表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/159

第30話 飛び込むは罠の中

 馬を走らせているというのに、先程から周囲の景色は一向に変わらない。右手に底なしの大穴を臨みながら、ウィレムたちは馬を急がせている。ポントゥスの大穴の縁、断崖を臨む老木の下がマクシミリアンの指名した場所だった。

 鞭を持つウィレムの手に力が入る。人質に取られた人々のなかには、オヨンコアも含まれていた。彼女の安否を確かめたい。それが、ウィレムの偽らざる気持ちだった。


 遠景に、絶壁の上に生える一本の老木が見えた。枝に葉はなく、大穴に向かって吹き込む風に、木肌を晒している。老木の下に大岩の質量を有する大男が直立していた。マクシミリアンの周囲に他の人影は見受けられない。目標を視認し、ウィレムは再度、馬の尻に鞭を入れた。



「待ちかねたぞ。ウィレム・ファン・フランデレン」



 一行を見つけるなり、マクシミリアンはけたたましい怒声を浴びせかけた。まだ幾らか距離があるというのに、音の波が怒濤となってウィレムの身体に打ち付ける。



「貴方の臨み通り、僕らはここへ来ましたよ。人質は無事なんでしょうね」



 ウィレムは馬を下りてマクシミリアンと向き合った。

 身に着ける白銀の鎧に見劣りしない分厚い体躯、変わらずの逆立ったブロンド。だが、見た目の印象は以前に会った時と幾らか変わっていた。顔がやつれ、目の下には濃い隈が表れている。それが、元々の迫力に鬼気迫るものを加えていた。



「下賤の者に手など出すものか。皆、荷台のなかに押し込んである」



 目を血走らせながら、マクシミリアンが、一歩、二歩と、間を詰める。ウィレムたちと彼の間には、まだ十分な距離があった。大通りを挟んだ端と端、助走を付けても、一飛びでは越えられないほどの間合いである。しかし、それだけ離れているにもかかわらず、マクシミリアンを包む空気がウィレムの身体を強張らせた。



「安心してください。あいつの相手は私がします。その間に、ウィレムさまは人質を助け出してください」



 身構えるウィレムの肩にアンナが優しく手を置いた。彼女の落ち着き具合を見ていると、身体の芯から嫌な緊張が抜けていく。


 一歩ずつ、静かに近付いてくるマクシミリアンに対し、アンナが一歩前に出る。ウィレムと人売りを後ろに従える格好になった。



「貴方のお目当ては私でしょう。相手になってあげますから、さっさと掛かってきなさい」



 アンナは大袈裟に手招きをして、相手を挑発した。マクシミリアンのこめかみに青筋が浮き出し、顔が赤黒く変色していく。目が()わり、アンナの姿を捕らえて放さない。


 二人は、残り半歩で互いの間合いに入る所で、足を止めた。

 既にアンナは右手に剣を携えている。マクシミリアンは剣の柄を握ってはいるが、抜刀していない。彼の剣は前回の大剣ではなく、見た所、(つば)の短い両手剣のようである。


 アンナから視線をそらさずに、マクシミリアンが柄を握る手をするすると引いていく。現れたのは何の変哲もない鉄剣だった。しかし、鈍い光沢を放つその刃が、ウィレムに捕らえ所のない不安を抱かせた。あまりに何もないことが、逆に相手の意図を見えにくくしているように思えたのだ。


 マクシミリアンが剣を頭の高さで構える。

 アンナの突き出した切っ先が、彼女の呼吸に合わせて小さく上下する。その剣が三度目に頂点に達した瞬間、マクシミリアンが剣を振り下ろした。その勢いに乗って、大きく一歩、前方へ踏み出す。

 アンナが剣撃を受け止めようと、自分の頭上で剣を寝かせた。

 開戦の一合目と思われた刹那、アンナは後ろ足を身体に引きつけて半身になった。彼女の身体に沿うように、マクシミリアンの頭上から紫電が掛け落りる。一撃から一拍、辺り一帯を地響きが襲った。剣撃を受けた乾いた大地には、無骨な裂け目が生まれていた。


 すぐにアンナが距離を取る。剣を引きずりながらマクシミリアンが後を追った。

 走りざま、アンナがウィレムに目配せした。敵を引き離すという合図である。

 二人が十分に離れたことを確認すると、ウィレムは馬車へと駆け寄った。(ほろ)を開けて荷台をのぞく。数人の男女が身を寄せ合っていた。



「全員無事かい。助けに来たよ」



 荷台に乗り込んでみると、なかにいるのは老人や子ども、女性が多かった。一人一人に励ましの言葉を掛けながら、ウィレムはオヨンコアを探した。



「アナタ、何で来てしまったんですか」



 聞き覚えのある声に叱責され、ウィレムは荷台の奥へと目を向けた。ウィレムの入ってきた側の反対、御者台(ぎょしゃだい)に近い方の端で、オヨンコアが身体を丸めていた。



「良かった、無事なんだね。君が酷い目にあっていないか心配だったんだ」



 他の人質を避けながら、ウィレムは彼女の前まで寄っていった。



「思っていた以上にお人好しなんですね。それに、用心も足りないみたい」



 オヨンコアの口からは辛辣(しんらつ)な言葉が続く。助けに来た者への態度とは思えない。そして、何より不思議だったのは、今までの片言と違い、彼女が流暢(りゅうちょう)なエトリリア語をしゃべっていることだった。



「君、ちゃんとしゃべれたのかい」

「あんなの、セールス・トークの一環です。やっぱり騙されていたんですね。そんな風だから、今回も騙されて、こんな所までのこのこ出てきちゃうんですよ」



 彼女の言葉の意味を掴み損ね、ウィレムはその場で硬直した。ただただ、彼女の宝石の瞳を見つめたまま、呆然と立ち尽くす。


 その時、再び巨大な地鳴りが起こり、馬車の荷台が傾いた。人質となっていた人たちが、我先にと幌の外へ逃げ出し始める。静まる気配のない揺れのなか、荷台は確実に崖下の方向へと傾いていった。


 考える余裕はない。ウィレムはオヨンコアの手を取ると、人のいなくなった荷台を入口に向かって走った。既に荷台の角度は地面に対して直角に近くなっている。荷台の入口からは空が見えていた。


 あと少し。

 傾く床を蹴って、ウィレムは外に飛び出した。伸ばした指先が二、三度宙を掻き、崖の縁に辛うじて引っかかる。

 馬車は音もなく、大穴の底目掛けて落ちていったが、ウィレムには下を見る心の余裕は残っていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ