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第28話 人買い交渉

「本当にありがとう御座います。お連れ様、随分と腕がたつのですね」



 店主は相変わらずの歪んだ笑顔で礼を言った。何度見ても、あの冷徹な瞳は好きにはなれない。隙あらば、人の内面を盗み見ようという打算と貪欲が透けて見える気がするのだ。



「貴方ほどの腕力があれば、あのような者たち、どうとでも出来たのでは」



 昨日、ウィレムの腕を引いた時の店主の力は、商人としてはいささか強すぎるように思えた。少なくとも、街のならず者に後れを取るとは考えづらい。



「いえいえ、お客様の買い被りで御座いますよ。それに、あんなチンピラでも、客に手を上げたなんて話しが出回ると、商売がやりづらくなりますから」



 そんなことを言いながら、店主はウィレムの腕を引いて店の中へと引き入れようとする。驚いて振り払おうとしても、店主は手を離さなかった。



「今日もいらっしゃったという事は、気になる商品があったという事ですよね。どの商品ですか。言ってもらえれば連れてきますよ」



 店主は自分に都合の良い勘違いをしているようである。半ばウィレムを引きずるようにして店に入ろうとする所を、アンナが引き留めた。刺すような鋭い口調で、店主を威圧する。



「主人への乱暴は()して頂きたい」

「いやあ、これは失敬。お客様が見たい商品があるというものですから、私も早く見せようと、気が急いてしまいました。お許しください」



 店主は薄気味悪い笑みを貼り付けたまま、わざとらしく謝意の言葉を並べた。それを聞くアンナがウィレムの顔をうかがう。ウィレムの意思ならば、止める謂われはないということだろう。



「待ってくれ、僕は別に、人を見に来たわけじゃない。偶然通りかかっただけだ」

「まあ、そう言わずに。力自慢ですか。それとも床上手。いや、こんな腕前の美人をお供に連れているんだから、それはないか。それじゃあ、きっとあいつですね」



 ウィレムの言葉を全く取り合わず、店主は勝手に納得すると、今度は荷馬車の方へ向かっていった。ウィレムの脳裏には、膝枕の女性が浮かぶ。会いたくないと言えば嘘になるが、直ぐ隣にアンナがいるのだ。会うのはやはり気が引けた。


 身をよじったり腕を振ったりと抵抗してみたが、全て無駄に終わった。嫌がるウィレムを店主は馬車の荷台に押し込んだ。頼みの綱のアンナも、店主の口車に乗せられたのか、ウィレムが自分の意思でここに来たと誤解しているようだった。


 暗い(ほろ)のなか、目を細めて辺りをうかがうが、後から荷台に乗り込んできた店主とアンナも含め、自分以外の人影が四つあることくらいしかわからない。



「ほら、このお客様はお前に会いに来たんだぞ。挨拶しろ」



 声の方向から察するに、手前の人影が店主なのだろう。左手の人影が、ゆっくりとウィレムの方に向き直った。



「ホンジツはアいにキてくれて、アリガトございました。ワタシ、オヨンコアとイいます。ワタシもアナタにアいたかったデス」



 徐々に暗闇に慣れた目に、昨日の女性の姿が映る。オヨンコアと名乗った彼女は、長いまつげを伏せがちに、身体を小さく丸めながらウィレムを見上げていた。



「お客様は実にお目が高い。こいつはね、下の階層の生き物なんですよ。この辺りじゃあ、まずお目に掛かれない掘り出し物です」



 店主はおもむろにオヨンコアの頭に巻かれていた帯をほどいた。束ねられていた豊かな髪が解放され、ふわりと広がる。そして、髪とともに姿を現したのは、ぴんと伸びた三角の耳だった。髪の色に近い灰色の毛に覆われ、彼女の頭の上に二つ並んで乗っている。犬か狼の耳に近い形状だった。背中の方でも尻尾のような物が揺れている。

 ウィレムの目が点になる。何度か瞬きをしてみたが、やはり、彼女の頭の上には獣の耳が乗っていた。


 言い伝えでならば、以前に聞いたことがあった。下の階層には、自分たちと姿の異なる人間がいることを。本来人間の身体に二つずつある部位が全て一つしかない人間、胴に顔が貼り付いている人間、雪原に住むという一本足の巨人など、数え上げればきりがない。そして、つい最近、マリアの変身を目撃したばかりだ。

 にもかかわらず、眼前の女性の姿は、ウィレムの理解の範疇を超えた物だった。


 オヨンコアが一歩、前に出た。

 ウィレムは、半歩下がって、身構える。

 ウィレムの反応に彼女の顔が曇った。眉の付け根をハの字に曲げたまま、さらに一歩進むと、彼女はウィレムの手を取った。きめ細かい肌の感触と、温かな体温が、手の平越しに伝わってくる。



「アナタは、タルタロスにイクとイいました。ワタシもイきたい。ワタシもツれてイってください」



 つぶらな瞳が潤み、幌の隙間から入るわずかな光を反射して、きらきらと輝く。二つの宝石をはめ込んだような瞳に見つめられたならば、誰でも首を縦に振ってしまうのではないか。そんなことさえ思わせる目だ。自分が目の前の女性に惹かれているのがわかる。そして、そう思うことが、どこか心地よく感じられた。


 一方、アンナはというと、神妙な面持ちで手を取り合う二人の姿を見守っていた。言葉は発さず、微動だにしないが、自然に手が握り拳をつくっていた。


 呆然としているウィレムの肩を店主が揺すった。我に返り、慌ててオヨンコアの手を放す。



「品定めはここらでいいでしょう。そろそろ大事な話に移りましょうか」



 促されるまま外に出た。彼女と離れることが名残惜しかった。



「良い品だったでしょう。それで、幾らくらいだったらお出しいただけますか」



 薄い笑みが消え、真剣な表情で交渉を始めた店主にウィレムは面食らう。

 元より、人を買う気などない。そのことは宿屋の自室で心に決めていた。だが、店主の言葉は心の片隅に残るほの暗い欲望を、巧みに刺激した。



「今すぐ決めたくてもいいんですよ。取り敢えず言うだけ言ってみましょう。相談するだけならタダですから」



 甘い言葉と勢いでウィレムを翻弄する。半ば強引に押し切られるかたちで、ウィレムは懐に入れていた袋から、銀塊を一本取り出した。店主は親指と人差し指で銀塊を摘み上げると、それをまじまじと見た後、奥から出してきた天秤の上に載せて、重量を量りだした。



「ガリアの銀ですな。これだと、あと一本は欲しい所です」

「そんな馬鹿な!」



 ウィレムは思わず声を荒げた。人買いが安くないことは知っていた。しかし、ウィレムの出した銀塊とて、生半可な値ではない。ウィレムの家族が一年間食べていけるくらいの価値はあるはずだった。



「いやなに、貴重な品なんでね。それにお客様だって、まだ財布に余裕はあるのでしょう。今買っておかないと、他の好事家(こうずか)が買っていっちゃうかもしれませんよ」



 店主が目を細めて、袋の中をうかがおうとする。今を逃せば、彼女は他人のものになってしまう。一瞬、心が傾きかけた。そんな時、脳裏に浮かんだのは、アルベールと教会の女性たちの姿だった。


 人を買うということは、人を物として扱うことを認めるということだ。自分も、オヨンコアも、アンナでさえ、路傍の石ころと同じものだと認めるということだ。本当にそんなことを肯定しても構わないのだろうか。

 ウィレムは首を横に振ると、天秤皿の上に乗っている銀塊を掴んで、無造作に袋の中に入れた。



「済まない。やっぱりこの話はなかったことにして欲しい」



 一方的に交渉を打ち切ると、ウィレムは、微動だにしないアンナを促して、早足で店を出た。

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