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第55話 ヘレネスの危機

「先程申し上げましたるゾウで御座いますが、敵がいないわけでは御座いません」



 上奏の許しを得たナルセスは、その美声を十分に振るいながら、落ち着いた調子で話し始めた。皆、彼が何を話すのかと身を乗り出して聞こうとする。ウィレムもナルセスから感じた違和感を忘れ、耳をそばだてた。



「獅子すらも恐れるゾウの敵、それは“虫”と“病”で御座います。虫はゾウの肌に寄ってその生き血を(すす)り、病はゾウの臓腑を腐らせて内より身体を(むしば)みます」



 ナルセスが何を話そうとしているのか、その話がどこに帰結するのか、この段階で理解できた者はいなかった。ウィレムにはナルセスの話が吉事であるとはどうしても思えなかった。自信に満ちあふれたナルセスの瞳の奥で、得体の知れないものが(うごめ)いているように感じられるのだ。



「同様に、陛下の治められるこの東エトリリアにも、仇為(あだな)すものが御座います」



 そこまで話すとナルセスは長い間をとった。皆、黙って次の言葉を待っている。同時にそれぞれの頭のなかでは、彼の言う「エトリリアに仇為すもの」の正体が様々に想像されていた。ヘレネスの事情に詳しくないウィレムでさえ、脳内に“アルハの狂信者”のことを想像していた。

 皆、思い思いにエトリリアの敵を思い描いた。それこそがナルセスの狙いだった。



「一つは外より来たる蛮族で御座います。ブルグルに、アヴァル、マジャル、奴らは“虫”です。民を襲い、奪い、犯す。そうやって命脈を保つ様、まさに生き血を啜る虫の如し。奴らはエトリリアに比して力弱きものどもでは御座いますが、野放しにすれば、必ずや陛下に害を為しましょう」



 ナルセスに同調する声がヘレネスの家臣団から上がった。彼らにとっても領内に進入する異民族は不愉快な存在なのだろう。一方、各地の使節を見ると、表だって不快感を表さないまでも、どこかいたたまれない、もどかしそうな顔の者が幾らか目に入った。彼らにしてみれば、自分たちもよそ者なのだ。良い気はしないだろう。


 周囲の様子を一瞥(いちべつ)することもなく、ナルセスは王を見つめたまま話を続ける。ヘレネス王は皺まみれの顔にどのような色も浮かべることなく、黙ってナルセスを見下ろしていた。



「そして恐れながら、陛下のお側には“病”が潜んでおります。奴らは蛮族と結んで領内に引き入れ、あまつさえ、取り込んでエトリリアの官兵にしようとさえしているのです。奴らには大エトリリアの末裔としての誇りも、民を思う慈しみの心も御座いません。奴らを誅さねば、エトリリアにとって禍根となりましょう。願わくば、私に奸臣を誅伐するお許しを(たまわ)りたく存じます。お許し頂けた暁には、陛下の御前に奴らの素首、一つ残らず並べて御覧に入れましょう」



 最後の言葉がナルセスの口から滑り落ちた時、白刃を腹に突き立てられたような、恐怖と不安を動揺で一括りに束ねたような感覚が、へその下辺りからぞろりと湧き出した。この言葉こそがナルセスの本意であるとウィレムの直感が告げている。先程までナルセスを称えていた者たちは、口をふさがれたように押し黙っていた。


 黙って聞いていたヘレネス王は再び側近に耳打ちした。その言葉を受けて、足下の大臣が王の言葉を代弁する。



「陛下は貴公の憂国の情に大層お喜びである。だが、誅伐の儀は無用との(おお)せだ。先程は何やら不躾(ぶしつけ)な言葉を並び立てていたようだが、国を治めるには下々の理解できぬ大計というものがあるのだ。これからは分をわきまえ、自身の任に専心するが宜しかろう」

「我が憂いは浅慮と仰るか」

「そうは言わん。だが、人には生まれついての勤めというものがあるのだ。治国の計を案ずるは、貴公の勤めにあらず」



 大臣は見下しながら吐き捨てた。王の言葉と言うよりも、それが彼の本心なのだろう。いや彼に限らず、王に近い名門の人々は多かれ少なかれ、同じように考えているに違いない。ウィレムとて、ガリア全土のことに頭を回したことなど一度もなかった。そういったことを考えるのは別の人々の役目だと思っていた。

 ナルセスは大臣から目線を外すと、ヘレネス王の動かぬ顔へ視線を注いだ。王の瞳には熱がなく、皺だらけの顔に表情はない。目の前で繰り広げられた家臣同士の舌戦にも心は動かなかったように見える。



「ならばこれ以上は問答無用。陛下、御前を血で(けが)すこと、お許し下さい」



 立ち上がったナルセスが剣を抜く。両脇の戦士は持っていた槍を、後ろに控える男たちも隠し持っていた武器を構えた。



「気でも触れたか、所詮は(いや)しき身の上だな。反逆者を取り押えよ」



 たちまち、下オリエントゥスの使節団を豪奢な装いの国王直轄軍(プラエゼンタリス)が取り囲む。皆、装飾過多なのは儀典用の装束を身に着けているからだろう。陣形も、数の上でも、直轄軍が有利に見えた。

 それでもナルセスに狼狽える様子はない。いつも通りのどこまでも自信に満ちた笑みが口元に浮いている。



「これより君側の(かん)を除き、国難を(やすん)ぜん。私と心を同じくする者はあとに続け」



 ナルセスの声に呼応して、どこからか(とき)の声が上がる。声のした方を見ると、木象の背が割れ、なかから無数の戦士が姿を現した。ウィレムの感じていた漠然とした不安が、実際の災難となって立ち現れていた。

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