第8話 白銀騎士の襲撃
太陽が西に傾きだした頃、ウィレムとホイの乗る荷台が大きく揺れた。ロバが道の途中で止まってしまったのだ。見ると、林道の真ん中に立って、行く道を妨げている者がいた。
立ちはだかるのは白銀色の甲冑を身にまとった騎士が一騎。馬も巨大なら、跨がる騎士も人並み外れて大きい。その騎士が背負うのは、身の丈ほどもありそうな大剣である。兜の頭頂部では、鶏冠に似た大きな飾りが誇らしげに揺らめいていた。
御者が道を開けるように頼んでいるが、どうも雲行きが怪しい。兜の所為で男の顔色をうかがい知れないのも、不気味さを増大させた。
蒸すような緊張が一同を包むなか、騎士の馬がゆっくりと歩き出した。
やっと道が開くと、皆が息を吐いた。
だが、騎士と荷馬車が交わる瞬間、彼は無造作に腕を振り上げると、背負っていた大剣を御者台めがけて振り下ろした。
土埃が舞い、轟音が大気を振るわせた。荷台は激しく上下し、ウィレムとホイは勢い良く外へ投げ出される。騎士の一撃は御者台を半壊させ、ロバと荷台をつないでいた轅を真っ二つにしていた。
ロバは今までの歩みが嘘のような早さで逃げ去り、御者も悲鳴を挙げながら一目散に姿を消した。荷台から落ちた時、地面で身体をしたたかに打った二人だけが、その場に取り残された。
「ウィレムとホイというのは貴様らだな」
馬上の鎧からくぐもった声がするが、兜の所為でよく聞き取れない。
返事をしない二人に対し、騎士は兜を脱ぎながら、苛立たしげに繰り返した。
「タルタロスに向かおうとしている、ウィレム・ファン・フランデレンとホイというのは、貴様らのことかと訊いている」
兜飾り以上に逆立った短髪、太く短い眉を吊り上げた青年が、元々大きな目をさらに見開いて、二人に迫った。
男の迫力に押され、ウィレムとホイは黙ってうなずくしかなかった。
「やはりそうか。甘言を弄して我が王を謀り、異教徒との戦争だけでは飽き足らず、蛮族との同盟まで画策するなど、万死に値する」
全く身に覚えのない嫌疑だったが、目を血走らせた男の圧力を前に、ウィレムは言い返すことが出来なかった。
「た、謀ったなんて人聞きの悪い、あっしはただ――」
何か言いかけたホイの頭上に、騎士の二撃目が落ちる。
「問答無用。我が王に成り代わり、このマクシミリアン・ガルス・ガルスが貴様らに誅を下してくれる」
マクシミリアンの攻撃をまともに受けたホイは、白目をむいて仰向けに倒れ込んだ。醜かった鉤鼻はさらに醜くひしゃげ、額から顎にかけて、大剣の刀身幅に太い溝が刻まれていた。
「僕は違う。貴方の言っていることは、何一つとしてわからない」
身の潔白を訴えたが、マクシミリアンは止まらない。
「問答無用と、言っただろうが!」
怒りにまかせた相手の一撃を、ウィレムは地を転がって辛うじて躱した。先程までいた場所を見ると、大剣によって地面が大きくえぐられていた。
こんなものはまともな人間の業ではない。冷たい汗が背中にびっしりと浮いている。
「逃げるとは卑怯な。大人しく罰を受けろ」
一瞬、何かが鼻先をかすめて落ち、遅れて怒号と振動がウィレムを襲う。見ると、股の間の地面に大剣の切っ先がもぐり込んでいた。
全く目に見えなかった。今の一撃は、運良くウィレムの身体にはとどかなかったが、次も運が良いとは限らない。今更、普段から真剣に神に祈っていればよかったと悔やんでも遅いのだ。
見上げると、覆い被さるように馬上の男が見下ろしている。
いつもそうだった。自分は遥か高みを見上げる側にいた。この男は、アンナやルイと同じ、高みに至ることが出来る人間なのだ。はじめから敵うわけがなかった。
諦めたように頭を伏せるウィレムを見て、マクシミリアンも少しばかり冷静さを取り戻した。
「やっと殊勝な態度になったな。良い心掛けだ」
地に刺さった剣を抜き、最後になるであろう一撃を放つ。凶暴な風切り音をともなって、大剣が砂煙を巻き上げた。
しかし、息を止め、瞼を閉じて身構えていたウィレムの身に、いくら持っても痛みが襲ってこない。
まさか、痛みを感じる間もなく屠られて、既に自分は天に召されたのだろうか。そんなことを思いながら目を開けると、自分を殺すはずだった凶刃は、先程の一撃よりも離れた所に埋まっていた。
当の騎士でさえ、予想外の出来事に呆然としながら、自分の手と剣先を交互に見比べている。
ふと、見上げる者と見下ろす者、両者の目が合った。今まさに、生死の際にありながら、空気は弛緩していった。
慌てて剣を抜いた騎士は、次はやや慎重に剣を振ったが、今度は反対側の地面がえぐれただけだった。
「貴様! 何やら怪しげな呪術でも使っているな」
マクシミリアンの顔が瞬く間に赤くなり、ただでさえ立っていた髪は、空に届きそうな勢いで逆立った。
もちろん、ウィレムは呪術など使っていない。だが、自分が生きている理由は何となく理解出来た。
馬上に座している人間にとって、真下に伏している人間とは距離感がつかみにくいのだろう。加えて、この騎士はあまり手先が器用ではないのかもしれなかった。
偶然であろうと、命はつながった。ならば、次の選択は一つしかない。相手の様子をうかがいながら、ウィレムはいつでも動ける体勢を整えた。
怒りを顕わにしたマクシミリアンが、乱暴に大剣を持ち上げようとした時、ウィレムは素早く林の中に飛び込んだ。
木の根の上を転がり、その勢いのまま走り出す。
後方からウィレムを罵倒する声と、甲冑の金属板が派手に擦れる音が聞こえる。
その音を気にする素振りも見せず、ウィレムは木々の間を走った。
ただ生き残るためだけに。