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第54話 舞うは戦の如く

 ヘレネス王の御前に表れた(しも)オリエントゥス軍管区の代表団は、他の祝賀使節に比べて質素なものだった。人数は十人に満たず、服装も儀典用ではあるのだろうが地味で飾り気のないものばかり、先頭を行くナルセスと彼の両隣の者に至っては、甲冑(かっちゅう)で身を固める始末である。

 地味な代表団に囲まれて、献上品の木彫だけが異様に周囲の目を引いていた。それは、天を突くかと思えるほどに巨大な木製のゾウ。周りの建物と比べてもひときわ大きく、王宮の屋根ですら、振り上げられた鼻先よりも低いように見える。

 ウィレムの周りに並ぶ参列者達も小声で下オリエントゥス代表団のことを話していた。それは木象への驚きだったり、彼らの格好を揶揄(やゆ)するものであったりした。


 ざわつく周囲を尻目に、片膝をついていたナルセスがすくと立ち上がる。腰に下げていた剣に手をかけると、高々と大上段に抜き放った。祝賀の式典中に、ましてや王の御前で剣を抜くなど、前代未聞であったろう。だが、非難の言葉を口するものは誰もいない。むしろ、波が退くように、(あた)りのざわめきは静まっていった。それほどに剣を構えるナルセスの姿が堂に入ったものだったのだ。

 じきに誰一人として喋らなくなった。皆、ナルセスが次にどのような動きを見せるのか、そのことに心を奪われていた。周囲と同じように彼の姿に魅入られていたウィレムは、瞳が乾くのを感じて何度も瞬きをした。

 我慢もそろそろ限界に達していた。ウィレムだけではない。周囲の参列者たちも、剣を構えたまま微動だにしないナルセスに、疑問や苛立ちを募らせている頃だろう。誰かが声を上げるのは時間の問題に思えた。


 その場を統べるヘレネス王の手が上がりかけた刹那、ナルセスは目をかっと見開くと、構えていた剣を真っ直ぐに振り下ろした。鋭く落ちた刃は床石に触れずにぴたりと止まる。思わず、参列者たちの口からため息が漏れた。その息が彼らの唇からこぼれるか否かというところで、勢い良く右を向いたナルセスは、剣を思い切り振り上げると再び素早く振り下ろした。彼の剣に心を奪われ、息を吐くのを忘れた人々が苦しそうに胸を押さえる。一拍空いた後、ナルセスは左を向いて、同じ動作を繰り返した。

 ここで初めて、ナルセスが剣舞を披露していることに人々が気付きはじめた。気付くまでに時間がかかったのは、彼の剣舞が他のどんな舞とも違っていたからだ。動きそのものは優美にして典麗。しかし、彼の発する気配には周囲を威圧する迫力があった。ナルセスは間違いなく何者かと戦っていた。

 ウィレムは度々目を擦ってナルセスを見た。一人剣を振るっているはずの彼の周囲に、襲いかかる人影が見えるのだ。一人ではない。取り囲むように何十人という相手がおり、全方位から攻めてくる。ナルセスはその攻撃を全て受け返していた。


 不意に、正面の敵を切り伏せたナルセスがそこで動きを止めた。しかし、彼がいるのは(まご)うことなき戦場である。動きを止めた者に敵は容赦などしてくれない。彼の後ろから無数の切っ先が襲いかかるのが見えた。それでもナルセスは振り向かなかった。

 振り下ろされた刃がナルセスの背にとどくかと思われた時、彼の両側に控えていた鎧の戦士が、持っていた槍を互いに交差させて彼の背中を守った。すかさず、颯爽(さっそう)と振り返ったナルセスが後方の敵を切り伏せる。三人は背を合わせると、連携しながら敵を倒していった。


 剣舞に酔い痴れる参列者たちのなかにあって、ウィレムは別の感情を抱いていた。ナルセスがウィレムの方を向き偶然目が合った時、その迫力に圧倒され、背中の毛が逆立つのがわかった。敵を射殺さんばかりの明確な殺意と深い憎しみがその視線から伝わる。剣を振るうナルセスの姿は美しくも恐ろしく見えた。


 最後に正面の敵をナルセスが一刀のもとに斬り伏せた。同時に、彼らの上に万雷の拍手が降り注ぐ。戦っている相手が見えると周囲に錯覚させるほどの、迫真の演武だった。

 しばらく続いた賞賛の嵐は、ヘレネス王が手を上げると止まった。王が口をもごもごと動かすと、側に控える供の者が王の口元に耳を寄せ、その言葉を直下に控える大臣に伝えた。



「陛下は素晴らしい剣舞であったと仰せである」

勿体(もったい)なきお言葉、恐悦至極に御座います。陛下におかれましては、この度、治世五十年を迎えられ、真にめでたく存じ上げます」



 ナルセスたち一行は片膝をつくと深々と頭を下げた。



「御覧に入れましたる剣舞には、襲い来る敵を打ち倒し、我らエトリリアの民に安寧を(たま)いたる陛下への、万謝の思いを込めまして御座います」



 ナルセスの言葉にヘレネス王は目を細めて耳を傾けた。



「そして、我らの後方に控えましたるは、東方の神樹より彫り出したるゾウで御座います。このゾウという獣、もはやエトリリアではお目にかけること(あた)いませんが、下層においては獅子すらも避けて通ると申します。まさに陛下を、そして、大エトリリアの栄光を象徴する神獣で御座いましょう」



 あれだけの演武の後だというのにナルセスの舌は乱れない。庶民の出だからか、他の者に比べて美辞麗句は乏しかったが、簡素な言葉も彼の美声に乗せれば麗しい名句となった。

 皆、彼の言葉に聞き惚れた。ヘレネス王の白い顔にもわずかだが血が通う。

 王は従者を呼ぶと、何事か耳打ちした。先程と同じように従者から言葉を預かった大臣が、それを伝える。



「ナルセス殿、陛下は貴公の祝辞に(いた)くご満悦であらせられ、褒美を取らすとの(おお)せである。望むものがあれば申してみよ」



 その言葉に、ナルセスは一歩前へ出ると改めて姿勢を正した。高くそびえる石柱のように厳かで美しい姿。だが、ウィレムには彼の張りつめた身体の内側で何かがたわんでいるように感じられた。



「このナルセス、陛下にご注進致したき儀が御座います。褒美と仰られるならば、この場で陳情申し上げること、お許し頂きとう御座います」



 ヘレネス王はゆっくりとうなずくと、一言「許す」とだけ言った。その時、ナルセスの瞳に妖しい光が灯るのを、バラ園にいる誰一人として気が付かなかった。

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