第59話 追憶のち和解?
ウィレムは知る限りのことを話した。ルイに関する記憶を掘り起こし、自分が彼をどれだけ慕っているか、その一点だけをマクシミリアンに伝えようとした。
幼少期、初めて会ったルイ・ド・ガールに対するウィレムの印象は、決して良いものではなかった。全てを見透かし、あからさまに他人を見下す態度が気に入らなかった。大人たちが腫れ物に触るようにして彼を特別扱いすることも、内心不愉快で堪らなかった。
だが、その態度もやむなしと思わせるだけのものを少年ルイは待ち合わせていた。遊びでも、勝負事でも、ルイは誰にも負けたことがなかった。余裕綽々で圧勝してみせる。口論となれば大人さえ黙らせてしまうのだ。
すべからく男子というものは生まれた時は自分が“王様”である。だが他者と交わるなかで自分の身の丈を知っていく。幼きウィレムの鼻柱をへし折ったのが、何をやっても敵わないレオポルドであり、その美しさと強さに一目惚れしたアンナであり、そして、同い年のルイだった。
だからといって、ウィレムのルイに対する思いが改まったわけではない。むしろ、何をやっても勝てないからこそ、人を馬鹿にしたようなルイの態度が余計に気に触った。どうにかして追い落としてやりたい、鼻を明かしてやりたいという身を焦がすような口惜しさが、少年ウィレムをルイに立ち向かわせた。
ある時、同年代の少年たちの間で遠駆けをしようという話が持ち上がった。皆、馬乗りを覚えたばかりで自分の腕前を誇示したがった。はじめは単なる遠出だったものが、いつの間にか競争になっていた。
ウィレムも多少は自信があったが、ルイを含む数人は、土埃を上げながら瞬く間に地平線の先に消えてしまった。それでもウィレムは彼らの背を追いかけるため、自分の馬に鞭を打った。
しばらく走ると、先に行った少年たちが馬を休ませているところに出くわした。皆、疲労と絶望で顔を染め上げていた。ルイの姿だけがそこにはなかった。
またか。
少年ウィレムは内心で毒突いた。今回もルイが勝利するのかと思うと心がささくれ立った。後を追おうとしない友人たちにも心底苛立ちを覚えた。せめて自分だけでもルイに一矢報いたい。その思いだけで馬を走らせた。
大気に赤が溶け出し、鳥たちが森に帰りだす頃、ウィレムは、小高い丘の頂上に白馬に跨がってたたずむルイの姿を認めた。彼の輪郭をなぞるように橙色の光が包み、元々美少年で通っていたルイの容貌に、神秘的な艶めかしさを加えていた。
男の顔に見惚れたのはそれが初めてのことだった。双眸が自分の意思を離れ、いつまでもルイの姿に視線を注ぎ続ける。抗うことは出来なかった。
「追いついたのはお前だけか」
澄んだ鐘の音に似た声でルイが言葉を投げかける。その響きはウィレムの耳のなかで幾重にも木霊し、頭蓋のなかへ満ちていった。
「よくやるじゃないか。認めてやるよ、ウィレム」
いつも通りの尊大で、どこまでも不敵で、それでいて、わずかばかりの温もりと寂しさがこもったような声。その声で全てが変わったのだ。
ルイが自分のことを肯定した。
その出来事一つで、全てを一変させるには十分だった。
やることはそれまでと変わらない。たとえどれだけ差を開けられようとルイを追い続ける。きっと彼は競争相手など求めてはいなかっただろう。必ず勝ってしまうのだから。それは最早競争とは別ものである。
競争相手だけではない。あらゆることを一人でこなしてしまうのだ。彼が必要とする人間などいないのかもしれない。
ルイ・ド・ガールという人間の本質は、その孤高にこそあるように思えた。だが、だからこそ、追い続け、少しでも近づきたい、そう思っている人間が一人いるということを知っていて欲しかった。
ふと我に返り、ウィレムは口を噤んだ。とてつもなく恥ずかしいことを熱弁していたような気がした。本来なら自分の胸の内に秘めておくべき事柄である。人に伝えるようなことではない。
自分の言い分をマクシミリアンにぶつけたいだけだった。一方的にルイを騙した悪人として扱われるのは我慢出来なかった。説得できるとは思っていなかったが、あわよくば誤解を解きたいとは考えていた。それがどうしてこうなったのか。適当な穴でもあれば、身を隠したい気分だった。
「それ、わかるぞ。陛下にとっては、オレなど他の有象無象と一緒なのだ。それでもオレは、あの方のために励みたいという気持ちを、抑えることが出来ない。初めてお会いしてからというもの、オレの心は、あの方に魅入られ続けている」
静かな、自らに言い聞かせるような口調。初めて人前で話す子どものように、ぽつり、ぽつりとマクシミリアンは言葉を紡いだ。
それまで、けたたましいとしか思わなかった彼の声に、ウィレムは初めて人の血が通うのを感じた。マクシミリアンはそれ以上語らなかったが、彼のなかにウィレムと同種の思いがあることは伝わってきた。それがわかると多少は好意的な感情も湧いてくる。
その時、獣が唸るような音がウィレムの上から降ってきた。
「腹が減っているのか」
尋ねてみたが返答はなかった。
「ここにいるのは惨めな虜囚二人だろう。恥じることなんてないじゃないか」
少し間があり、似合わない小さな声で答えが返る。
「ここに入れられてから、何も喰ってない。この際、恥の掻き捨てだ。食べ物があったら、食べさせてくれ」
ウィレムは振り返って自分の座り込んでいた場所を見た。ひっくり返った器とパンのようなものが転がっている。だが、幾ら食べ物があっても、後ろ手に手枷をはめられていては、マクシミリアンの口まで運ぶことが出来ない。
そのことを伝えると、思わぬ提案が返ってきた。
「口で咥えて渡してくれ。今のオレの姿勢なら、お前の背丈でも届くだろう」
少々打ち解けた途端に厚かましいことである。別に食べ物を渡さなくても良かったが、それでマクシミリアンが餓死すれば、ルイが信のおける家臣を一人失うことになってしまう。
壁の所まで渋々張っていったウィレムは、パンを咥えて戻ると、マクシミリアンの口らしき場所にそれを押し込んだ。
マクシミリアンは石のように固いパンを容易に噛み砕き、口内でふやかしながら少しずつ呑み込んだ。