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第52話 居残り談義

 アンナは前髪を指で弄びながら、落ち着きなく部屋の中を歩き回った。そうかと思うと、椅子に座って(せわ)しなく膝を上下に揺する。少し前、ウィレムが外出してからというもの、同じことを何度も繰り返している。



「鬱陶しいわね。少しは静かに出来ないの」



 隣で針仕事をしていたオヨンコアが甲高い声を上げたが、アンナは自分に向けられた抗議の言葉を敢えて無視した。



「ご主人様に置いてけぼりをくわされたからって、イライラしないでちょうだい」

「イライラなんかしてません。レオが兄弟水入らずで話したいって言うんだもの。仕方がないでしょう」



 アンナはオヨンコアに歯を()いた。

 闘技会の後、極度の疲労からか、ウィレムは熱を出して寝込んでしまった。アンナとオヨンコアが付きっきりで看病し、やっと回復したと思った所で、レオポルドがウィレムを誘って出掛けてしまったのだ。置いていかれたアンナとしては納得できない思いがあった。本当ならば、ウィレムと一緒に祝祭をまわれると楽しみにしていたのだ。そのこと思い出すと、アンナの膝はより小刻みに揺れた。

 一向に落ち着かないアンナの態度に、オヨンコアはため息を吐く。



「そのレオポルド様のことだけど、少し教えてくれないかしら。ワタシまったく存じ上げなかったのだけれど」



 オヨンコアは針を動かす手を止めずに、頭だけをアンナの方に向けた。手先を見なくとも器用に針を繰り続けている。



「なんであんたのお願いを聞かなきゃならないの。それとも私たちって、そんなに仲良しでしたっけ?」

「それじゃあ、ご主人様に聞こうかしら。アンナさんと違ってお優しいもの」

「余計なこと言う気じゃないでしょうね」

「余計なことって、アナタが意地悪で、お願いしても教えてくれないこと?」



 オヨンコアの涼しい顔が、アンナの表情をさらに苦々しいものにする。言い合いではどうにも分が悪い。



「わかったわ。あんたのことでウィレムさまを(わずら)わせるわけにはいかないものね」

「アリガト。初めから素直に受け入れてくれた方が可愛いわよ」



 悪戯ぽく笑うオヨンコアの顔を、アンナは渋い顔でにらみつけた。こんな性悪でも、油断すると見惚れてしまいそうなほど美人だから質が悪い。



「それで、なにが聞きたいの」

「色々だけれど、まず、お父様の領地はご主人様が相続されたのよね。ガリアでは長男でなくても嫡子になれるのかしら」



 オヨンコアが訊いたのは、長男のレオポルドを差し置いて、何故ウィレムが家を継いだのかということだった。勿論、ガリアでも長子が存命ならば、長子が家を継ぐのが普通である。



「ああ、それ。元々レオが継ぐことになってたのよ。なのにあいつ、二年前に急に家を出てっちゃったの。それでウィレムさまが家を継ぐことになったのよ」

「ふーん」



 オヨンコアが含みのある相づちを打つ。



「それじゃあ、アナタって家も継げない次男坊と婚約していたわけ?」

「そっ、それは……」



 アンナの口が重くなる。



「なになに、言いにくいことでもあるのかしら」

「そんなんじゃないわよ。元々親の間では、フランデレンの跡継ぎに私を嫁がせる約束だったの」



 針を動かすオヨンコアの手が止まった。半眼でアンナをじっと見つめる。



「なによ。言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「つまりアナタ、ちょっと前まではレオポルド様と婚約していて、ご主人様と許嫁になったのは二年前ってことよね」

「そっ、そうよ。文句あるの」



 オヨンコアは口元に手をやったが、目尻が緩むのまでは隠せなかった。



「それはそれは、なんというか、アナタ、思っていたよりもお尻が軽いのね。まあ確かに、よく絞まった可愛らしいお尻してるけど」

「別に、違うからね。親が勝手に決めたことだし、私は昔からウィレムさまのことが……」



 言い淀むアンナを、面白い玩具を見つけた子どものような表情で、オヨンコアが眺めている。



「昔からご主人様のことが、どうしたのかしら」



 オヨンコアも、アンナがそれ以上言葉に出来ないことをわかっていた。その先の言葉を口にすれば、主人を守る剣ではいられなくなる。



「そうね、今のアナタには関係ないことだったわ。それにしても、アナタたち二人の間はもっと引き離しがたい絆があると思っていたけれど、そうでもないみたい」



 顔を上げたアンナが充血した瞳でオヨンコアをにらみつける。



「怖い顔。そんな顔していたら、ご主人様に嫌われちゃうわよ。アナタ、ただでさえ、がさつで男勝りなんですもの」



 アンナの顔が彼女の髪と同じ茜色に染まっていく。その顔が余計にオヨンコアの嗜虐心(しぎゃくしん)(あお)りたてた。



「ワタシ、久しぶりにご主人様にアプローチをかけてみようかしら。これまで女性らしい所をたくさん見ていただいたし、今度こそ、受け入れていただけるかも」



 アンナは勢い良く立ち上がった。振動で壁の装飾品が小さく音を立てる。



「言わせておけば。あんたにウィレムさまは渡さないって言ったでしょ。なによ、その気になれば私だって女の子らしく出来るんだから」



 言うが早いか、アンナはオヨンコアに飛びかかり、彼女の手から(つくろ)っていたウィレムの僧衣を奪い取った。



「返しなさい。アナタみたいながさつな人がやったら台無しになってしまう」



 オヨンコアは慌てて手を伸ばしたが時既に遅し、アンナは針と布に意識を集中し、周りのことなど気にも留めなくなっていた。やむなく、オヨンコアも黙って引き下がる。もし、ひどい仕上がりになりそうなら、その場で取り上げるつもりでいた。



「出来たわ。見なさい、この出来映(できば)え」



 結局アンナは一時ほど僧衣を手放さなかった。オヨンコアは受け取った僧衣に目を走らせる。見れば、縫い直した場所がわからないほど見事な出来だった。布地の上に指を這わせると、辛うじて縫った場所が見つかった。彼女の様子を察したのか、アンナが胸を張る。



「私だってこれくらいお手のものよ。母さまにしっかり仕込まれるんだから。自分ばかり上手に出来ると思ったら、大間違いよ」



 さすがのオヨンコアも舌を巻いた。まさかアンナが裁縫まで出来るとは思ってもいなかったのだ。この調子だと料理が不得手だというウィレムの言葉も、疑わしいものである。



「正直驚いているわ。アナタ、ただの猪娘じゃなかったのね」

「ほ、褒めたって、なんにも出ないからね」



 アンナは頭を掻いた。いざ褒められるとむず痒いものがある。

 照れ隠しにアンナが窓の外を見ると、調度ナルセスとエドムンドゥスがマレイノス屋敷を出ていくのが目に入った。二人の影は長く伸び、夕暮れが近いことを告げている。

 ウィレムにも早く僧衣を見て欲しい、そんなことを思いながら、アンナは屋敷前の人通りに目をやった。

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