁ」
「うるさい」
彼は勢いよく立ち上がると、カバンを手にして教室から出ていく。
「帰る」
「待ってよ。私も一緒に帰るから」
「ついてくるな」
彼の生き甲斐であったにも関わらず、今の彼の手にはそれが存在しない。が、それを捨てて忘れかけた時になって、彼の手にそれが飛び込んで来ようとする。捨てたくないのに手放し、必要がない時に舞い戻る。天邪鬼な運命。だからこそ彼の欲求不満と悩みを助長させているのだろう。
アメリカ、もしくはイギリスにて生まれたとされるそれは、日本ではかれこれ150年近い歴史を誇るスポーツである。最近ではサッカー人気に押されつつあるものの、今でも一定数以上の人気がある存在。
日本ではそれを『野球』と言う。