表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/159

第40話 闘技会開会

挿絵(By みてみん)


 闘技会の当日、コンスタンティウムの街は朝から色めき立っていった。ヘレネス国王ロマノス二世の即位五十周年を記念する、一週間にわたる祝祭がその日はじまるからだ。

 闘技会の会場となる円形闘技場(コロッセウム)にはコンスタンティウム中、いや、ヘレネス国外からも、膨大な数の観客が詰め掛けていた。彼らの発する熱気によって、闘技場のなかだけが一足早い夏を向かえたようである。

 闘技場中央のアリーナには戦士たちが姿を見せ、観客の歓声に応えていた。


 観客席の一角、ひときわアリーナに近い場所に特設されたバルコニーから、ベリサリオスが姿を現す。何事か声を張り上げているが、喧噪に掻き消されて、よく聞こえない。

 突如鳴り響いたドラの音に、観衆の声が遮られた。人々の視線は音のしたバルコニーの方へ集まる。皆、次に起こることを知っていた。期待が渦を巻きながら、静かに、だが、着実に積み重なっていく。



「東エトリリア帝国、皇帝陛下のおなーりー」



 高らかに響く声に誰もが息を呑んだ。


 その人影は、ゆっくりと一歩ずつ踏みしめるように歩きながら、バルコニーの柵の前に姿を見せた。その途端大歓声が沸き上がる。熱狂する会場を満足そうに一望すると、ヘレネス王ロマノスは手をかざして観衆を黙らせた。

 皺にまみれた白い顔は髪と髭との境界が曖昧で、頬はやつれ、眼窩(がんか)はくぼんでいるというのに、瞳だけが槍の穂先のように鋭い光を放っていた。



「戦士たち、多いに励め」



 そう一言だけ言うと王は席に戻った。客席が、そして、アリーナの戦士たちが、鳴り止まぬ喝采で王の背を送った。



「ヘレネス王は民に慕われておいでなのですね」



 アンナは隣に立つナルセスの耳に届くように、声を張り上げた。そうしなければ、四方から響く声の波に、自分の声が塗りつぶされてしまう。



「今の繁栄は陛下あってのものだからね。皆、心から陛下を崇敬しているのさ」



 ナルセスがぐるりとアリーナを見回した。

 ナルセスとアンナ以外に、十人の戦士がその場にいた。大男もいれば、白髪の老人もいる。マントを頭からかぶり、顔を隠した者もいた。



「これで出場者は全員ですか」

「そうだ。各軍管区の代表や、有力者が推薦した猛者たちだ」



 ナルセスが目に付いた何人かについて、話してくれた。

 出場者中最大の巨体を有する男がガイウス。七つの軍管区のうち最も豊かなダナビウス軍管区の代表で、その腕力は十人力とも、二十人力とも言われている。

 鼻の高い縮れ毛の老人は、国王直轄軍(プラエゼンタリス)の古株で、ガレノス。周りが幾ら勧めても、一向に引退しようとしない頑固な年寄りなのだそうだ。



「ベリサリオス様は出場なさらないのですね」



 少し残念そうにアンナがこぼす。話しをした感じでは、彼も相当な使い手のはずだった。



「あいつも口惜しそうにしていたよ。代理を立てるとか言っていたな」



 再度他の出場者を見回す二人に、巨体を揺らしながら近寄ってくる者がいた。



「おいナルセス。いつから闘技場は女と逢い引きする場所になったんだ」



 しゃがれ声で見下ろすのは先程教えられたガイウスである。マクシミリアンと同じか、それ以上ありそうな体躯(たいく)。腹や腕には肉が付いているが、その下に強靱な筋肉が隠れていることは見る者が見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。



「久しいな、ガイウス。彼女は出場者さ。心配するな、実力は私の折り紙付きだ」



 挑発をあしらわれたガイウスは顔をしかめてアンナを一瞥(いちべつ)した。



「こんな細腕に何が出来るって。見ろ。さっきからびびって、しゃべりゃしねえ」

「別に、貴方が怖いから黙っていたわけではありません」



 アンナはガイウスと目も合わせなかった。代わりに、退屈そうに指で前髪を(もてあそ)ぶ。その光景にナルセスが思わず吹き出した。

 ガイウスの鼻息が荒くなり、胸が大きく上下する。結んだ口から耳障りな歯軋(はぎし)りが聞こえてきた。



「女の分際でオレを(あなど)ったな。家で針仕事してればよかったと後悔させてやる」



 それでもアンナはガイウスを見ようとしない。怒りに任せた豪腕が高々と振り上げられる。だが、その拳が打ち下ろされることはなかった。



「恥の大盤振る舞いはもう十分だ。女が戦えないかどうか、今、見せてやろうか」



 ガイウスの腕を横から掴んだ女性が、険しい目つきで彼をにらんでいた。

 背丈こそアンナより少々高い程度だが、日に焼けた褐色の肉体は、男たちに見劣りしないだけの厚みがあった。ぼさぼさの髪を無造作に後頭部で束ねている。

 ガイウスと女性がにらみあう。二人の腕には血管が浮き出し、筋肉の収縮が見て取れる。その姿勢のまま二人は全く動かなかった。



「ガイウス、テオドラ、その辺で止めるんだ。仮にも陛下の御前だぞ」



 二人の間にナルセスが割って入る。力尽くで両者を引き離した。

 ガイウスは忌々しそうにアンナとテオドラをにらみつけていたが、そのうち黙ってアリーナを去って行った。



「みっともない男だねえ。それに比べて、あんたは肝が据わってるじゃないか」



 テオドラがアンナに手を差し出した。



「気に入ったよ。あたいはウルカノ軍管区のテオドラだ。あんたは?」

「アンナ・メリノです。ガリアから来ました」



 二人は手を握り合った。(たこ)一つないアンナの柔らかな手を、テオドラの分厚い手の平が包み込む。



「あたいらで女だって戦えるって所を、世の男共に知らしめてやろうじゃないか」



 大口を開けて豪快に笑うテオドラに対し、アンナは控えめに微笑した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ