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第68話 悪魔のささやき

 ウィレムたちが通されたのは、コンスタンティウムの王宮においては比較的小さな部屋だった。天井も見上げるほど高いわけではなく、こぢんまりとしている。調度品に目をやれば装飾は控えめで、必要な物を必要な分だけ揃えた印象である。

 部屋の主であるヘレネス王ロマノスは、玉座に深く腰を下ろし、部屋の奥からウィレムたちに色のない視線を送っていた。王よりもやや手前に控えるベリサリオスは珍しく表情を曇らせていた。



「どういうつもりだ。陛下の御前にそのような者たちを連れてくるなど」

「申し訳ありません。この者らがベリサリオス様に申したいことがあるらしく、連れて参りました。陛下の御前とは知らず、無礼をお許しください」



 王の前だからか、(かしこ)まった態度を取るレオポルドを見て、イージンがいやらしい笑みを浮かべた。似合わないというのはウィレムも同意見だが、とても笑える余裕などなかった。



「ボクに用だって。この忙しい時にか」

「時間は取らせませんよ、マレイノスの若旦那。きっと、あんたのためにもなるお話ですから」



 まとわりつくようなイージンの声に、ベリサリオスの眉間に小さな皺が寄った。しかしすぐにいつもの落ち着いた表情に戻ると、王の方に視線を送る。王が小さくうなずき、話をする許可が下りた。



「続きを話してもよろしいですかね。先に用件を言っちゃうと、おいらはね、この反乱から降りる機会を、あんたに提供したいんですよ」

「何を言い出すかと思えば下らない。そんな話なら、これ以上聞く気はないよ」



 ベリサリオスの口調は固かった。ウィレムの知る物腰柔らかな彼とは別人のようである。表情も微妙に強張り、口元が()()っていた。

 部屋を出るよう命じるベリサリオスを無視し、イージンは話を続ける。



「下らないなんてことはないでしょう。あんたは初めから反乱が上手くいかないとわかってたはずだ。何で反乱に加わったのか不思議でしょうがないですよ」

「それは見当違いだな。事の成就は目前だ。どうして今更降りる必要がある」

「本当かな。今の状況があんたらの望んだ通りなんですかね。むしろ、八方塞がりじゃないんですか」

「うるさい。黙ってくれ」



 ベリサリオスが急に声を荒げ、驚いたウィレムは思わず数歩後ずさった。だが、レオポルドは全く動揺した様子を見せず、イージンに至ってはここぞとばかりに勢い良く(まく)()てた。



「やっぱり図星だ。今、城外じゃあ直轄軍の爺さんが息巻いてる。じきに各軍管区にも知らせが行きますよ。そしたら、ヘレネス中から軍隊がここに集まってくる。そうなってからじゃ手遅れだ。今の兵力じゃあ、どれだけ物資があったって、じり貧なのは明々白々。助けが来るあてもないんでしょう」

「他国に援助を()う。ボクらに賛同する国とて少なくはない」

「それ、本気で言ってんなら失望だぁ。王都で反乱、鎮圧のため地方軍は空っぽ、そんな時に他国の軍隊を領内に引き入れたら、どうなるかわかってるだろう。そうならないために、あんたは警護の名目で各国の使節を監禁してるんじゃないのか」



 遂にベリサリオスは黙り込んでしまった。そのことがイージンの言葉に真実味を与える。事情に疎いウィレムでさえ、イージンの言わんとしていることは理解できた。不思議だったのは雇い主がこれだけ責められているというのに、レオポルドがイージンを止めないことだった。瞳の端で様子をうかがうと、彼は神妙な面持ちで直立していた。身体の横で握り締めた拳を小さく震わせていたが、それでもイージンを止めようとはしなかった。



「元々この反乱、ナルセスの暴走だったんじゃないのか。参加してるのが田舎出身の下級将兵ばかりなのが良い証拠だ。どうせ、軍管区のお偉方は、誰一人として説得出来なかったんだろう。それで反乱が成功すると、本気で思ってたのかい」

「ナルセスは友人なんだ。あいつが出来るというならボクは信じる」

「ご冗談を。あんたはもっと冷徹な判断が出来るお人だろう」



 絞り出すようなベリサリオスの返答にも、イージンは容赦しない。相手が弱みを見せるや一気呵成(いっきかせい)に攻め上げる。こういうことが出来るのがイージンという男かと、ウィレムは心に刻んだ。やはり油断ならない男である。

 ベリサリオスの心情は理解出来たから、何か言い返して欲しかった。信頼の情は人間の美徳にきまっている。しかし、反論が難しいのもわかる。感情だけで物事が都合良く転がるならば誰も苦労はしない。確かな勝算もなくナルセスの言葉を鵜呑みにしたのだとしたら、それはベリサリオスの落ち度ということになってしまう。友だと言うなら、彼はナルセスを諌め、止めるべきだったのかもしれない。


 その時、部屋の奥から声がした。(かす)れ、乾き、勢いは失せ、それでもなお、人の耳を貫く力強さを備えた響きに、皆一様に声のした方に目をやった。



「余の大切な臣下を、あまり、(いじ)めんでくれるか」



 老王は静かに一同を眺めた。白頭と皺の間から丸い瞳がのぞき、視線は人をその場に縫い付ける。ルイとは全く別の、それでいて(まご)うことなき王者の一視。ベリサリオスもレオポルドも固まったように動かない。



「これは、これは、国王陛下。場所を(わきま)えず申し訳ないことを致しました。ですが、虐めるとは人聞きの悪い。我らとて、少しでも早くヘレネスに安寧が戻ることを望んでいるだけなのですよ」



 イージンだけは変わりなく、ヘレネス王を正面に見ながら淡々と話し続ける。



「ヒッピアス殿との事前交渉も大詰めというところで、彼らにいらぬ横槍を入れられたのです。これくらいのことは言わせて頂きたい」

「それも、余が至らぬ故だ。許せ」

「許すも何も、私は交渉さえまとまれば、それで構わないのです」



 王とイージンは他の三人を置き去りにして話を続ける。ウィレムはもちろんのこと、ベリサリオスの顔にも困惑が浮かぶ。次にイージンの口から出た言葉もまた、ウィレムにとっては予想外のものだった。



「我らが大王チノ・ハン様の申し出は悪い条件ではないと思いますよ。服従を()いるわけでもなく、毎年の貢納さえお納めいただければ、以後、タルタルの民がヘレネスを脅かすことはないのですから」



 イージンの口元が裂け上がり、目は弓形(ゆみなり)に歪んでいく。



「あとは陛下のお側に話のわかる人間が付いていてくれれば、それだけで構わないのです。特段、ヒッピアス殿である必要もない。例えば……」



 立ち上がったイージンは、立ち尽くすベリサリオスの耳元に口を寄せた。開いた唇の間で蛇のような長い舌がちろちろと踊る。



「あなたでも良いのですよ。ベリサリオス殿」



 イージンの声は足下のウィレムにも聞こえた。ただ、ウィレムの位置からでは、ベリサリオスの表情まではわからなかった。

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