第41話 女の闘い
円形闘技場は戦士たちの戦いに沸き返った。
二人の人間が各々剣一本を手にアリーナにのぼり、自身の脚でその場を後に出来るのはどちらか一人だけ。剣は刃引きしてあるとはいえ、打ち所が悪ければ、命さえ落としかねない。肉が千切れ、骨が軋み、血と汗が飛び散る野蛮な戦い。観客はそんな暴力と残虐の見世物に心から酔いしれた。
出場者の控え室には、次々に負傷者が運ばれてくる。アリーナの方からやってきた大きな担架を横目に、テオドラは嘲笑を浮かべた。
「あの男、偉そうに言っていた割に、たいしたことなかったじゃないか」
六人がかりで運ばれてきた担架の上には、白目をむいて動かなくなったガイウスの身体があった。額から顎にかけて縦に真っ直ぐ一本の溝が出来ていた。鼻は曲がり、折れた前歯の欠片が下唇に食い込んでいる。
「さっき出てったばかりだろう。こんなに早く勝負がついちゃあ、客は興醒めさ」
隣にいるアンナは特に返事もせず、ガイウスを見たが直ぐに視線をそらした。
「次はあたいらの番だねえ。まさか、初戦であんたと当たるとは思わなかったよ」
「そうですね。でも、誰が相手でもやることは同じです」
アンナは静かに返した。
女性とのやりとりには、まだ幾分か気恥ずかしさがある。兄弟も友人も男性ばかりだったアンナにとって、身近な女性は母親だけだった。旅に出てから多くの女性と接する機会があったが、未だに苦手意識がぬぐえない。積極的に距離を縮めてくる女性は尚更である。皮肉なことに、物怖じせずに話せる相手はオヨンコアだけだった。
テレーザ様といい、テオドラ様といい、ヘレネスの女性は何故こんなに簡単に、他人の懐に踏み込んでくるのだろう。戦いを前にしても、アンナの頭はそんなことばかり考えていた。
入場のドラが鳴る。
「さあ、女だって戦える所を見せて、客を沸かせてやろうじゃないか」
二人は並んでアリーナへの道を進んだ。
アリーナを見下ろす観客席は静まりかえっていた。誰も目の前で展開されている戦いを想像していなかったのだ。
戦っているのは二人の女性。一人はコンスタンティウムにまで名の通ったウルカノ軍管区のテオドラ。相手はガリアからの旅人だという、しなやかな肉体をもつ華麗な美女。テオドラを知るものなら誰でも、彼女の圧勝を予想したはずである。
戦いは一方的だった。
終始攻め続けているのはテオドラの方だった。彼女の振るう剣風がアリーナの砂を巻き上げ、観客席にまで砂塵が飛んでくる。
しかし、その攻撃が一つとして相手の女性に当たらない。アンナは蝶のように軽やかに舞いながら、常にテオドラの間合いのなかに身を起き続けている。彼女は自分の剣を抜いてさえいなかった。
テオドラが血相を変えて剣を突き出す。
襲い来る刃に向かって、アンナは一歩踏み込んだ。
顔の横を白刃が滑っていくのを眺めながら、アンナは相手の懐に入った。
咄嗟にテオドラが剣を横に払うも、アンナは既に反対側に跳んだ後だった。
一部の者を除き、その場にいるほぼ全ての人間が自分の目を疑っていた。
テオドラと言えば、ウルカノ軍管区でルーシやアヴァルなどの異民族と戦っている女傑である。女であっても戦えると主張し、軍への入隊を申し入れたのは有名な話しで、実力が認められた今は、特例としてウルカノの長官が個人的に雇う形で、軍に身を置いていた。
肩で息をする姿に東方随一の女戦士の面影はない。体力は限界に達していた。
歯を食いしばり、テオドラが渾身の一撃を繰り出した。
アンナはいとも簡単にその刃を両手で挟み取ると、その手を無造作に捻った。
テオドラは前のめりに倒れ、彼女の剣はアンナの手の中にあった。その切っ先がテオドラの鼻先に突き付けられる。
バルコニーの国王が手に持った布を振ると、ドラが三度打ち鳴らされた。
決着の合図にテオドラが奥歯を噛んだ。
「あたいはこんな所で負けられない。男たちを倒して、女も戦える、女も強いってことを照明するんだ。女同士の戦いなんかで負けるわけにはいかなかったのに」
何度も、何度も、砂を叩いた。
「ウルカノの戦女神も、案外たいしたことないじゃないか。所詮は女だな」
そんな声が客席から聞こえてきた。テオドラは黙っていたが、うつむいた顔の下で唇を噛んでいるのがわかった。拳が砂を握って震えている。
その瞬間、声のした辺りを衝撃が襲い、土煙が舞い上がった。客席の一角に先程までアンナの持っていた剣が突き刺さっている。
「貴方が何にこだわっているのか、私にはわからないけれど……」
アンナは何事もなかったように振り返ると、テオドラに手を差し伸べた。
「女や男なんて関係ありません。強い人間は、ただ、強いのです」
困惑にひきつる顔のまま、それでもテオドラはアンナの手を取った。