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第70話 再出発

 初夏の温かな陽気のなか、ウィレムはコンスタンティウムの雑踏を歩いていた。ナルセスの反乱が鎮圧されてから既に一週間以上経っている。激しい戦闘がなかったためか都市機能に痛手はなく、人々には普段の活気が戻っていた。一方で騒がしい街並みに反し、ウィレムの足取りは重い。脚を引きずるようにして、うつむきがちに歩を進める。



「まさか、ああいう結末に落ち着くなんてね……」



 ウィレムは振り返り、先程まで自分たちがいた王宮を仰ぎ見た。

 ナルセス死後、城壁外の国王直轄軍(プラエゼンタリス)と内部のマレイノス家私兵団の活躍で、反乱は呆気なく鎮圧された。その後、反乱を未然に防げなかった罪、王の身を危険に晒した罪により、文武両官で多くの者が処罰されることになったらしい。最大勢力だったヒッピアス一派も大きく力を削がれる結果となった。

 ヒッピアスに代わる新たな筆頭大臣の献策により、国王の身辺警護を専門で行う近衛兵が組織されたという話も聞いた。ウィレムが驚いていたのはその陣容である。



「今回の一件で最も恩恵に浴したのはマレイノス家でしょうね。そういう意味では、ワタシたちをベリサリオス様に預けたテレーザ様の判断は、正しかったということでしょう」



 オヨンコアの言葉にどう答えれば良いかわからず、曖昧な笑みを返した。

 その日、ヘレネス王への謁見が許され、改めて王宮を訪れたウィレムたちが見たもの、それは筆頭大臣として王の側近くに(はべ)るベリサリオスと、玉座の両脇を固める近衛兵のなかでも一際目を引くレオポルドの姿だった。動揺したウィレムは、そのことが気になって王の話が半分も耳に入らなかった。



「聞いた話では、反乱鎮圧の功績で異例の出世をされたということです。近衛兵の多くはベリサリオス様の私兵から選抜されたらしいですよ」



 どこから集めてくるのか、オヨンコアの話はあの晩ウィレムが経験したことと照らし合わせても、事実のように思えた。ベリサリオスはイージンの密約を受け入れたのだろう。ウィレムのなかに遣り場のない感情が渦巻いていた。誰かを責めるというのは筋違いな気がするが、それでは心に掛かった(もや)が晴れない。


 ふとオヨンコアの腕に見慣れないものを目に入れ、ウィレムは目を(こら)らした。薄くなっていたが、無数の引っ掻き傷や歯型が痛々しく残っていたのだ。自分に向けられた視線に気付き、オヨンコアが慌てて腕を引っ込めた。



「お見苦しい物をお見せして、申し訳割りません」

「その傷どうしたんだい。まだ痛むのかい」

「お心遣いありがとうございます。これはちょっと、子どもをあやしている時、彼が暴れまして。ワタシ知りませんでした。人間も感情的になると噛んだり引っ掻いたりするんですね」



 オヨンコアは問題ないと頬をほころばせて見せた。よく見ると、衣服で隠しているが、首や胸、全身に同じような傷跡があるのがわかる。相手の少年がどれほど暴れたのかが(しの)ばれた。



「ごめんなさい。私の、所為よね」



 オヨンコアの反対側を歩いていたアンナが背中を丸めてうつむく。反乱鎮圧の夜以来、彼女の様子はどこかおかしい。元気がないというよりも、魂が抜けたようにぼんやりしている印象だった。ガリアでマリアたちと別れた直後と良く似ている。

 あの晩、ウィレムを取り戻すために彼女は地下牢へ向かったらしい。しかし、たどり着いた牢獄にウィレムの姿はなかった。その後、マレイノス家の私兵に身柄を保護されるまで、彼女は王宮中を練り歩いたという話である。ウィレムが彼女と顔を合わせたのは日が中天に昇る頃だった。

 (ほう)けるアンナの額をオヨンコアがピシャリと叩く。



「ばかなこと言うんじゃないの。アナタは自分の役割を果たしただけよ。アナタ、傲慢すぎ。神様にでもなったつもりなの。ご主人様がこうして戻ってきたんだから、それで良かったと思っておきなさい」

「そうね、そうする」



 眉をハの字に曲げたまま、アンナが表情を和らげる。ウィレムが捕らわれている間に、彼女たちの間に流れる空気が少し変わった気がした。だが、何があったのか尋ねるのも無粋な気がしたので、ウィレムはそのことに関しては黙っている。いつか二人の方から話してくれるのを待つことにした。



「結局、今回一番わからんのはレオの奴さ。一体何がやりたかったんだか」



 ウィレムの背中越しに、後ろを歩いていたイージンが首を突き出す。地下牢の脱出以来、彼は何かと理由をつけてウィレムの周りを彷徨(うろつ)いている。どうしても好きになれない相手だったが、恩人には変わりない。今後のことを考えると、あまり邪険にも出来ず、ウィレムは彼にどう接すれば良いのか迷っていた。



「ボクはわかる気がするよ。兄さんはずっと自分のことをマレイノス家のニケフォロスだって言ってたから」

「意味がわからんことを言うな。ちゃんと説明しろよ」



 ウィレムの袖を引くイージンの姿に、両脇のアンナとオヨンコアが露骨に顔をしかめる。やたらと馴れ馴れしいイージンの態度も、ウィレムを困惑させた。一見おちゃらけているが、その内なる危険性はあの晩嫌という程見せられている。正直なところ、あまり関わりたくないというのがウィレムの本音だった。

 まとわりつくイージンを引き剥がしながら、ウィレムは言葉を続けた。



「兄さんは、ベリサリオス殿を放っておけなかったんだよ。ああいうどうしようもなく情けない人が、気になっちゃう性分なのさ」

「あいつがそんな殊勝な男かねえ」

「そんな殊勝な男だよ。今回のことだって、イージンの動きを利用して、彼を無謀な反乱から引き離したかったんじゃないかな」

「つまりなんだ、おいらはレオに踊らされてたってか」

「いい面の皮ですこと」



 オヨンコアの皮肉にイージンが唇を尖らせる。彼には珍しいしかみ顔に、不覚にもウィレムは少しばかり気分が晴れてしまった。



「兄さんには僕に家督を譲った前歴もあるしね。今となっては、あれだっていらぬ気を回したんだと思えるよ」

「窮屈な奴」



 吐き捨てるイージンに、「それは僕も同意見」とウィレムも頷く。



「それで、この不躾(ぶしつけ)な男はいつまで付いてくるんですか」

「どこまでってそりゃ、あんたらの旅の目的地、タルタロスまでに決まってるだろ、狼のお姫さん。そこまで面倒みるのがレオとの約束だからな。このユアン・イージン、人は騙すし、嘘も言うが、結んだ約束は何があっても守るのが心情だ」



 ウィレムを追い越して一同の先頭に立ったイージンは、付いて来いとばかりに手招きする。ここに新たな同行者を加え、ウィレムの最果て紀行が再び始まった。

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