第81話 バラモンの庵
たどり着いたバラモンの庵は、ウィレムが想像していた以上に、粗末で質素なつくりだった。木と蔓を編み、自然のままの石で止めた簡素な小屋で、壁は隙間だらけ、屋根は隣に立つ大樹の枝葉を借りているような有り様だった。ガリアなら、清貧を旨とする修道士であっても、このような小屋には住まないだろう。
庵の前では、三人の女性が和やかに言葉は交わしながら、煮炊きに勤しんでいた。ウィレムたちに気付くと、年若い二人は年長に見える女性の背中にそそくさと隠れてしまった。
「今日はどういったご用件でしょうか」
女性が張りつめた弓弦のようなはっきりとした声で問う。白い肌に真っ直ぐな鼻、その下で小さな唇をきりと結び、眉根を寄せると短い眉が吊ったように見え、怒った子どもの顔を思わせる。なんとも気の強そうな女性だった。
「今日は、バラモン様にお願いがあって参りました。こちらは私たちの村で取れた豆でございます。どうか、お納め下さい」
ナラーヤナが牝牛の背から荷袋を降ろして女性に渡す。彼女は袋を受け取ると、なかを一目のぞいてから、後ろのいる少女の一人にその袋を預けた。
「父様は瞑想の最中です。代わりに、私が用向きを聞きましょう」
そう言って女性は一行を持て成しながら、残った少女に牝牛の世話を命じた。袋を待たせた少女には中身を壺に移すように伝える。歳の割に手際よい差配を見て、ウィレムは素直に感心した。
ナラーヤナたちの要件は、神に祈っても雨が降らずに困っているというものだった。そこで神に仕えるバラモンを頼り、問題を解決してもらおうというのである。終始黙って聞いていた女性は、話が終わるとウィレムの方に視線を向けた。突然向けられた矢のような眼差しに、ウィレムは一瞬たじろいだ。
「其方の方々はどういったご用ですか。見たところ、この辺りの人ではないようですが」
ウィレムの反応に小さく眉を寄せつつも、口調は至って落ち着いている。ウィレムは平静を装いながら、改めて自分たちの事情を彼女に話した。
「わかりました。ウィレム様のご用向きも含め、父様が瞑想から覚めましたら、伝えておきます。今日はこれにてお引き取り下さい」
「おいおい、こっちははるばる訪ねてきたんだ。そりゃ、あんまりだろう」
立ち上がろうとする女性にイージンが食ってかかる。女性はあからさまに顔をしかめた。広い額の端に青筋が浮く。
「あんまりとは何のことでしょうか」
「父ちゃんを一丁叩き起こせば済む話だろう」
「なんと無礼な。瞑想は百と八日に及びます。その間、何人たりとも父様に近付くことは許されません」
「無礼はそっちだろう。初対面だってのに、名乗ってすら、いねえじゃねえか」
イージンが話す間中、女性は肩を小刻みに震わせていた。彼もそのことに気付いていたのだろう。生来の意地の悪さを発揮し、いつも以上に陰湿な口調で話している。ウィレムは止めに入る機会を逸し、気を揉みながら成り行きをうかがっていた。
「これだからアヴァルナは嫌なのです。お前のような者に名乗る名はありません」
金切り声を上げて立ち上がると、女性は庵の方へ去ろうとした。形だけでもイージンに謝らせようとウィレムは彼の腕を引く。調度ウィレムがイージンの後頭部を押さえて伏せさせようとした時、庵のなかから年配の男の声が聞こえてきた。
「バクティや、はしたない声を上げるでない。劣情に流されるはお前の悪癖ぞ」
声を聞くなり女性はその場に跪き、ナラーヤナたちも声のした方へ叩頭した。ウィレムは事情を飲み込めず、あたふたと周りを見回し、他の者を真似て一拍遅れで頭を下げた。
ぺたぺたと地面を踏む足音が聞こえ、人の気配が庵の入口に現れる。うつむいたままの姿勢でうかがい見ると、小柄な老人が庵から出てくるところだった。
老人の身体はやつれ果て、皮膚には骨と血管が浮き上がっている。頭に髪はなく、頭蓋骨に直接白い髭をたくわえたような風貌だったが、不思議と不気味さは感じない。深く落ちくぼんだ眼窩の底で、人懐っこい瞳が一同を見下ろしていた。
「皆の衆、娘が済まないことをした。本当は賢く優しい子なのだ。許してくれ」
老人は入り口前に控える娘の頭をひと撫ですると、足取り軽く歩み出た。皆恐縮しているのか、答える者はいなかった。老人は禿げ頭をかりかりと擦る。
「まあ良い。要件はわかっておるしな。大気に漂う活力も随分と薄くなった。『原初の祭祀』をしてやるから村に戻っておれ。バクティ、お前はサティーとスーシラを連れて先に行き、準備を済ませておきなさい」
老人の指図に従い、ナラーヤナたちが動き出す。
「父様は一緒にいらっしゃらないのですか」
先程までの澄ました態度が嘘のように、バクティは甘えた声で老人を見上げる。イージンが面白くなさそうな顔をしていたので、余計なことを言い出さないように、ウィレムは彼の脇腹を軽く小突いた。だが、全てを見抜いていたかのように、イージンは身体を捻ってウィレムの肘を躱す。上体を崩したウィレムはその場に倒れ込んだ。眉間に皺を寄せて彼をにらむと、目を細めて満足げな冷笑を浴びせてくる。
不意に、にらみあう二人の間に乾いた木の枝が突き刺さったかと思うと、釣瓶落としのように勢い良く老人の顔が現れた。思わず後退るウィレム。イージンは平然としていたが、肩が微かに揺れていた。
「儂はこちらのお客人と少し話してから後を追う。あんたらもその方が良かろう」
老人は動揺する二人に隙間だらけの歯を見せて笑いかけた。