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第63話 一方その頃

 エドムンドゥスは身をすくめて椅子(いす)に座ると、差し向かいの女性にちらりと目をやった。視線に気付いたオヨンコアが穏やかな微笑を返すと、気恥ずかしさから、彼は目をそらしてしまった。



「ごめんなさい。お姉さんの話し相手なんて、やっぱり退屈だったかしら」

「そっ、そんなことないです。ぼくも一人で暇でしたから」



 エドムンドゥスは慌てて訂正した。そのいかにも女性慣れしていなそうな様子に、オヨンコアの口元がほころぶ。


 この日、王宮近くのバラ園ではヘレネス王の治世五十年を祝う式典が開かれていた。しかし、二人は出席を許されず、マレイノス屋敷で主人の帰りを待っていたのだ。つまらなそうに外の人通りを眺めていた少年を、オヨンコアが誘って部屋に招き入れて、今に至っている。



「アナタ、ナルセス様のところの子でしょう。お名前、なんて言ったかしら」

「エドムンドゥスです。皆からはエドモンと呼ばれています」

「ワタシはイェル・オヨンコア。ウィレム様にお仕えしているわ。よろしくね」



 オヨンコアが手を差し出すと、一瞬きょとんとその手を見たエドムンドゥスは、控えめに彼女の手を握り返した。


 話し相手と言っても、二人の間でやりとりが長く続くわけではない。オヨンコアが話しかけ、エドムンドゥスが一言、二言返す。彼は話している間だけオヨンコアと目を合わせようとするが、すぐに直視できなくなって、顔を余所へと向けてしまう。二人はそんなことを繰り返していた。

 いたいけな少年の(うぶ)な反応に、オヨンコアは満足だった。退屈なひとときの過ごし方として、これ以上のものはない。見れば、エドムンドゥスは耳まで赤くしながら横目で彼女の方をうかがっている。不意にオヨンコアの悪戯心が騒ぎだした。


 オヨンコアはわざとらしく大胆な動作で席を立つと、エドムンドゥスの前に座り込んだ。視線をそらそうとする彼の顔を両手で挟んで捕まえる。子ども特有の張りのある頬の肉が、手のなかでかすかに震えた。



「エドモンはアンナさんのことも知っているのよね」

「もちろんです。ぼくの命の恩人ですから」



 目を白黒させながら、エドムンドゥスが苦しそうに答えた。漂ってくる女性の香りに反応し、鼻の頭が小さく動いている。



「彼女のこと、どう思う」

「えっと、そりゃ、すごい人だと思います。女性なのに強くて、格好良くて……、それに、きれいな人だなって」



 オヨンコアの狙った通りの言葉がエドムンドゥスの口からこぼれる。むしろ、彼女の予想では「強い」や「格好いい」よりも先に「きれい」が来ると思っていた。そこは彼もまだ年頃の少年ということだろう。



「そうよね。あの子、あんなじゃじゃ馬のくせに、ワタシから見ても綺麗なのよね。それじゃあ、ワタシとアンナさん、どっちが綺麗かしら?」

「お二人とも、とてもおきれいです。ぼくには選べませんよ」

「そんなのダメ。ワタシを良く見て。アンナさんとどっちが綺麗?」



 さらに顔を近付け、少年の瞳のなかをのぞき込む。エドムンドゥスはさかんに瞬きをしながら、震える瞳でオヨンコアを見つめていたが、じきに目を伏せてうつむいてしまった。

 そこまでいくと、オヨンコアもやり過ぎを少しだけ反省する。



「ごめんね。エドモンを困らせるつもりはなかったの。顔を上げてちょうだい」



 謝罪の言葉に少年の顎がわずかに上がった。



「アンナ様は本当に、はっきりと美人で。女神様がいるなら、きっとこんな姿なのかなって思えるんです」



 エドムンドゥスなりにオヨンコアの願いに応えようとしたのだろう。つたない言葉ではあったが、必死にアンナの美しさを評して見せた。



「オヨンコア様も、とってもおきれいです。でも、アンナ様と違って、どこか知らない世界の人みたいな、ずっと見ていたら戻って来れなくなりそうな、そんな感じがするんです」



 少年の言葉にオヨンコアは目を見張った。言葉足らずではあるが、他者を良く見て、相手の特徴を理解している。頭の良い子なのだろう。途端にオヨンコアの中で彼の見え方が変わった。単に可愛いだけではない。賢い子はそれだけで宝である。

 オヨンコアは彼の頬を押さえていた手を離すと、やさしく頭を撫でてやった。



「よくわかったわね。ワタシはアンナさんとも、アナタとも違う。こことは別の所で生まれたの。もっと、ずっと下の階層から来たのよ。ほら、肌の色だって少し黄色がかっているでしょう」



 それを聞いて、エドムンドゥスが身体を硬直させた。うつむいたまま目玉だけを動かして、上目遣いにオヨンコアの姿を捉える。



「それじゃあ、ブルグルや、アヴァルの奴らと同じってことですか」

「そういう人たちは知らないわ。でもきっと、近しい人たちなんでしょうね」



 少し前から少年の肩が小刻みに震えていることに、オヨンコアは気付いていた。彼のなかでなにがしかの感情が高揚していることは間違いなかった。



「ワタシが怖いの?」

「わかりません」



 風がおこす葉擦れのような、小さな声。

 オヨンコアはエドムンドゥスの頭を掴むと力尽くで正面を向かせた。



「よく見なさい。アナタの目の前にいるワタシはどう見える。こんな女一人でも、やっぱり怖い?」



 今度はエドムンドゥスも目をそむけようとはしなかった。瞬き一つせず、小さな瞳を充血させながら、一生懸命に眼前の小柄な女性を見つめ返す。

 互いの心音がゆっくりと打つのを感じながら、二人は見つめあった。



「やっぱり、外の人は少し怖い。でも、オヨンコア様はオヨンコア様なんですね」



 一息吐いてからエドムンドゥスはつぶやいた。まだ少年らしい無邪気な笑みは戻らなかったが、どこかすっきりとした表情をしていた。

 そんな少年にオヨンコアも表情を緩める。彼には自分が出会ったものと正しく向き合う力が宿っている。そうやって素直な感性に任せていれば、彼が良くない方向に凝り固まっていくことはないだろう。


 二人の緊張が緩みかけた調度その時、垂れ帽子の下の彼女の狼耳が、祭りとは違う騒ぎの音を捉えた。

 オヨンコアは血相を変えて表へ飛び出す。屋敷前の通りでは変わらぬ祝いの喧噪が広がっていた。慌てて後に続いたエドムンドゥスがやっとの思いでオヨンコアの背中に追いつく。



「どうかしましたか」

「叫び声よ。助けを呼んでる。それにこれ、血の臭い」



 人より何倍も鋭敏なオヨンコアの耳と鼻が、バラ園で起きた混乱をいち早く感じ取っていた。

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