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第67話 遭遇

 牢獄を出ると外は何やら騒がしい。牢番の兵もどこかへ出張っており、難なく地下から抜け出すことが出来た。

 人の声がする方向を避けながら、狭い柱の間を進む。負傷したマクシミリアンを二人で背負って進むのは骨が折れた。


 コンスタンティウムの王宮は、ルテティアの王宮とは印象が大きく異なっていた。分厚い壁に囲まれて薄暗く、抗し難い圧力を与えるルテティア宮に対し、コンスタンティウムの王宮は、そびえる柱列の上に巨大なドームを掲げ、広大な空間のなかに神秘的な解放感が満ちていた。まるで屋根のなかに本物の空を詰め込んだようである。脱獄の最中という状況を忘れ、ウィレムはしばしば天井を見上げた。

 それを見てイージンは小さく笑う。



「君、思ってたより大物じゃないか」



 褒められているのか、(けな)されているのかわからないまま、ウィレムは視線を戻しイージンを追った。彼は約束通り脱獄を助けてくれたが、まだどこか信用ならなかった。ここで気を許し、また別のことに利用されたのでは目も当てられない。

 イージンを眺めていても、その腹の内は一向にわからずじまいである。顔には常に人を(あざけ)るようなにやけた笑みが浮き、言葉の端々におどけたような口調がのぞく。それでいて、動きには油断がなく、足音一つ立てることがない。柱の陰に身を潜めている時など、隣にいるはずの彼の気配が闇に溶け、感じられなくなることさえあった。

 ウィレムはそんな得体の知れない男の言うままに、人を避け、物陰を伝って王宮の奥へと進んでいった。


 不意に暗闇から手が伸び、ウィレムの口を塞ぐ。気配を消したまま、イージンの声が耳のなかをくすぐった。



「少し静かにしてくれ。人の気配だ。隠れてやり過ごすぞ」



 耳を澄ませれば、三人の隠れる廊柱の少し先、金擦れの音を響かせながら、こつん、こつ、こつと不規則な足音が聞こえてくる。

 足音はゆっくりと近づいてきた。

 ウィレムは口を塞がれたまま、息を止めて足音が通り過ぎるのを待った。

 心臓の打つ音が足音と呼応するように大きくなる。

 唇に触れるイージンの手から、ざらりとした感触と刺すような冷気が伝わる。

 足音は速度を変えずに真っ直ぐ進み、ウィレムたちの隠れる柱を通り過ぎた。

 足音が一歩遠ざかるの聞き、ウィレムは一安心して息を吐く。



「バカ、()めろ」



 耳元でイージンがささやき、足音がはたと止まった。



「そこにいる奴、二人、いや、三人か。さっさと出てこい」



 ウィレムの良く知る太い声が、柱廊の屋根に木霊(こだま)する。



「俺は悠長に待ったりしないぞ。叩っ斬られたくなきゃ、今すぐ出てこいよ」



 従うべきか否か、判断に困ってイージンを見ると、彼は観念したように肩をすくめた。



「やっぱりお前らか。そんなこったろうと思ったんだ」



 柱の陰から出たウィレムたちの姿に、レオポルドは悩ましげに首を振った。



「お前がここにいるってことは、外の騒ぎもお前の差し金か」

「外の騒ぎ? 一体何のことかわからんな。国王直轄軍(プラエゼンタリス)が攻撃でも始めたか。おいらはお前との約束通り、弟君を世話してやってるだけだぜ」



 口調は穏やかだが、二人の間に流れる空気は重い。ウィレムとしては兄に尋ねたいことが山ほどあったが、やむなく全て呑み込んだ。



「なあ、立ち話も何だし、どこか部屋にでも入れてくれないか」

「調度、地下牢に空きが出来たところだ。話ならそこで聞いてやるよ」

「ばか、おいらたちはそこから出てきたばかりだっての」

「それなら、ここで話してけ。くれぐれも逃げようなんて考えるなよ。いくらお前でも、怪我人二人連れてちゃ、俺からは逃げられないぞ」



 いつの間にか、レオポルドの手が剣の柄を握っている。イージンは辺りに目を配り、ウィレムとマクシミリアンを見てから再び正面のレオポルドに向き直った。



「命までは取らないよな。親友」

「誰が親友だ。助けるかどうかは話の内容次第だな」



 そこで二人の会話がいったん途切れる。その隙を見計らい、ウィレムは思いきって口を開いた。声を出そうとしたが喉が重い。口内に石でも詰め込まれたように、開いた口が動かなかった。腹の底を絞り上げるようにして、必死に声を()り出した。



「兄さん、訊きたいことがあるんだ」

「お前は少し黙ってろ。悪いようにはしない。大方こいつに()められたんだろう」



 素っ気ない返事にウィレムは失望した。兄が自分を助けてくれないのは理由があってのことだと信じたかった。そう思って拷問を耐えた。しかし、今は相手にすらされていない。酸っぱい液が込み上げて胸を焼いた。



「黙ってろはないだろう。だいたい、イージンと僕を引き合わせたのだって兄さんじゃないか。嵌めたって言うなら、兄さんも同罪だ。納得いく説明をしてもらうからね」



 そこまで叫んでウィレムは口を閉じた。閉じざるを得なかった。レオポルドの瞳に冷たい光が浮いていたからだ。それは、実の弟へ向けるべき視線ではなかった。



「子どもみたいなことを言うな。今の俺はお前の兄、レオポルド・ファン・フランデレンじゃない。マレイノス家に仕えるニケフォロスだ。よく(わきま)えろ」



 レオポルドの持つ剣がウィレムに向く。鼻先に突き付けられたそれは、一点の狂いも動揺もなく、人を斬るという本質のためだけにその場にあった。

 レオポルドの圧力に腰砕けになるのを必死で耐えた。情けない姿を晒すことだけはしたくない。意地だけで脚の震えを黙らせた。



「ならせめて、彼の治療だけでも頼むよ。腹を刺されてるんだ。これ以上の出血は命に関わる。彼に死んで欲しくないんだ」

「まだそんなことを言っているのか。黙っていないと本当に斬るぞ」

「地下牢で襲われたんだよ。僕だって殺されかけた。牢獄の責任者は誰なのさ。大切な人質を殺されそうになるなんて、大失態じゃないか」



 一歩も退かないウィレムにレオポルドの顔が曇りだす。視線を向けられたイージンは首を左右に振った。



「それに関しちゃ、おいらは無関係。試しに見て来いよ。黒ずくめのガリア人が四人、牢屋に転がってるぜ」



 レオポルドの顔がますます険しくなる。二人の処遇を判断しかねているのか、らしくない表情だった。それはウィレムたちにとってつけいる隙となる。イージンが見逃すわけがなかった。



「レオが判断つかないってんなら、お前の雇い主の所へ連れてけよ。そこで事情を全部話してやるから」



 レオポルドの顔が苦々しく歪み、恨めしそうに二人を見る。

 いくらか考えた後、レオポルドはゆっくりと剣を収めた。



手枷(てかせ)は着けさせてもらうぞ。それに、余計なことを話すようなら、その場で舌を引き抜いてやるからな」



 彼の渋い顔を見て、イージンがくつくつとほくそえむ。



「マクシミリアンは?」

「人を呼ぶからここに置いてけ。大人しくしていれば、傷だけは処置してやるよ」



 後頭部を掻きながら、レオポルドは吐き捨てた。



「ありがとう、兄さん」



 ウィレムの謝辞にレオポルドは返事をしない。だが、一瞬だけ彼の背中から緊張が抜けたのをウィレムは見逃さなかった。

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