第53話 祝賀式典
闘技会から六日が経った。コンスタンティウム全体のお祭り騒ぎにはさらに拍車が掛かり、その日行われる式典を最期に祝祭が終わるとは思えないほどに盛り上がりを見せている。おそらく住民達から祭り気分が抜けるまでには、さらに数日かかるのではなかろうか。
ウィレムは澄んだ青空に響く市民たちの歓声を耳の端で捉えていた。市中を練り歩くヘレネス王の行列が、王宮に近づいているのだろう。王を称える民の声が徐々に大きくなっていく。
ウィレムは今、ポントゥスの大穴に突き出た金角岬の先端部、王宮東のバラ園に設けられた式典会場で、ヘレネス王の到着を待っていた。ウィレム以外にも外国からの使節や各軍管区の代表たちが既に待機している。そこで国王直轄軍を従えたヘレネス王を迎え、王が玉座に座ることで式典が始まる手筈になっていた。
辺りのバラは開花の季節には遠く、鮮やかな色彩も、豊かな芳香も発していない。いつか盛りの頃に、アンナたちと来てみたい。そんなことを思いながら隣を見ると、彼女は退屈そうに前髪をくるくると弄んでいた。
「アンナ、もう少しの辛抱だよ」
緊張した様子をまったく見せないアンナに釣られて、ウィレムの肩の張りも緩む。式典に招待されたのは闘技会優勝者のアンナであり、ウィレムはあくまで彼女の主人として同行しているにすぎない。本来ならば、緊張するのは彼女のはずなのだ。
「別に、退屈なんてしてませんよ。大事な式典なんですから」
慌てて衣を正すアンナの姿は、誤魔化しを言う子どものようで微笑ましい。とても闘技会を勝ち抜いた猛者には見えなかった。
「あの、お着物は問題なさそうですか。どこか窮屈だったり、不格好だったり」
話を変えようと、アンナがウィレムの着ている僧衣について尋ねた。昨日、アンナとオヨンコアが二人で繕った僧衣である。
「いや、快適だよ。これなら王様の前に出ても、失礼にはならないね」
ウィレムの感想にアンナの頬がほころんだ時、ひときわ大きな歓声とともに王の行列がバラ園に足を踏み入れた。
式典が始まると、各地の使節たちが入れ替わり立ち替わり玉座の前に現れては、祝いの言葉と進物を携えて挨拶した。ゲルマニア皇帝の使節は、塔の北部外壁にしか巣をつくらないと言われている怪鳥を献上した。青と銀の羽が交互に生えており、黒い嘴を開くと、天上の神とヘレネス王の治世を賛美する詩歌を吟った。ルーシの族長からは、良質な杉材、銅や鉄などの鉱物、熊や鹿の毛皮が山のように贈られた。ガリアからは国王であるルイの使節以外に、幾つかの大諸侯からも使節が派遣されていたが、どの使節団にもマクシミリアンの姿はなかった。
「皆さん、ヘレネス王のことを東エトリリア皇帝と呼ばれるのですね。何故でしょうか?」
祝賀の挨拶を聞いていたアンナが小声で尋ねた。二人がいるのは会場の末席とはいえ、周りには他の列席者も控えている。ウィレムは周りの様子をうかがいながら、小声で答えた。
「ヘレネスの人は、皆自分たちのことをエトリリア帝国の末裔だと思っているのさ。だから、彼らにとって、ここは東エトリリア帝国だし、王様は東エトリリア皇帝なんだよ。だから、絶対にヘレネスとは言わないんだ。ヘレネス王に挨拶する時には、僕たちだってエトリリア皇帝と呼ばざるを得ないのさ」
不意に、説明していたウィレムの背筋を冷たい痺れが走り抜けた。咄嗟に目だけで辺りをうかがったが、特に変わった様子はない。
「どうしたんですか」
ウィレムの変化をアンナも敏感に感じ取っていた。ささやきながら、右手が剣の柄に伸びる。
「いや、何でもないよ。立ちっぱなしで少し疲れたかな」
「病み上がりなのですから、お身体をいたわってください。昨日だって、ふらふらになるまでお酒をお飲みになってましたし。なんなら私に寄り掛かっていただいても構いませんよ。他の方には見えないようにいたします」
アンナが肩を小さく突き出す。ウィレムは静かに頭を振った。闘技会の日に情けない姿をさらしたばかりなのだ。あまり続け様に格好悪いところは見せたくない。
腹の奥に気味の悪い感覚を抱えたまま、ウィレムは再度周囲に目を配った。眼前をダナビウス軍管区の代表団が献上品とともに通り過ぎる。ウィレムの両隣は式典に招待された者たちが並び、向かいにも同じように家臣や使節、参列者が列をなしている。特段、怪しい様子の者はいない。
再度、玉座に近い方から向かい側の列を眺めていた瞳が、正面を少し過ぎた辺りで違和感に襲われた。居並ぶ顔を一人一人確認しながら慎重に視線を戻す。
三人目の男の顔を見た時、先程感じたのと同じ痺れが腰の付け根辺りに湧いた。麦粒のような細い頭に狐の顔が張り付いている。真っ直ぐだが低い鼻筋、糸を引いたような三白眼がウィレムを見つめ、大きく裂けた口には微笑が浮いている。
男は見慣れない服装で、上着は左右の布を胸の前で交互に合わせ、腰の革帯で止めているようである。そのまま裾が膝下辺りまで垂れて、合わせ目が身体の側面で切れ込みのように開いており、そこからのぞく脚には余裕のある下衣とすね半ばまである革靴をはいていた。
相手もウィレムの視線に気付いている。互いに視線をはずさない。初めて見るはずなのに、どこかで会ったことがあるような気がした。感覚と記憶の差異は、濁った不快感となって胸の中に溜まっていく。
「ウィレムさま、本当に大丈夫ですか。お顔の色が優れませんが」
アンナに軽く小突かれて、ウィレムは我に返った。一度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すと、少しは気分が晴れた。
「心配かけたね。もう大丈夫だから」
ウィレムの答えにアンナは疑いの視線を向けたが、それ以上追及しなかった。
「次がナルセス様の番ですよ」
アンナに言われて目をやると、巨大な木彫をともなって、ナルセスたち下オリエントゥス軍管区の代表団が姿を現した。
再度向かいの列を見たが、男はよそを向いていた。