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第83話 神宿り

 モハンムーラと連れだって村に戻ると、中央の広場に村人が集まっていた。何事かと思い近付いていくと、ウィレムたちに気付いたスジャータが駆け寄ってきた。



「お帰り、お兄ちゃん。全然戻って来ないから心配しちゃった」



 跳び付くスジャータを受け止める。想像以上に勢いがあり、ウィレムは危く倒れそうになった。上体を反らせたウィレムの背をモハンムーラがすかさず支える。



「これは元気なお嬢ちゃんだ。だがね、気を付けんと怪我をしてしまうぞ」

「お爺ちゃん、誰? なんだかとっても(まぶ)しいわ」



 手をかざして仰ぎ見るスジャータに、モハンムーラは嬉しそうに大笑する。



「なんとも(さと)い子だ。とても庶民(ヴァイシャ)とは思えんな」



 彼が細い手で彼女の額を無造作に撫でまわすと、スジャータはむず痒そうに頭を振った。その様子を見て、モハンムーラはさらに大声で笑う。その声に人が集まり、彼を盛大に迎え入れた。


 日が落ち、辺りを薄闇が包む頃、広場には篝火(かがりび)に照らされた木組みの楼台が建ち上がった。炎を映す赤い(うてな)の上には祭壇が設けられ、中央の火炉では(たきぎ)が乾いた音を立てて燃えている。



「あの、なんで僕はこちらにいるのでしょうか?」



 楼台の下で村人が楽しそうに宴する声を聞きながら、ウィレムは隣に座るモハンムーラに尋ねた。アンナたちも村人に混じって下に席を貰っているのに、ウィレムだけが台の上に座らされている。台の上にいるのは、ウィレムを除くとモハンムーラと周りに侍る彼の娘たちだけだった。



「祭壇は神聖な場所なのだ。誰もが昇って良いものではない。それに、バラモンは庶民とは食事の席を共にせんのが慣わしなのでな」



 彼の説明だけでは自分が台上に呼ばれた理由が理解できず、ウィレムは遠慮がちに声を忍ばせながら、再度尋ねた。



「それで、何故僕はここに?」

「あんたは異国のバラモンなのだろう。ならば、席はこちらだ」



 ウィレムの格好を指差しながら、モハンムーラはさも当然といった顔つきで、自分の器から豆を取った。村人たちの皿には祝いの料理が並び、鼻をくすぐる香辛料の香りが台の上まで昇ってくると言うのに、ウィレムの器には豆や野菜ばかりが並んでいる。そのうえ、味付けは控えめで、口のなかは青臭さで満たされていた。

 ふと心配になって見下ろすと、アンナの皿には肉が乗っていない。顔色も悪くはなく、スジャータの歌に合わせて手拍子をとっている。踊りださないあたり、本調子ではないのだろうが、周囲に合わせて笑顔をつくれる程にはなったのだろう。気掛かりがなくなると、途端に腹の虫が騒ぎ出し、ウィレムは自分の器から豆を掴み取って口に入れた。


 宴も(たけなわ)というところで、モハンムーラはおもむろに立ち上がると、台の端に立って村人たちを見下ろした。すると、村人たちの声が退いていき、子どもまでが騒ぐのを止めて楼台のバラモンを見上げた。張りつめた空気を裂いて、モハンムーラの厳かな声が広場に響く。



「これより、聖体拝領の儀を行う」



 声は遥かな夜空に四散し、静寂が降り注いだ。あまりに異様な雰囲気に、これから何が起こるのかと、ウィレムは狼狽(うろた)えながら台の端の方へ退いた。

 モハンムーラのわずかに開いた唇から、呻き声のような低く重い音が漏れる。殊更平板で、強弱に乏しく、呼吸なく続いた声が一旦途切れると、今度は同じ唱句を彼の娘たちが復唱する。さらにその声を追うようにして村人までが同じ唱句を唱えはじめた。事の次第をわかっていないのはウィレムたちだけのようで、スジャータまでが唱句を(そら)んじていた。

 次々に呪文の唱句を唱えながら、モハンムーラはゆっくりと祭壇の前に腰を下ろす。揺らめく炎を正面に見据え、手元の器から雑穀を掴み上げると、それを燃え盛る炉のなかへと投げ入れた。すると、火の勢いが増し、穀物が盛大な音を立てて弾ける。火柱が昇り、火の粉が舞うなかでも、モハンムーラは微動だにせず、目を見開いたまま唱句を唱え続ける。皺だらけの顔には幾つもの火傷が出来ていた。


 どれほど経ったのか、気付けば既に月が天高く昇っている。再び立ち上がり、村人に向かい合うモハンムーラの背を月光が照らす。神々しささえ感じる光景に、ウィレムは唾を呑んだ。昼間の好々爺(こうこうや)の姿はそこにはない。

 バクティが静々とモハンムーラの(かたわ)らまで歩み寄り、二つの器を手渡す。彼は器を受け取ると、それを頭上高く捧げた。



「此は我が体なり、此は我が血なり」



 はっきりと聞こえたその言葉に、ウィレムは耳を疑った。異様な儀式のなかにあって、その言葉だけは彼の良く知るものだったからだ。昔、修道院で何度となく目にした言葉だ。その言葉が何故異教の儀式で使われているのか、疑問に思っても、尋ねられる状況ではない。止む無く、成り行きを見守り続ける。

 モハンムーラは器のなかからパンを取り出し、一口かじった。さらにもう片方の器に唇を当て、なかの液体を口に含んだ。顎の筋が伸縮し、口のなかのものを細かく磨り潰す。呑み込む時には彼の突き出た喉骨が、意思を持った生き物の如く、上下に動いた。


 再び器を掲げたモハンムーラは高らかに声を上げた。



「今、我が身は神なり。又、神は我なり。我が身に万有宿り、我が威光(テージャス)は天地に満つ。我、原初の人(プルシャ)と成れり」



 彼に呼応するように、歓声が沸き起こる。熱狂が階下に広がるのを見届けると、モハンムーラはその場にすとんと座り込んだ。台の下に落ちるのではないかと思い、ウィレムは咄嗟(とっさ)に彼の手を掴む。彼のもう片方の手はバクティが握っていた。二人に支えられたモハンムーラは一瞬眉を上げた後、表情を崩して礼を言った。

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