第47話 ウィレムとアンナ:決着
はじめに感じたのは寒気だった。
ヤスリで背中を擦られたような強烈で不気味な感覚。このままではまずいと肉体が警報を鳴らしている。
逃げなければならない。だが、どこへ。
考えている間に、目には見えない何かが空気を裂いて襲ってきた。
手の平、肘の内側、脇。鉄板で覆われていない部分を的確に突いてくる。
真後ろへ下がった。視界が広がる。その中に動き続ける影を辛うじてとらえた。
さすがだ。それでこそアンナ・メリノだ。
胸の奥から湧き上がる歓喜に、肌を粟立つ。
もう一回突きがきた。
体勢を入れかえながら、突きの軌道上に剣を出してやる。向かってきた剣先が投げ出した剣とぶつかって大きく逸れる。アンナの肩がわずかに震えた。
驚いている? 避けられると思ってなかったな。
僕だって昔のままじゃない。背丈もアンナに追いついたし、旅に出るまでは毎日の鍛錬だって欠かさなかった。
下からの気配。懐に入られた。
一歩踏み出す。間合いを潰せ。同時に脇腹に衝撃が走った。
「うっ」
腹の中の空気が遡って口から出る。振動が鎧全体に伝わっていく。内蔵が無茶苦茶にかきまわされているみたいだ。
すごい鎧だ。アンナの一撃を受けて、この程度で済むなんて。
一度距離を取りたい。無理だった。後ろへ跳んだ時には追いつかれている。
アンナの肘がわずかに上がった。
身体の左側に剣を出す。斬撃がきた。脚を踏ん張って受け止める。
また驚いた顔をしている。まぐれじゃないぞ。
僕がどれだけアンナのことを見てきたと思っているんだ。眉間が寄ったね。そのまま強引に押してくる気だ。
ほら、やっぱり。
アンナは片手、僕は両手。全体重をかければ止められるはず。
鍔迫り合いになった。正面からの力勝負じゃ押し負ける。でもアンナ、向きになってるね。全部顔に書いてあるよ。
左脚を一歩踏み込むと同時に、身体の力を抜いてやる。上手くいった。支えをなくしたアンナの身体が前方に傾く。僕の右足につんのめるぞ。
だが、アンナは倒れなかった。
足の裏に根でも生えているのだろうか。それでも、バランスは崩した。離れるなら今のうちだ。
出来なかった。残した右足をアンナが踏みつけている。
こういうのもあるのか。
逃さないという強い意志を感じた。嬉しいな。今、アンナの意識には僕しか映っていないんだ。
振り返りざまの切り払い。受けるのがやっとだった。
アンナの本気を受けて刃毀れ一つない。丈夫な剣だ。あと少し耐えてくれ。
この射程なら突きはない。斬り合いになる。軌道の奪い合いでは勝負にならない。未だにアンナの剣先は、消えたようにしか見えない。
斬撃を必死に受け止める。手が痺れてきた。もうそろそろ限界か。
いや、まだだ。まだ終われない。もっと、もっと、こうしていたい。
アンナ、君はどうなんだ? 思い切り楽しめてる?
ああ、その顔だ。その表情が見たかった。僕でも君にそんな表情をさせることが出来るんだ。
不意に上体が傾いた。右膝に力が入らない。
嫌だ、これで終わりなんて。
踏ん張ろうとしたが、手脚の自由がきかない。
残念、今日はここまでか。
ウィレムはアリーナの砂の上に仰向けに倒れ込んだ。
ドラが三度打ち鳴らされる音を聞きながら、ウィレムは静かに目を閉じた。
疲労感が快い。胸中の煩いは全て溶けて消えていた。