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第58話 再会

 硬い石壁に背をあずけ、うずくまる格好で目を覚ました。薄暗がりのなか、鉄錆(てつさび)の臭いが鼻孔(びこう)に刺さる。

 今回は痛くない方の部屋か。

 それが、ウィレムの頭に最初に浮かんだ言葉だった。


 ウィレムが目を開ける時、眼前の光景は、拷問室か、この牢獄のどちらかだった。既に何度かこの二部屋を往き来していたが、外の光がとどかないため、どれほどの時間が経ったのか判断できない。

 二度目の拷問以降、殴る蹴るの暴行はなくなった。代わって痛みと苦しみに訴える方法がとられるようになった。水を張ったたらいに頭を突っ込まれた。腹の火傷は松明を擦りつけられたもので、身体を動かすと痛みをともなって皮膚が突っ張る。左手の指は既に三本折られていて、ほとんど感覚がない。体力が消耗することはなくなったが、気力が(むしば)まれ精神は摩耗した。叫び続けた喉は()れ、唾を呑むのも辛かった。


 拷問を任された兵たちは聖職者であるウィレムを痛めつけることに及び腰だったが、頻繁に顔を見せるレオポルドが彼らの尻を叩いた。その度に、



「お前ら、さんざん蛮族と戦って、殺してきたんだろう。外見が自分たちと同じになった途端、急に出来なくなるのか」



 などと言って、兵たちを叱りつけた。


 ウィレムにはレオポルドの真意がわからなかった。率先して拷問に参加しているようで、いったん終わると、殺さないようにと念入りに治療を命じる。折った指には添え木があてられ、傷には軟膏(なんこう)が塗られている。食事も出たが喉を通らなかった。

 一緒に酒を飲んだ時のことが随分昔のことのように思えた。兄弟で殺し合いたくないと言っていたのは嘘だったのだろうか。悲しい、寂しいという感情は湧けども、泣くだけの余力が心身に残っていなかった。

 ウィレムは再び(まぶた)を閉じた。そうやって暗闇に意識を霧散させているのが一番楽だったからだ。考えることすらしたくなかった。


 どのくらい経っただろうか。闇のなかで何かが動くような小さな音がした。ネズミが食べ残しでも(あさ)りに来たかと思ったが、どうも違うらしい。その音は細々と、だがいつまでも続いている。ぼんやりと耳を傾けていると、その音が徐々に聞き取れるようになった。やがてそれはウィレムの名を呼ぶ声になった。


 目を開けてみたが、そこは変わらぬ牢のなかだった。声はウィレムの正面の闇のなかから聞こえてくる。ウィレムは這うようにして前に進んだ。足枷(あしかせ)はつけられていなかったが、立ち上がるのは億劫(おっくう)だった。



「無様だな。ウィレム・ファン・フランデレン」



 声の主がぼそぼそと言葉を紡ぐ。知った声だったが、ウィレムの記憶では、男の声はもっと力強く、張りのある声だったはずである。聞こえてくる弱々しい声とは印象が懸け離れていた。

 見上げた暗がりのなかから、人の発する熱がほのかに伝わってくる。瞼が腫れて視界の狭くなった目には見えなくとも、ウィレムの眼前にはたくましい巨体を有する逆毛の男が立っているはずだった。

 男の名を呼ぼうとしたが、声の代わりに乾いた咳が出ただけだった。



「貴様のその姿を見ると、オレの溜飲(りゅういん)も下がるぞ。何をやらかしてこうなった。世渡りだけは上手そうに見えたがな」



 声の調子が少し軽くなった。その言葉でウィレムは相手の正体を確信する。マクシミリアン・ガルス・ガルス。ガリアを出て以来、執拗にウィレムをつけ回す怪力の大男がそこにいた。



「オマエコソ」



 (かす)れた声で辛うじて言い返す。喉が痺れ、最後の「ソ」の音はただの吐息とかわらなかった。



「闘技会で捕らえられた時に暴れた。それで兵士が何人か死んだ。それだけだ」



 暗さに慣れはじた目で見ると、マクシミリアンは壁から伸びる鉄鎖により手脚を拘束され、膝立ちの格好で壁に張り付けにされていた。ウィレムのように拷問された様子はないが、頬がこけ、身体は少々しぼんだようにも見える。



「オレ様がこんな格好でなければ、すぐにでも捕らえてルイ陛下の御前に突き出せるものを。まったく口惜しい」



 声に精気はなくとも、口だけは回るようである。

 浴びせられた挑発的な言葉で、虚ろだったウィレムの心に小さな火が灯った。飛び散っていた意識が再び集まり、明確な意思を紡ぎ出す。

 この男は初めて会った時からウィレムの言い分を聞こうともしなかった。一方的にウィレムがルイを騙したと決めつけ、しつこく追い回してきたのだ。言ってやりたいことは幾らでもあった。

 マクシミリアンの動きが封じられている今が好機ではないのか。ウィレムは覚悟を決めると、痺れる喉に鞭打った。



「ルイ様は僕にとって大切な方だ。そんな方を(あざむ)くわけがないだろう」



 振り絞った声は掠れて散った。壁に反響することもなく、牢番に気付かれることもなかった。ただ、目の前にいる巨躯の青年の耳にだけはその声が届いた。

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