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第42話 限界の在処

「アナタ、本当に性格悪いわね。あそこまでしなくても、楽に勝てたでしょうに」



 アリーナから戻ったアンナを迎えたのは、オヨンコアの皮肉だった。しかみ顔でオヨンコアをひとにらみした後、アンナは自分を快く迎えてくれるはずの主人を探した。しかし、控え室のどこにもウィレムの姿が見当たらない。



「ウィレム様はどこ。私、どうせなら、ウィレムさまに出迎えて欲しかったわ」



 オヨンコアは取り澄ましてアリーナの方を見ているだけで、アンナの問いに答えようとしなかった。



「ちょっと、黙ってないで答えなさいよ。貴方の方こそ性悪じゃない」



 向きになって噛み付くアンナを歯牙にもかけず、オヨンオアは自分の視線の先、闘技会出場者がアリーナへ向かうための道を指差した。

 アンナがその指の意味に気が付いた時、開戦を告げるドラが鳴った。


 ウィレムはアリーナ中央に立って、周囲を見回した。辺り一面を埋める人、人、人。彼らが向ける興奮と期待に満ちた視線が、強烈な圧力となって降り注ぐ。身元を隠すためにこしらえたウィリアムという偽名が、声援にのって聞こえてきた。

 思っていた戦場とはだいぶ違う。久し振りに握った剣は異常なほど軽かった。

 目の前の老人は未だ剣に手をかけていない。鷲鼻を客席に向けながら、歓声に耳を傾けている。古木を思わせるくすんだ肌、かたそうな髪と髭。それでいて瞳は爛々として、力強さを保っている。


 ドラが鳴り、ウィレムは剣を構えた。慎重に初めの一歩を踏み出す。

 老人は間合いを詰めようとするウィレムに対し、手の平を見せて制止を促した。



「しばし待て、若造。儂がまだ宣誓を済ましていないではないか」



 ウィレムは思わず脚を止めてしまった。戦いの開始はドラの音で合図するのではなかったのか。疑問がウィレムをその場に留めさせた。

 相手が止まったことを確認すると、老人はヘレネス王の座るバルコニーの方へ歩いて行き、その前で大きく息を吸い込んだ。



「陛下。このガレノス、老いたりといえど未だ剣の腕は錆び付いておりません。今、御前にこの戦いの勝利を捧げ奉りましょうぞ。とくと御覧くださりませ」



 その声は歳の所為か乾いていたが、会場全体に響き渡った。



「さあ、若造。何処からでも掛かってこい」



 振り返ったガレノスは、そこで初めて剣を抜いた。

 呆気にとられていたウィレムも改めて剣を構え直す。

 ウィレムはガレノスの周りをゆっくりと回りながら、距離を詰めた。隙らしい隙が見当たらないため、なかなか踏み込むことが出来ない。ガレノスの構えは、背筋が伸び、頭がしっかりと腰の上に乗っている。決して大きな身体ではないが、どっしりとした安定感があった。老人らしからぬ圧力を感じる。



「どうした。そんな及び腰では赤子にも勝てんぞ」



 度々挑発が飛んできたが、無視を決め込んだ。どんな相手でも侮るつもりはない。元より、敵を見下せるほど自分の実力に自信もなかった。



「情けない。これなら、さっきの赤毛の女子(おなご)の方が骨がありそうじゃわい」



 苛立たしげにガレノスが呟いた言葉を、ウィレムの耳は聞き逃さなかった。



「今、アンナは関係ないでしょう」

「何だ、聞こえていたのか。ならばさっさと打ち込んでこい。この(うらな)成り瓢箪(びょうたん)



 アンナのことを引き合いに出されると、無視できなかった。相手が自分と彼女の関係を知らないとわかっていても、込み上げてくるものを我慢出来ない。


 鋭い音を立てて、二本の剣がぶつかった。

 鬱憤に任せて振るった剣は、ガレノスに容易(たやす)く受け止められた。それでも構わずに刃に体重を乗せる。強引に押し切ると、ガレノスは体勢を崩して片膝を突いた。



「やれば出来るではないか。次は、こちらからゆくぞ」



 すぐに立ち上がったガレノスが剣を取って斬り掛かる。

 ウィレムの剣がその攻撃を正面から受け止めた。

 きれいな太刀筋だった。素早く、淀みなく、真っ直ぐな軌道。

 だが、軽かった。

 ウィレムが片手で十分に受けきれると思える程度の手応え。ガレノスの技は間違いなく本物だったが、老いが彼の身体から力を奪っていた。


 その先の展開は一方的なものだった。

 ガレノスの攻撃をウィレムが受ける。時間が経つにつれて徐々にガレノスの体力は失われていき、太刀筋は鈍っていった。時にはウィレムがガレノスの剣を弾くことさえあったが、王が勝負を止めることはなかった。観客は言葉を失っていた。

 誰も老人がいたぶられる光景など見たくはない。客席から戦いを終わらせろという声が上がる。



「もう降参してください。勝負はつきました」



 口で息をする相手にウィレムは剣を突き付けた。ガレノスは自分の剣を杖代わりにしなければ立っていられないほど疲弊している。勝負の行方は誰の目にも明らかだった。

 だが、ガレノスは力失せぬ両眼でウィレムを見上げる。



「勝負ありと言うなら、お前の負けということだな」

「何を意固地になっているのですか。貴方はもう限界だ」



 これ以上彼を痛めつける気はなかった。最早挑発への苛立ちは消えている。再度降参を促そうとするウィレムに対し、ガレノスは声を荒げた。



「それを決めるのはお前ではない。儂の限界は儂自身が決めることだ」



 その言葉がウィレムの耳の内を振るわせた。奇妙な感覚が込み上げる。外からではなく、自分の内から同じ波長の音が響いてくるようだった。

 敵として剣を交えているというのに、心のどこかでガレノスに同情しはじめている。かといって、勝負を譲るつもりもなかった。ここで勝ちを譲っては目的が果たせない。目標への道が一人分しかないのなら、そこを通るのは自分でありたい。



「やはり、負けを認めてはくれませんか」

「くどい」



 ガレノスが振り上げた腕をウィレムが掴む。剣を逆手に持ち替えると、無防備な相手の顎先に柄頭を思いきり打ち付けた。首を支点に、頭が勢い良く跳ね上がる。

 ガレノスの身体から力が抜け、腕がだらりと垂れ下がった。残ったのは糸の切れた操り人形のようなガレノスの身体だけだった。

 彼の意識が失われたことを確認すると、ガリア王は手の中の布を振った。

 ドラの音が三度響いた。

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