第61話 軍議は踊る
王宮の一室には戦時の装いに身を包んだ兵たちが集まっていた。兜こそ脱いでいるが、鎧姿に帯剣し、今すぐにでも戦えるという覚悟が面構えから漂ってくる。彼らを呼びつけた男は、今まさに扉を開けて部屋に入ってきたところだった。
「皆、待たせて済まない。状況報告を頼む」
ナルセスの言葉を受けて、がっしりとした体格の男が一歩進み出た。
「第二城壁に以上はありません。堀の外には国王直轄軍が布陣していますが、目立った動きは無く、たまに小規模な部隊が城壁に近づくだけです。矢を射掛けるとすぐに撤退していきます」
「攻城兵器はあったか」
「物見の話では、見受けられないとのことでした」
「ヒト、モノの出入りはどうなっている」
「問題ありません。市民の多くは城内に留まっております。陛下の名で出された布告が効いているのでしょう。商人ら、一部出入りのある者は厳重に取り調べを行っております。特に怪しい者はおりませんでした。物資の流通も滞りありません」
報告を聞く限り、直轄軍はコンスタンティウムを包囲しただけで、特段何か仕掛けてくる様子はないようである。王を押さえていることが効いているのか、コンスタンティウムに入る食料を止めることすらしていない。この分では水が止められる心配もなさそうだった。
本来ならば彼ら直轄軍は王城とその周辺を守るのが役目である。まさか自分たちが王城を攻める立場になるとは思ってもいなかったのだろう。外に対しては強くとも、内に入ってしまえば、なんと容易なことか。これが栄えある東エトリリア帝都の守備かと思うと、ナルセスは小さく苦笑した。
「各国使節の様子はどうか」
「ベリサリオス様の指示通り、丁重に保護しております。なかには我らの志に賛同してくださる方もおり、ゆくゆくは本国との連携も可能でしょう」
ナルセスは深くうなずいた。異民族に苦労しているのはどこも同じなのだろう。思いが通じるならば手を取り合うことも出来るはずである。いつか全エトリリアが協力し、この階層から異民族を駆逐する。そんなことさえも実現できるとナルセスは信じて疑わない。彼にとってエトリリアとはそれだけ絶大な存在なのだ。
「拷問の方は駄目です。ヒッピアスの居場所を吐く気配はありませんよ。こりゃ、本当に何も知らんのかも知れませんね」
レオポルドの報告は芳しいものではなかった。
領内に異民族を引き入れた、諸悪の根源たる大臣ヒッピアスは未だに見つかっていない。どこかに潜んでいるのか、はたまた既にコンスタンティウムを脱け出しているのか。どちらにしても、館を押さえ、一族の身柄も捕らえている以上、いつかは姿を現すだろう。それまでコンスタンティウムを守り抜けば、ナルセスたちの勝ちである。
「この際だ。親族を見せしめにするのが手っ取り早いのではないか。息子の首が表門に晒させる頃には、奴も観念して姿を見せるさ」
提案したベリサリオスは柔和な表情を崩さない。兵のなかからも賛同の声が上がった。
「それは駄目だ」
「何故だ。それが一番楽な方法だろう」
ナルセスは、なお食い下がろうとするベリサリオスの胸座を掴むと、自分の前に強く引き寄せた。
「己が利益ためにただ殺すというのか。我らはブルグルの蛮族共とは違う。無益な殺生はしない。エトリリアの誇りがそうさせるのだ。それを、言うに事欠いて“楽な方法”だと」
声を荒げるナルセスに集まった兵たちがどよめく。ベリサリオスだけは表情を変えず、歯を剥いてにらみつけてくるナルセスの顔を、細めた目の間からうかがっていた。
「まあまあ、二人とも、あんまり熱くなりなさんな。皆が困ってますよ」
レオポルドが二人の間に入り、ナルセスとベリサリオスを引き離す。この場でそれが出来たのは、実力的にも、精神的にも彼しかいなかった。他の者は腰が引けて動くことさえ出来なかった。
「済まない。陛下の説得が上手くいかず、焦っていたんだ。お前の言う通り、安易なだけの手段に走るべきではなかった」
「わかってくれると思っていたさ。引き続き陛下を頼む。お前にしか頼めない」
衣を正したベリサリオスが手を差し出した。その手をナルセスが握り返す。それでその場は収まった。一同一斉に胸を撫で下ろす。中枢の二人が反目していたのでは何事も成功し得ない。
玉座の奪取が目的でない以上、大臣一派を排除し、彼らに代わり軍人が政務に携わることをヘレネス王が認めるかどうかに、事の正否はかかっていた。どちらも実現していない現状は、ナルセスたちにとって想像以上に厳しいものだった。
重苦しい雰囲気に、集まった兵の顔にも不安がよぎる。
「ナルセス、あたいらは本当に勝てるのか。東方三軍管区から連れてきた兵を合わせて二千と少し、マレイノス家の私兵に、直轄軍内の内応者を含めても、こちらの数は五千を下回る。こんな兵力で、本当にコンスタンティウムを死守できるのか」
声の主はいかめしい男たちのなかにあって、唯一の女性であるテオドラだ。褐色の体躯は屈強な男たちに混ざっても見劣りしない。
「ウルカノの戦乙女らしくもない言葉だ。何を弱気になることがある。正義は我らにあり。ならば必定、勝利は我が手の内だ」
ナルセスの声には濁り一つなかった。その声が兵たちの勇気を奮い立たせ、不安を包み隠す。沈んでいた兵の顔にも精気が戻りはじめた。
「我らは義を以て立った。我らの双肩にはエトリリアの民の希望が乗っているのだ。天におわす我らが主は、弱き者をこそお救いくださるという。我らの志もまた同じ。ならば、我らの勝利は天に約束されたも同然ではないか」
ナルセスの言葉に呼応して、兵たちが雄叫びを上げる。勝利を疑う者はいないかに見えた。
作中で度々登場する「エトリリア」という言葉ですが、複数の意味で使われています。
1.古代エトリリア帝国
2.ヘレネス人及びヘレネス王国の自称
3.第6章までの舞台になっている階層全体
4.教皇領(小エトリリア) ※現段階では作中に登場せず
作中では極力わかりやすくしているつもりですが、それでも混乱される読者の方がいらっしゃると思い、欄外に書き足させて頂きました。