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第37話 英雄上洛

「オヨンコア、そんなにくっついてはウィレムさまが歩く妨げになるでしょう」

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。アナタの鎧、ガチャガチャとやかましいのよ。耳障りだからもっと離れてくれるかしら」



 オヨンコアは、垂れ帽子の上から頭上の耳を手で押さえる。


 自分を挟んで繰り広げられる舌戦に、ウィレムは辟易(へきえき)として肩を落とした。フォーカス家を訪ねて以来、二人はことあるごとに衝突を繰り返していた。どれだけなだめても取り合ってくれない。テレーザは二人を(あお)って楽しんでいたようだが、仲立ちするウィレムにとっては、気苦労の種となっていた。



「二人とも、あれをご覧よ。コンスタンティウムが見えてきたよ」



 二人の気を紛らわせようと、ウィレムは視界の端に映った巨大な都城を指差した。ポントゥスの大穴に大きく迫り出した岬、金角岬(ゴーデンホーン)の先端には大宮殿や教会の建物群がそびえ、その外側には市街を囲む二重の城壁と、美しいアーチを描く水道橋が見える。建設以来千年以上の間、外部からの侵攻を拒み続けたエトリリア文明の至宝が、その雄大な姿を現していた。

 さすがのアンナとオヨンコアも、言い合いを忘れて目を見張る。



「――」



 階層最大の都市に目を奪われたアンナが、感激の声をあげた。その声は横から聞こえてきた軍靴と(ひづめ)の音に掻き消される。

 音のした方を見ると、左手の小高い丘を越え、コンスタンティウムの方向へ行進してくる隊列があった。寸分違わずに足並みを揃える歩兵たち、豪奢(ごうしゃ)な鞍を乗せた馬には輝く鎧の騎兵が跨がり、戦鼓が高らかに打ち鳴らされる。


 端によって道を開けた三人の前を、行列が堂々と通り過ぎていく。行進のなかには荷馬や装飾された荷馬車も混じっていた。見たところ、兵糧を運んでいる風ではない。兵たちにも疲弊した様子はなく、戦場帰りというわけではなさそうだ。


 不意に規則正しい行進の調べが乱れ、そのなかに不協和音が混ざった。後方の隊列が崩れ、逃げ惑う歩兵たちの叫び声が聞こえてくる。

 (いわ)く、「逃げ出した」

 又曰(またいわ)く、「止められない」


 混乱はその一角から、徐々に広がりを見せ始めていた。助けを求める声がウィレムたちの耳にもとどくようになる。

 小刻みな金擦れの音に気付いて目をやると、アンナが落ち着きなく身体を揺すっていた。



「アンナ、行きたいんじゃないの」

「そ、そんなことありません。私にはウィレムさまを守る使命がありますから」



 そう言いながらも、アンナの瞳はウィレムの顔と騒ぎの方向を往き来する。



「僕なら大丈夫だよ。行って、君の力が必要そうなら、助太刀してあげなよ」



 調度その時、騒ぎの原因が隊列を割って姿を現した。金色の体躯は牛か或いは熊ほどの大きさがある。(たてがみ)を揺らして躍り出たのは、巨大な猫、レリーフや刺繍の模様でしか目にしたことのない、実物の獅子だった。


 獅子の足下には地面に座り込む人影があった。まだ少年だろうか。腕だけで必死に地面を掻いて、少しずつ後退っている。

 獅子がゆっくりと歩を進め、哀れな獲物を見下ろす。爪も牙も十分に少年の身体にとどく距離だ。獅子が前足を持ち上げる。少年は目を閉じることも出来ずにいた。


 少年を押さえつけようとした獅子の前にアンナが立ちふさがっていた。

 獅子は初め、ゴロゴロと喉を鳴らして相手をにらんでいたが、おもむろに後ろ足で立ち上がると、アンナに身体を浴びせ掛けた。アンナは落ち着き払って身をひるがえし、獅子の首を脇の下に抱え込む。じたばたと前足を振り回す獅子の姿に、百獣の王の威厳はない。


 猛獣を抱え込んだまま、アンナの背が美しい弧を描いていく。そのうち、持ち上げられた獅子の身体が地面に対して垂直になった。



「ごめんなさい、猫さん」



 そのまま獅子の頭を真下の地面に突き刺さす。アンナが手を放すと巨大な地響きとともに、獅子の身体が倒れ伏した。

 あまりの出来事に誰一人として声を上げない。立ち上がったアンナが手を差し伸べても、襲われていた少年までが困惑で瞳を曇らせていた。


 少年の困惑が再び恐怖に変わるまで、さほど時間はかからなかった。彼の目には、アンナの後ろでよろめきながら立ち上がる、猛獣の怒れる姿が映っていた。


 猛り狂った獅子が大口を開けてアンナに襲いかかる。

 アンナの手は既に剣の柄に添えられていたが、彼女が剣を抜くことはなかった。

 アンナが剣を抜くより早く、別の剣が獅子の口のなかに刺し込まれていた。その剣は喉の裏を貫通し、首の後ろから吹き出た血が鬣を赤く染めた。


 獅子とアンナの間に割って入った人影が剣を引き抜く。獅子は倒れて動かなくなった。そこで初めて周囲の兵から歓喜の声が上がる。



「危ない所だった。だが、このナルセスが来たからには、もう心配はいらないぞ」



 喝采(かっさい)を浴びる青年は、アンナと少年に涼やかな微笑を投げかけた。

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