第43話 二つの挑戦状
「一体全体どういうおつもりですか。お考えを聞かせいただきますからね」
ガレノスに勝利したウィレムを出迎えたのは、アンナの真っ赤な顔だった。細い眉が吊り上がり、頭から湯気でも立ちそうに上気している。
「まずは無事に戻ったことを喜んで欲しいんだけどな」
ウィレムは涼しい顔でアンナの追及をあしらった。もちろん、怪我らしい怪我など負っていなかったが、気力だけはやたらと消耗していた。
オヨンコアが差し出す水筒を受け取り、その中の水を一口ふくむ。全身から一気に汗がにじみ出した。壁に背を預けて腰を下ろすと、脚の力が抜けて血が血管を巡るのを感じた。
「もう構いませんよね。闘技会に出場なさったわけ、説明していただきますよ」
アンナの顔は強張ったままだった。
「私が最後まで勝ち進めば、目的は果たせますよね。私の実力をお疑いですか」
ウィレムは黙って首を横に振った。疑うどころか、一対一ならアンナに敵う人間など、この世にいないと思っている。子どもの頃から彼女の隣でそれを見てきたのだ。そのことに関してはアンナ本人以上に確信を持っている。
「それでは、別の理由でも。ウィレムさまの身に万が一があったら、私……」
吊り上がっていた眉がわずかに下がる。タルタロスへの旅が決まって以来、アンナには何度も同じような顔をさせてしまっている。済まないとは思うし、アンナにはいつも笑っていて欲しかったが、今回だけはウィレムも引く気はなかった。
「私が次勝てば、ウィレムさまと私が戦うことになるんですよ」
そう言ったアンナの表情は、泣き出す直前の子どものように歪んでいた。彼女にこの顔をさせられる人間が何人いるだろうか。そんなことを考えると、奇妙な優越感が湧いてくる。
「僕は君と戦いたい。これが闘技会に出た動機だよ」
普段通りに話そうとしたが、どうしても語気が強くなった。秘密を打ち明ける時のような、軽く宙を漂うような高揚感が身体の芯を熱くする。
アンナは瞳孔を開いて、真っ直ぐにウィレムを見つめていた。それほど驚かれると、少々心外でもある。
「昔みたいに本気のアンナと競いたいんだ。だから、手心も棄権も許さないよ」
アンナが口を開こうとした所で機先を制する。彼女なら自分の勝利よりもウィレムの身の安全を優先することはわかっていた。眉を寄せ、唇を尖らすアンナを見ると、少々いじめすぎたかもと反省した。
「子どもの時みたいに遠慮なしで戦えばいいんだ。僕が勝手についていくから」
立ち上がり、アンナの顔をのぞこうとした時、壁の影からマントの大男が現れた。
「ウィレム・ファン・フランデレン。貴様の望みは叶わないぞ」
聞き覚えのある声に、ウィレムが身構える。アンナも重剣の柄に手をかけた。
「何故貴方がここにいるのですか、風見鶏さん」
「風見鶏じゃない。鶏鳴の騎士だ」
男が頭にかかっていたマントをはずす。見事なまでに逆立った頭髪と荒々しい面構えが表れた。マクシミリアンは、やつれや隈が消え、精悍な顔つきに戻っていた。
アンナがウィレムとオヨンコアの前に出る。いつでも剣を抜ける体勢をとった。
「オレはルイ陛下の推薦で闘技会に出場している。陛下の不名誉になることはせん」
マクシミリアンは今までの態度が嘘のように落ち着いていた。どこか別人のような気さえする。
「そして、アンナ・メリノ。貴様への雪辱のためにここにいるのだ」
声は控え室の壁に跳ね返り、強烈な木霊を響かせながら四散していった。この怒鳴り声は間違いなくマクシミリアン本人である。
「何度やっても同じですよ。だいたい、奥の手を出して負けたばかりでしょうに」
「オレには過信があった。だが、今回は違う。全身全霊で貴様を倒す」
高らかに宣言したマクシミリアンは、アンナの後ろにいるウィレムに視線を移す。
「ウィレム・フランデレン。貴様は二の次だ。首を洗って待っていろ」
言いたいことを言って満足すると、マクシミリアンは高笑いを響かせながら、その場を去って行った。