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第27話 街角散策

 大衆食堂から外の通りに出ると、穏やかな午後の光がウィレムを包んだ。暖かな陽気と程良い満腹感が幸福な眠気を(もよお)させる。無意識に伸びをすると、大きな欠伸(あくび)が後に付いた。



「思ったより、美味しかったね」

「そうですね。やはり、子うさぎはパイ包みが至高です」



 ウィレムに続いて店を出たアンナは、心底幸せそうに頬をほころばせた。

 店に入った時には、見ず知らずの人間が出入りする場所で食事することに抵抗を示していたアンナだったが、料理が運ばれてきてからは、気にしなくなっていた。修道院の生活で、大人数で食事をすることに慣れていたウィレムにとって、いちいち周りの客を気にする彼女の姿は、どこか滑稽で可愛らしくもあった。



「それにしても、他の人たち随分とこちらを見ていましたね。何か不作法を働いてしまったでしょうか」



 ウィレムとしては、アンナが綺麗だからだと言いたい所だったが、本当の理由が他にあることは重々承知していた。周りの視線は、まずアンナに向き、その後、隣にいる僧衣の男へと順に移っていたのだ。


 僧衣で肉料理はまずかったかな。

 ウィレムの口元に苦笑が浮く。酒を飲まなかったのがせめてもの救いだった。



「これからどうします。宿に戻りますか」

「せっかくだから、もう少し散策しない。今日はゆっくり出来るから」

「私はどこへだってお供しますよ」



 嬉しそうにウィレムの手を掴むと、アンナは広場へ向かって歩き出した。


 広場では、老若男女が思い思いに余暇を過ごしていた。人々の活気と午後のまどろみが交差する長閑(のどか)なひととき。通りすがりのウィレムたちに、気軽に声を掛けてくる者もいる。人の出入りが活発なためか、セサロニカの人々は外部の人間にも気さくに接する者が多いようだった。閉鎖的なガリアの農村とは大きな違いである。


 昨日の礼を伝えに教会へ行くと、神父は不思議そうな顔をした。理由を尋ねると、今朝方、赤髪の女性を探す男が教会を訪れたそうだ。二日続けて聞いた同じ問いに、同行者かと思いウィレムたちのことを伝えると、男は忙しなく出て行ったという。アンナに心当たりを訊いたが、セサロニカに知り合いはいないらしい。


 心に引っかかりを覚えつつ、ウィレムたちは市場に向かった。昨夜、市場の様子を話した時、アンナが身を乗り出して聞いていたことを、ウィレムは覚えていたのだ。昨日一緒に街を回れなかったことへのささやかな埋め合わせのつもりだった。


 だが、到着してみると市場は閑散としていた。そこにいたのは、日射しを避けて休みに来た猫と老人くらいである。尋ねてみると、市は毎日開かれているわけではないらしく、次に開市されるのは一週間後ということだ。

 肩を落とし背中を丸めるアンナを、ウィレムは必死に励ました。



「気を落とさないで。大丈夫、セサロニカには長居することになりそうだから。次に市が開く時にもう一度来よう」

「そんなにゆっくりしていて、よろしいのですか」



 アンナの声に力はない。思っていた以上に、市場が楽しみだったようだ。



「ちょっと知り合いの伝手(つて)を頼ろうと思っているんだ。教会にお願いして、その人に取り次いでもらっているから、連絡が来るまではここにいられるよ。そんなことより、あっちの方にはまだ屋台が残っているみたいだ。行ってみよう」



 市場の外、路地裏には、まだ屋台がぽつぽつと残っていた。少なからず、市場の雰囲気を感じることが出来そうだった。

 入った路地はやはり暗く、鬱々とした空気が流れていたが、アンナと一緒だと、不思議と嫌な気はしなかった。ただ、困ったことに、彼女が並ぶ店全てを覗くため、勧められる商品をその都度断るのに骨が折れた。細やかな唐草文様を配した豪華な毛織物、表面にガラス質の光沢をまとった美しい土器、繊細な挿絵のついた異国の書物など、魅力的な品は多くあれど、旅の荷物には向かない物ばかりだった。


 老婆が勧めてくる怪しい薬を昨日と同じように断っていると、外から物が倒れる音と、激しい罵声が聞こえてきた。しめたとばかりに、アンナを引いて店を出る。



「何か揉め事でしょうか。行ってみましょう」



 アンナが持ち前の野次馬根性を発揮する。だが、ウィレムはその場で立ち尽くしていた。声は路地を抜けた小さな広場から聞こえてくる。間違いなく、人売りの店があった広場だ。あまり関わりたくはなかったし、アンナを連れて行くのも気が引けた。


 逡巡しているウィレムに対し、決断を促すように見つめていたアンナだったが、遂に痺れを切らしてウィレムを急き立て始めた。



「誰かが困っているかもしれないのですよ。助けに行きましょう」



 ウィレムの腕に自分の腕を絡めると、強引に広場の方へと引いていく。

 広場でもめていたのは、四人の男たちだった。若い三人が、尻もちを突いている店主に向かって声を荒げて迫っている。店の屋台は、四隅を支える柱の一本が折れ曲がり、屋根が手前に傾いていた。



「これ以上暴れるのはよしてくださいよ。お客様」

「うるせえ、黙って売り物を見せれば、こんなことはしねえよ」



 若者の一人が店主に向かってすごんでみせる。



「ですから、お代をお持ち頂ければ、いくらでもお見せしますと言っているじゃないですか」

「おれたちが金も持たずに店に来たって言いてえのか。ええ」



 成り行きを聞く限り、金を持たずに来た若者を店主が(とが)めたのが事の起こりのようである。ウィレムたちが出張るような揉め事ではなさそうだ。振り向くと、アンナは指示を待つ忠犬のように、真っ直ぐな視線を主人に向けていた。



「くれぐれも、やり過ぎないようにね」



 脱力気味に念を押すと、アンナは嬉々として頷き、足早に男たちに向かっていった。その後、ウィレムの耳に届いたのは、彼らの悲鳴と無様な捨て台詞だった。

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